潜伏

築山登美夫



弾圧されて路上の物陰に潜んでいた。そこから逃げだせば走る背後から射たれることはわかっていたが、このまま潜んでいてもいつかは見つけだされ銃殺されることもあきらかだった。茶褐色の巨大な兜虫のような戦車が何台も周回する地ひびきがとどろいていた。それはしだいに環をせばめてこの物陰に迫ってくるようだった。目前には長い滑走路のような路上が探照灯に照らされて赤くチカチカ光っていた。その濡れた視野をよこぎって軍隊のくろい影があった。弾圧されたのは一冊の本を出版したためだった。本にふくまれた敵意が諜報機関によって解読されてしまったためだった。本は諜報機関の存在を知らず、無防備に行間を敵の目にさらしていた。ある日、自宅に踏みこまれ、連行された。留置されてしばらくすると戦争がはじまった。何のための戦争か、何と何の戦争なのか、なにもわからなかった。警備の混乱のすきをついて逃亡したのだったが、街にはすでに戒厳令が敷かれていた。軍のほか人っ子ひとりいない空白がのびちぢみしていた。この潜伏は無意味な潜伏であり、近づく銃殺は無意味な死であり、ようするに生存が無意味だとおもった。気がつくと戦車から身をのりだし、鳥肌だつ腕に銃をかまえて、潜伏する敵にそなえていた。ざわざわと草がそよぐたび、ぴくっとして銃口をそこに向けた。敵は無数にいるようだった。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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