再刊にあたって

 三号を出してから、ずいぶん時間が経ってしまった。三号で「鮎川信夫特集」を予告していたが、これは今号では果たせなくなった。重厚な評論をたくさんまとめて一冊にするというのも面白いと思うのだが、それだけの原稿と労力がいまのところ持続できないということが原因である。これはいつか実現してみようと思っている。しかし、やっと鮎川に対する距離感が掴めてきたような気がする。鮎川が到着できた場所、また限界というようなものについて書ける時間がきたようだ。その意味で鮎川論を集成する面白さが二、三年前と変わってきたと思うので、いつか実現してみようと思っている。
 昨年十二月に「あんかるわ」が廃刊になった。北川透にある点で共鳴して集まっていった詩人たちの発表場所が一つなくなった。「あんかるわ」が堅持し続けたものは貴重であると思う。「開かれる」という意味は、かならずしも急激に売れ部数が増えるということではなく(もちろん売れることはその雑誌の一つの指標にはなりえる)、どれだけ読者とコミュニケートできるかにかかっている。もちろん「ブービー・トラップ」は「あんかるわ」と同じような試行をするということは考えていない。これは気ままに始め、持続したい雑誌であって、大それたことをもくろむのではない。肩の力を抜いて気軽に再開し、展開していきたい。
 ひとつはっきりとした新しい要素が加わっているとすれば、「電脳」という項目に象徴されるコンピュータによるコミュニケーションの要素を入れようとしていることである。コンピュータによるイメージの追求や、詩に接していく部分を積極的にとりいれたい。これはまたこの雑誌の制作上にも生かしていくことになる。よくコンピュータがドラッグと比較されることがあるが扱うのは言葉であり、ただその処理や流通がぜんぜん変わってくるだけである。もちろん文書の処理がやりやすくなっていくわけであるから、おのずから言葉のほうにも変成があろう。とりあえずは雑誌が作りやすくなってきたので、それをどこまでやるかという意識を持っていきたい。
 それから郵政省メールを使って反響を聞きたいのと同時に電子メールを使い始めている人に電子メールで応答していただきたいことがある。このことについては今号ではなく、様子をみてこちらの状態を公開していくことにする。
 とりあえずは僕の個人誌のようなかたちであるが、面白い詩人やほかの書き手に力を貸すこともやっていく。僕としては「批評的切片」という連続して書いてきている文章をここで続けたい。これは文字どおり切片であって、状況的、時評的なものも含めつつ僕のモチーフを断片的に明らかにしていくという文章である。「切片」という言葉にはプレパラートに置くあの有機体などの「切片」のイメージも託している。
 コンピュータ関係の仕事をしている人には電話回線を通じて原稿を送ってもらうことにした。来号から「電脳」のコーナーをはっきりした形で作るつもりである。
 いまのところこの雑誌を再開することに「楽しみ」を増やそうということをつなげようと僕はしている。積極的にやっていきたい。(清水鱗造)

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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