宮沢賢治論 連載第三回
緩やかな転換 ――報告者の位相から自己表現の位相へ――

木嶋孝法



○『注文の多い料理店』
 小学校の国語の教科書にまで載っている物語だから、知っている人の方が多いだろうとも思うが、思い出すために、賢治自身の宣伝用の作品解説を掲げておこう。それによれば、《二人の青年しんしが、りょうに出て道に迷い、「注文の多い料理店」に入り、そのとほうもない経営者から、かえって注文されていた話。》ということになる。とりあえず、そういうことにしておこう。
 さて、物語の前半、中心部を飛ばして、結末に近く、

《室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるへて、草の上に立ってゐました。》

 という表現に打つかる。となると、二人の紳士は山猫に化かされたことになるのか、それとも疲労と空腹から自分たちで勝手に幻覚を見たことになるのだろうか。

《「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構はないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」/「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ。》

 冒頭の二人の紳士の会話である。〈殺生〉に対して罪悪感を感じるどころか、それに興じようにも獲物がいなくてそれができない、できなくて焦れている。狩猟に対して、恐れなり慄きなりを抱いていたのならいざしらず、これから狩猟を楽しもうとしていた人間が、そのことで恐い目に遭うというような幻覚を見るわけがない。やはり、山猫に化かされたのである。どうして。
 その理由を作品に求めても無駄である。本来なら、作者が予め用意しておかなければならないはずの理由を欠いている。それが、この作品の第一の特徴である。逆に、そこから作者の考えを探り出すことができる。作者は、そんな理由が必要だとも、もしその理由を欠いたら、読み手の方はどうして二人の紳士が山猫に化かされなければならないのか、うまく掴めなくなるとも思っていない。と言うのも、作者自身が、二人の紳士がそういう目に遭って当然だと思っているからである。
 何はともかく、二人の紳士は幻覚を見たのではなく、山猫に化かされたのである。そのことだけを確認して、作品を読み返してみよう。

「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」

 山猫軒に入った紳士たちが見た最初の板書であるが、これはいいとしよう。次のやつ、

「ことに肥った方や若いお方は、大歓迎いたします。」

 とある。よもや、肥った人間や若い人間は料理を沢山食べるからという意味ではないだろう。どうせ食べるなら、肥った人間や若い人間の方がおいしくていい、と言っているのだ。
 ここである。二人の紳士を化かすのが山猫の目的だとするなら、こんな間の抜けた板書もない。本音を隠すことによってしか〈化かし〉は成立しないであろうから。だから、もし本音を知られることが山猫の本意でないとしたなら、誰が誰に向って本音を打ち明けたことになるのか。作者が読み手に向けてである。作者は、山猫の言葉を二人の紳士に伝える一方で、あたかも映画やテレビの字幕スーパーのように、山猫の本音を送り出してくる。そうしなければ、〈いたぶり〉の過程を読み手と共有することはできないからである。しかし、そのために、却って要らぬ混乱を読み手に惹き起こすことも事実である。たとえば、

「当軒は注文の多い料理店ですから、どうか、そこはご承知下さい。」

 というような板書。紳士たちにはよく流行っている店であることを、読み手には様々な要求をする店であることを伝えている。読み手には、山猫の本音が透けて見えているだけに、二人の紳士はどうしてそのことに気づかないのか、訝ったりする。それに気づいたら、〈化かし〉そのものが、いや、物語自体が成立しなくなるのに。ひどいところでは、

「注文はずゐぶん多いでせうが一々こらへて下さい。」

 というように、作者の方がそのことを面白がっていたりする。本来、読み手に見せるべき顔を、紳士の方に向けているのである。自分の方から越境しておいて、《これはきっと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと斯ういふことだ》などと、もう一人の紳士に無理な解釈をさせて、尻拭いをさせている。
 この危うげな紳士協定が、綻びを見せるのは、「香水をよく振りかけてください。」とあって、置いてあった香水が酢の臭いがするあたりからである。

「いろいろ注文が多くて、うるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか、体じゅうに、つぼの中の塩を、たくさんよくもみこんで下さい。」

 これは、作者が読み手に見せていた顔だ。なぜ、突然、二人の紳士の方に向けるのだ。まるで悪夢から醒めたかのように。
 おそらく、作者は無我夢中で二人の紳士を〈いたぶっ〉ていたのである。そして、自分のしていることに気づいて、ハッと我に帰ったのだ。たしかに、悪戯に生物を殺すことのできる人間に対する、やむにやまれぬ反発はあったのであろう。また、何事もお金に換算して省みない神経の持主に対する憤りもあったのであろう。
 この作品の制作日は、大正十年の十一月十日になっている。その年の一月、賢治は突如、家出をして上京している。そして、八月頃帰花したらしいが、いったい彼は廻りの人々に歓迎されたのであろうか。十二月には、花巻農学校に就職している。制作当時、就職が内定していたかどうかも怪しい。

風の中を
なかんとしていでたるなり
千人供養の
石にともれるよるの電燈

(「冬のスケッチ」第十三葉)
 《都会文明とかって気ままな人々に対する、やむにやまない反感》(再び、賢治自身の作品解説)などと書いているけれども、そんな大袈裟なことを言わなくても、そんな人間なら、案外、自分の身近なところにいたのではないか。そういう人間たちへの反感、憤りを爆発させたのが、この作品である、という気がする。(この章了)


[ホームページ(清水)] [ホームページ(長尾)] [編集室/雑記帳]
エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.3目次] [前頁(「歌仙集め」の巻)] [次頁(はじまらなかった春)]
mail: shimirin@kt.rim.or.jp error report: nyagao@longtail.co.jp