7-1 庚申塚



でかい写真7-1

 この写真は、庚申塚を横から撮っている。左側の道は、これから水泳競技場に向かっていく道で、右側には高圧線の鉄塔が少し写っている。屋根の下の庚申(青面金剛)の石像は、
写真7-11のような感じである。こちらから写真を撮ったのは、庚申塚移転記念碑の文面を残しておきたかったからだ。ニュータウンの建設にともない、この庚申塚は元の場所にいられなくなって、長泉寺(写真5-17)に一時転居し、ニュータウンが落ち着いてからここに移転されたということらしい。安住の地を得たと言っても、高圧線の鉄塔の麓ではお気の毒という感じがする。
 ニュータウンは、以前からの住民と新しく転入してきた住民の混住地域である。以前からの住民は、もともと山田ヴィレッジで農業を営んできた人々であり、古くから住んでいる。何世代かの間にいくつにも分家していたりするので、同じ姓の人が多い。この記念碑にも、同じ姓の人が何人も名を連ねている。なるほどそうかと思いながら、庚申塚の左側にあるもう1つの石碑を見て驚いた(写真7-12)。姓がないのである。こちらは安永年間に建てられたもので、願主の名前が列挙されているのだが、安永といえば江戸時代、年表で調べると1772年から1781年である。この時代、姓があるのは武士や公家などの一部の人たちだけだったということは、確かに学校の歴史で教わったが、知識として知っていることと本当に姓のない名前を見るということは違う。そういえば学校の歴史で名前が出てきたのは、姓のある人たちばかりだった。

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