冬物語 Kの場合

若井信栄



泥水を掬っている母の背に西陽がかかる 物置小屋にぶらさがっていたふるさとの絶望を支えきれなかった 廃れた家並の路地うら そこにまだぬくもりの残る場所があるとしても おし潰された貝や虫や小動物の類などに目を伏せ 残雪の山脈を越えてきた むらさきの夜明けを おまえは もうわすれただろうか ほこりにまみれて働きずくめでおれの一生は終わりか こんな河の流れにゆだねてしまった生き方をしていても もがき苦しみ脱けられはしない あの夏につまずき変節し 知識人(インテリ)となったおまえも 明るいうちにははずかしくて帰れないだろうが ほんとうはふるさとの深い緑の底に沈み ただ熟睡したいだけではなかったのだろうか だが眠らせはしないよ 塞がれた言語遊戯(ゲーム)を行くというならいっそはてまで行け けっして戻るなよ あいかわらず 炎上する日々 落ちる旅客機 崩れる遊園地 傷ついた者らをかこんで 愚劣なきょうえんがつづいているのに……… われわれの敗北したむだな歳月が積み重なったとしても 掃き溜めが温床となって育つかもしれない 汚辱の ただそれだけの軍団 だがしかしこのことはおまえらにはわかるまいよ 過ぎ去った遠い岸辺の溺死者 その名前を思慕するだけで 流れ寄せている古い裏切りの 廃棄物だって騒ぎ始めるのだ 名前を消された亡命者のように いつかめぐりあうべき溺死者 行方不明 だから つらくかなしくさびしいさびしい降霊術を施すために……… 聞こえないか? 鐘が鳴っている 終わりの鐘が………

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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