【資料】
「週刊読書人」時評(一九九二年)

清水鱗造



集積回路としての詩
――佐々木幹郎と荒川洋治の詩集

 詩は、部分でありまた全体であるようになっている。縮小してまたその極限で拡大する。だから一篇の作品に向かって収束する光もあるし、無限に光芒を放つ核を持ってもいる。集積回路を作るのが上手な日本人が、細部における艶や切れ味を得意にするのは自然の理だ。背理を意識する暇もなく、細部に集中しまたそこから逆方向に向かうであろう光を常に求めつづける。しかしまたその作業には断層があるのを、詩人自身が気づいていく。その断層は、例えば“文芸的”というセンスに欺かれているのではないか、というような疑問である。まず自分が提出しそれを読者が認めたという回路とまたそれと逆の回路を、刻々と意識していく。その意味において詩は一回限りの業なのだ。
 佐々木幹郎『蜂蜜採り』(書肆山田)と荒川洋治『一時間の犬』(思潮社)は、共に旅の味を感じさせる詩集なのだが、細部の作り方においてそんなことを考えた。両者のエッセイ集を読む読者とそうでない読者では、言葉の受け取り方は違うのは当たり前で、細部であり全体であることが詩であるということからいえば、当然両者は作品一篇に賭けている。断裂的な技法(例えば千字で表わした考えの最後の十字を置いてみるというようなやり方)、あるいは擬似的な断裂的な技法が目立って巧くいっていることにおいて尖端的な集積回路ではある。しかしこの硬い印象は何なのだろうとも考えた。《この世には/闇は煮える/蝉の脱け殻の形で/地球も》(〈地球も〉末尾、『蜂蜜採り』より)例えば火や闇がくっきりと感じられる山の旅の途上で、どちらかといえば冷静な感覚で風景を捉える。
 荒川の詩集も同じ印象で、やはり言葉によって緻密な回路を作ることに専念する作者の像が見える。ぼーんと投げ出したようなユーモアや、不用意に見える言葉がない。射程距離が正確であればあるほど、逃げ出す言葉がある。システムの強度を反映することの幸不幸がないまぜになっている。
(一九九二年一月十三日号)


性交からずり落ちていくもの
――伊藤比呂美+上野千鶴子『のろとさにわ』(平凡社)

 伊藤比呂美が詩を書いて“のろ”の役割を演じ、上野千鶴子がエッセイで“さにわ”の役を演じているというこの本。湿っぽさがないなあ、と感じる。上野の本を読んだとき恥ずかしながら、すこしたじろいだ記憶がある。伊藤比呂美の詩とは長年のつきあいだから、すーっとこちらに入ってくる。“性交”“オナニー”“排泄”“マゾヒズム”等々、話題は豊富だが、闇のへの志向のようなものでも、この二人にかかれば湿っぽくなくなってしまう。
 上野によると《発情は「自然」だが、レンアイは「文明」である》と要約されてしまったりする。こういう概念化の波打ち際で踏みとどまるのが、詩の方法だろう。
 粘膜の細胞は個人個人まったく固有のもので、愛の摩擦は微視的にみれば、固有の感覚だろう。そこからしてみても、この“さにわ”に“のろ”がいらつくのはよくわかる。その後、上野の文章については「わかりました。その調子で自由にやってみてください」という感じになった。
 批評を手ごわいなと感じるのは、文章が内容の氷山の一角であると思われるときである。上野の文章はところどころの“ささくれだち”によって、“たじろがせる”。伊藤の詩にも似たようなところがあるのだが、概念に回収されない形式だけに、生で伝わってくるところがある。波打ち際から波が引いた後、ハードロックコンサートの後にところどころに爆竹の燃えかすが残っているように、なにか点々と残っている。僕の経験を書くと性行為とは別に、女性の目からの光に自分の体が射し貫かれた感じを持ったことがある(たぶん幻想でしょうが)。観念的には一日のかなりの部分を猥褻なことを僕も考えているのだけれど、街を歩くように女と男の間を手ぶらで歩いてみて、何か見たことのない景色があることを無意識に望んでいる。上野の場合には文章の“ささくれ”が、伊藤の場合には場面の転換の流れが女性的で色気のある本だと思うと言ったら袋叩きでしょうか?
(一九九二年二月十日号)


新しく“掘る場所”
――吉本隆明・「ジライヤ」

 吉本隆明『甦えるヴェイユ』(JICC出版局)を読んでいる途中で、「現代詩手帖」の瀬尾育生との対談も読むことになった。初期ヴェイユと現在の世界状況、また資質的に神の考察に向かった“いたましいヴェイユ”(『甦えるヴェイユ』あとがき)の思想が宮沢賢治の引力と同じような引力をもっていること、そしてそれらが吉本の思想と有機的に結びついていることがよくわかる。対談では昨年から議論になっている“湾岸戦争詩”の問題から(これはすでに昨年十月に発行された「ミッドナイト・プレス」十号のインタビューでも言及していた)、宮沢賢治の詩から考えられはじめる、音声・文字以前の言語=普遍言語の問題まで語られている。ヴェイユの思想の振幅と、『宮沢賢治』(筑摩書房)における“なんでもない人は菩薩に値する”という賢治の思想に対する批評的観点と羅須地人協会などのいたましい実践との振幅、そして賢治の言葉の原生的な様態、吉本の言語論はより興味深い展開を見せそうである。なによりも宗教も射程においた人間の心的現象の全円的な捉え方に注目したい。
 福間健二のやっている雑誌「ジライヤ」九号に注視すべき二人の詩人の詩が載っている。それは辻仁成の連作詩“砂丘”と布村浩一の二つの詩だ。布村の〈ぼくのお城〉という作品の始まりは《ぱぴぷぺぽ/ぼくのお城はがたがただ》という行だ。最終行は《ぼくのお城はこわれるぞ》である。布村の詩にはとても繊細でそれでいてラディカルな喩法があってとても魅力的だ。辻の詩ののびやかさ、視点のあり方は現在“掘る場所”を鮮明に表わしていると思われた。多賀恭子『夜の水』(紫陽社)が掘っている場所は最近よくお目にかかるが、普通の恋愛や勤めなどを経て、東京の巷をみる視線をそのまま外国にもっていったような遊山(よくある!)もまぜた詩をゆっくり書き始める女性は愛すべきだ。熟れた女はまだ咲きますよ、と一言いいたい。
(一九九二年三月十六日号)


浮いている場所
――吉増剛造『死の舟』

 吉増剛造の詩やエッセイを読むとき、いつも一種の異和感をもっていた。それは六十年代末から七十年代にかけての生活の波長と時代の波長の合わせ方が全然違っていた、ということからくるのかもしれない。八十年代になって詩の喩法は幽暗のなかにまぎれて、あいまいになったような気がする。何が陽画で何が陰画かわからなくなってしまった。吉増剛造のスタイリストぶりが、よく印刷される吉増の書体とあいまってある種の異和となった。これは、ただ僕が武骨な詩人が好きだからというところだけに理由があるのだとは思えない。
 今度『死の舟』(書肆山田)を読んで、現在の尖端的な二十代から四十代の詩人よりも喩法が壊れていなくてわかりやすいのに、改めて驚いた。だいぶ前、吉増の詩を高度な劇画だと思ったことがある。教養や言語感覚において俗にならず高踏的にならないところは違うが、結構において劇画のように流す。大衆のイメージに完全に寄り添ったかたちで、発展と萎縮を繰り返してきた劇画はそれなりに優れた作品を生み出してきた。その間、吉増の詩はどんなふうに変わってきたのか? たとえば大衆のイメージの豊かさが吉増らの詩の領域を狭めて、眺めてみれば狭い場所に今いるともいえなくもない。しかし、イメージの流通機構自体が貪欲なのだ。吸収装置としてのそれが働き、吉増らの詩からも貪欲に摂取している。
 感性というのはそれをとめどなく働かせているとき、「これは危ない」という境地に必ず至り着くと思う。そのとき意識的に停滞させる気持ちが動くのは自然だし、防衛だともいえる。《麺麭の黄金の洞の蔭に寝て、貴女は“灰色の空”を見上げた/ ――蜘蛛が下り来て、“これも麗しい星だ”とつぶやいた》(〈死の舟〉部分)吉増の定位するイメージの場は浮いたまま、それでいて一定の摂取される高度で動かないように見える。
(一九九二年四月十五日号)


夕暮れ時と適度な快楽
――永島卓と白石かずこの詩集

 詩人もその存在自体でさまざまな物語の主人公でありたいと思っているのは確かなのだが、微細な抑制装置が働いて適度な状態におしとどめられる。収縮力がそこにはある。ではその収縮する膜を撃ち破るような詩のエネルギーはどうかというと、相似形の輪が内に向かって重なっているように見える。ところがそれら言葉の世界における無意識の核を成すものは、あいかわらずこの国が形成してきたものを行きつ戻りつしている。古代から言葉で表わされてきたものが突然新しく感じられ、玉ネギの皮を剥くようにその作業をしていれば、なんだ古代は現在と同じ時刻じゃないかとさえ感じられるのである。また現在は古代と同じ時刻ではないかとも。では言葉はいつも同じところを経巡っているのか? そうではなくほんとうは言葉はじわじわとその核を新陳代謝させている。詩の言葉の力もそういうものだろう。
 そして詩人は安全な夕暮れ時(陰陽道的な感じ方としてこの言葉を使ってみる)にその位置を移していく。いつのまにか真昼は過ぎている。永島卓『湯島通れば』(れんが書房新社)を読んで、そんな感慨を持つ。詩の力が夕暮れ時にさしかかっているとしても、なにかしらすがすがしい。優れた詩人や批評家を育ててきた北川透の「あんかるわ」も終刊してだいぶ経つが、その気風は余韻というような弱々しいものではなく鮮明な像として残っているように思った。白石かずこ『ひらひら、運ばれてゆくもの』(書肆山田)の場合は、固有なものの表現からずり落ちていくところに、夕暮れ時を感じる。〈滅びにむかうマラソンマン〉という駄作を除き、適度な快楽がこの詩集には感じられる。適度というところで徹底させていくことこそ、逆転の方法なのかもしれないのに惜しいと思う。もっともっと軽い優雅な物語に没入してもいいと思うのだが。
(一九九二年五月十一日号)


街の位相
――吉本隆明『大情況論』、尾崎豊

 ここのところ尾崎豊の最後のアルバム『放熱への証』を繰り返し聴いていた。尾崎のいう“愛”や“真実”は音楽と肉声の力を借りて、尾崎と等身大になっていき一応完結してゆく。ただ“街”と“暮らし”との関係(それは主に齟齬や軋轢であるのだが)は収束できないまま、現在書かれ続けている詩にまぎれこんでいるのだと思った。
《ねえ教えて ささやかな人生の願いは 一つでも叶ったの》(〈Mama, say good-bye〉より)
 それからもう一つ、言葉の前で佇んだのは次の文章だ。
《これは気がつけばすぐにわかるのですが、気がつかなければ、依然として緑を守れとか自然保護とかいっているとおもます。しかし、それは先端的な段階ではすでに終わってしまっていて、多数を占めてはいません。多数を占めているのは、第二次産業と第三次産業の境界におこる公害だということは理論的に歴然としています。(略)境界線がはっきりしないボーダーラインでの、精神の異常とか正常とかいったことが、いまでも顕在化しているでしょう。》(吉本隆明〈現代を読む〉より、『大情況論』弓立社、所収)
 吉本が“現在”を分析する要素の一つとして取り出しているいわゆる“境界例”の問題は一種の公害だといっている。僕はこの文章を読んで、僕の街の位相の中で佇んだ。この街の中で浴びつづけ僕の中で凝ったり変容したりしているものは何かわからない。ただ一つはっきりしているのは身体の中でゆっくりと動く時計を必要としていることだけだ。現在、“街で暮らす”ことを、いったいどのような表現や美学に結びつけていけばいいのか? それは難しいことだし、ただ踊るしかないともいえるかもしれない。しかし、何かの亀裂や結び目から現在の街が透視図法で見えてくることはないのだろうか。エロスや自然の輪郭が生き生きと見えてくることは。そういう探索を必然的に行ないながら、詩人たちは詩を書いている。
(一九九二年六月十五日号)


言葉に下ろす手斧
倉田良成『私の洛中洛外図から』、井上瑞貴

 不意に詩の言葉が浮かんでくる、という場合、実は無意識に吟味が成されている。だから突然傑作が書けたり駄作だったりする。その心身と言葉との“見定め”が常々詩を書くときに重要であるわけだ。マチエールとしての言葉という概念は矛盾している。だが自分の心身の状態を悟りみたいに感受して、関数である心身と言葉との関係を仮に一定と見做せばある程度言葉を“もてあそぶ”方法を行なうことができる。カオス理論では心臓の鼓動にカオスが含まれていて、脈搏が新しいものに対応する状態を保っているらしい。だから俳諧のような遊びの言葉の付け合いのなかにもカオスが含まれていなければ面白くない。話が元に戻ってしまうが――。
 倉田良成『私の洛中洛外図』(如水舎)にはもしかしたら強固な諦念があるのかもしれない。《蝶はとびさる/石のなかの偶然に/永遠にのこされて//截りくちを見るとすれば/こわすことしかない/眼の手斧/陽光をうけとめる/虹と虻//たとえば私の肩は血球のおもさの野原に/癒しがたく浮かべられているのかも知れぬ》(〈石〉全行)
 推敲というのは手斧で言葉の配置を彫琢することだろうか? その間にたぶん自分の心身と言葉との関係が見えてくるのだが、倉田の詩の彫琢の緻密さの奥には諦念が見える気がする。完璧な負のカードを出せば正のカードに転換するという文学の機構の度合いは読者の過激さにかかっているのだ。
「蟻塔」30号の井上瑞貴の小詩集“しるべなき二月のほとり”の語り口といくつかの視線には光るものがある。「妃」に書いている田中庸介や高岡淳四らとともにこれからの作品に期待がもてる。
 辻征夫『ボートを漕ぐおばさんの肖像』(書肆山田)はライト・ヴァースの可能性を感じさせる。ライト・ヴァースには毒や薬を潜ませたいが、読者にとっては薬が毒だったりする。表現の力量はこういう詩にいちばん端的に表われるのかもしれない。
(一九九二年七月十三日号)


イメージの治癒と逸脱
――江口透の詩集ほか

 高取英の新作演劇『G線上のアリア――フランス革命異聞』を池袋で観た。高取独自のというよりは、都市で散乱するいくつかのイメージのまとまりの一つ一つが自然な雰囲気のなかで輝いていた。高取が詩を書いていたことは別にしても、六〇年代末のアングラ劇とはずいぶん変わったなと思った。たとえば逸脱しようとしてイメージを走らせてみる。そうすると九二年の現在では簡単に逸脱できない。むしろ六〇年代の逸脱したイメージは当然のように心に包容できてしまう。
 詩で言葉のまとまりのなかにイメージを入れようとするときも、簡単には逸脱できないし、既視感のようなものが柔らかくやってくる。茶の間にも衛星放送やケーブルテレビがやってきた。イメージ作りにしのぎを削っている人たちが、生活のなかでどんどん繰り出したイメージを映像にしていく。たぶん詩や劇や映像の枠組みのなかに封じ込まれるイメージにもタブーは自然に含まれているし、また枠組みにおいて“治癒”の作用もしている。この既視感をたどっていくことの意味は現在大きいと思う。それは、ひとつには持ち得ているイメージをさまざまに分類したり、遊んだりして確かめてみること。ひとつにはどんなふうに逸脱できるか、またなぜできないのかということ。流通するイメージの質が高くなり、またすっと入ってこられるのはなぜなのか。おそらくイメージ構成の時代は個々の突出したものが先導するのでなく、全体的に膨らむというかたちで進化している。
詩のイメージでいえばすでに既成のジャーナリズムの枠にあるものと、外にあるものの区別はできにくいし、区別する必要もないように思われる。
 江口透『ローリングサンダーマン詩篇』(新風舎)、北沢十一『助走』(雀社)、「妃」に集う詩人たちの詩。南からの日の光のように流通するイメージのシャワーを浴びている。
(一九九二年八月十日号)


熱い言葉の意味
――渋沢孝輔『綺想曲』、「出来事」

 C・G・ユングを読んでいると、リビドにぎりぎりと集約されていくイメージの解析とは違って、万華鏡のように拡大していく無意識の解析に緩やかに落ち着いたところに連れていかれる。それは例えば、空飛ぶ円盤などの場合でも同じであるが、集合的無意識の象徴に向かうとき対象の一歩手前までいって当然ながら軽く突き放す。文庫化(ちくま学芸文庫)された『変容の象徴』でも《神ははじめは心像、元型の性質をもつコンプレクスであって、これが信仰によって形而上の神(エンス)と同一のものとされるのである。》などと書かれる。この本にたくさん引用されている詩の解析はもちろん文学的批評とは決定的にちがう。イメージに対して動力的には初めからゼロの立場にたつのだから当然だが、日本の柳田とか折口と重ね合わすようにしてみれば、面白い。
 渋沢孝輔『綺想曲』(書肆山田)にはどこかしら手すさびのにおいがする。個々の詩の一行をとってみれば、緊密な何かを構成してはいる。《とりあえず痛みを越えるための言葉の処方を/記憶のなかに探ってみるが 冷たく素っ気ない/虚空のイロハに出会うばかりだ》(〈四月のBLANK〉より)
 しかし、そのイメージの裏側にある幻の共同性が手すさびのにおいを放つのである。そこにある弛緩したところが文芸的といえるのかもしれないが、ぼくには脆弱に映った。
 創刊された「出来事」の布村浩一、阿部裕一、福間健二、築山登美夫、兵頭俊介らは今月読んだ詩のなかで最も熱い言葉を発している。直接的にぶつかっていきたい命題に、どうしても回り道をしなければならないもどかしさ(それはたぶん性とか死などだろう)をもって書かれている言葉が熱い。それは、詩を書いていることにつながる雑多なもの、自分の生に下りてくるときに通り抜けなければならない共同的な心性、に苛立ちながらも、とりあえずは一枚の網はくぐったという快感がこれらの詩にあるからだと思う。
(一九九二年九月十四日号)


時間への留保の感覚
――辻井喬『群青、わが黙示』

 辻井喬は『群青、わが黙示』(思潮社)の“ノイズとしての鎮魂曲(あとがきにかえて)”で《昭和という時代は戦争があり、革命幻想があり、そしてそれらがやがてのっぺらぼうな経済というものに吸収されていった時代のように思われる。》といっている。大衆からみれば、きっちりとした正しさも諦めもないのだから、のっぺらぼうな経済という否定性をもつイメージもやりすごされるだろう。
 T・S・エリオットの『荒地』をもと歌としたこの長編詩の流れに感じるのは、時間を見極めていくときの留保の感覚である。その感覚を保つことによって長編詩を構成する意思を保っている。“昭和”に向き合う姿勢は散文的にも詩的にもわかる。それは典型的かもしれないが、堤清二のもうひとつの顔である辻井喬が『変革の透視図』(一九八六年)のような仕事をしながら、時代を見ていることに興味をそそられる。“Uブラウン管上のゲーム”で《「こちらはおいしい生活です/しあわせってなんだっけ/亭主元気で留守がいい」》という広告コピーをコラージュした部分がある。一行目は一九八二年の西武百貨店のコマーシャルらしい。日本人の生活における無意識にも目配りをしている。のっぺらぼうの経済というのも無難な捉え方かもしれない。しかしこういう構成と思想の水位とは別に、詩は犯罪のようなところまで想像力を届かせることができる。そしてそこから還ってくるための規制は生活感みたいなところに核をもっている。誰もが顔をしかめるようなイメージを繰り広げることにも魅力がある。そして還ってくる場所は詩の中に隠されているものだと思う。本当はそこが針の穴のような留保の感覚だ。この長編詩の裏側には、そういった詩の在り方もあるのだが、この詩の意図に沿えば、消費生活での揺らいでいる感性を立て直すことを詩人もやっているのだと思う。相変わらず広告コピーに照応する感性の時代は続いているのかもしれない。
(一九九二年十月十二日号)


物語の香り
――辻仁成『屋上で遊ぶ子供たち』

 久々に出た村上春樹の長編『国境の南、太陽の西』の登場人物たちは、村上の好みの都市の書き割りのなかで、エロスの関係性の粘りによって、ミステリアスな空間を紡ぎだしている。これと同等あるいはそれ以上の優れた関係性の喩は、現代詩のなかに断片的には散らばっている。しかしその求心力によって読者を引き込み、楽しませ考えさせてしまうような詩人はなかなか見あたらない。現代詩の読者が詩人であるというところに変なけれん味をどうしても許してしまうからだと思う。本当は作品が投げ出されて、読者がその作品に没入できればそれだけでいいのだ。
 辻仁成『屋上で遊ぶ子供たち』(集英社)は、けれん味がない。そして独特の物語の香りがする。ああ、これは読み込んでいってもいいな、と感じる詩集である。
《捨てても捨てても/次から次に/友達は湧いてくる/僕はそれを摘んで/風の中へ蒔く/そうすると/種子はそこかしこに/着地して新しい芽を吹くのだ》(〈友達の使い捨て〉部分)
《君の子宮に指を入れてみる/何の欲望もなく》(〈砂丘 十〉)
 後の二行詩のように渇いていても、読後は物語の香りによってそっと包まれる感じである。ところで詩の形式が得意とするところの生な感覚と言葉との接点、ということからすれば物語性への信憑は邪魔なものでもある。出会い頭を詩は求めるものだと思う。とすればこれは中距離ランナーの詩集だ。子供でも誰でもできるスタートダッシュの言葉の魅力、詩の魅力はここに集中している。そのうえで、読者は書き手の感性を探り、共鳴していくわけだ。
 末尾に置かれた〈詩人を崇めるのはやめようよ〉という作品も面白い。シニシズムとユーモアのセンスが光っている、ある意味でいい詩だ。ともあれ、物語の香りを嗅ぎながら吟味してみる価値のある詩集だろう。
(一九九二年十一月九日号)


小さな喜び
――北川透と高橋睦郎の詩集

 感じることを積み重ねていって、そこに世界を俯瞰する独自の位置を定めるには、ある程度論理的な思考回路に感性を整理する必要がある。しかし、感じることはもともと矛盾や波をたくさん含んでいて、整理は常に暫定的なものになるのはやむをえない。読者はその暫定的な位置も表現の裏側からかぎとり、矛盾や波のようなものを受け取るということをしている。
 北川透の良質な部分は小さな喜びをよく整理しているところにあるように思われる。たとえば一日のリズムで、午前ひと仕事終えたときの気分に小さな安らぎを覚えるように、言葉をつかみとる。《それはすべての生きもののなかに隠れ/それはすべての生きものを養うけれども/なにによっても養われることがない/この自明さにふるえがとまらない/それは刀剣にも 火災にもおびえない/それは刀剣そのものであり 火災そのものだから/それはどこまでも逃げ/それはどこまでも追いつめる》(『戦場ケ原まで』思潮社、〈水の挽歌〉部分)一方で、事物性と抽象性、論理性のグラフを描いてみたくなってしまうところが問題であるのかもしれないが、その弱点にも北川の批評の読者ならば対象に対する延びのよい遡行力の破れ目をみて、通りすぎることができる。
ときには感性の動きの矛盾や波は行動をカタストロフ寸前までもっていくこともあると思う。また高橋睦郎のように微細な揺れをそのまま手にとるように表わそうとする詩もありうる。ここには事物についた言葉そのものを技工師のように扱うときの快楽が加味される。《二本の箸の先で突きくずす 茶碗の中の煮たコメ/固められて粘りのある煮たコメは 分離される/けっしてばらばらにならない粘着を産み出すためだけに》(『旅の絵』書肆山田、〈米〉部分)かすかに気どりのようなものを感じるが、小さな喜びを整理する手際は根本的には北川と変わらない。
(一九九二年十二月十四日号)


一九九二年回顧
出発地点を鮮明に表わす詩の出現

せめぎあいを演じる“開く”と“封じる”

“開く”ということと“封じる”ということは表裏一体になっている。エロスの個人的なかたちによってそれは完成されている。とすれば、生涯の詩の始まりにおいてもこの二つのせめぎあいが演じるものが主人公になるし、さまざまな曲折を経てたどりつく境地にもそのせめぎあいが刻印されている。
《良寛にはほんとは固定して透明になってしまう内面状態はなく、否定をまた否定的に微分して流れてゆく曲線の鮮やかな流動によって、はじめて透明になってゆく内面状態だけがあるようにおもわれます。》(吉本隆明『良寛』春秋社、〈隠者〉より)
 この文章から批評意識と論理の軸の関係をみて、吉本について考えることは措くとして、“開く”と“封じる”が必ず契機になって、固有のエロスがかたちづくられることを考えてみたい気がする。否定し、そして否定をまた微分して分析し、という動きを言葉に物語として投射することもできるし、その流れ全体を思想的な分析に置き換える試みもできる。世界を感受するときの、逡巡を“伝える”言葉に投射できれば、そこからまた生の流れの中に戻ることができる。
《みえない/校庭で/中心で/土をみつめているぼくは/かがんでいる/みえない/街の中心にいるぼくは/みえない/地図の中心にいるぼくは/みえない》(布村浩一〈街の中心〉部分、「出来事」より)
 せめぎあいの中で、ただ一箇所見える部分がある。つまりみえないことがわかる。この詩は、詩の出発地点をきわめて鮮明に表わしている。
 粕谷栄市は適当な量の散文詩のなかに、映像的な物語また反物語をつくって、平衡を投射する。それは激しい快楽でも激しい苦痛でもないが、粕谷の日常が微細なところまで受け取ることができると感じられる。
《何故、それが、自分にやって来たのか。彼自身にも、それは、答えられないだろう。突然、その血だらけの痺れる雄鶏が、そこに現われた理由は。》(『鏡と街』思潮社、〈血だらけの虚無の雄鶏〉部分)
「満足していない」ことを常態と確認することは、とても重要なことだ。極端にいえば、確認できなければ地獄が待っている。「満足していない」ことの度合いは詩にとって、重要なことにちがいない。
《両肺にまたがるガンの進行を あれこれ詮索するのだが/C・Tの影か おれ自身なのかはっきりしない》(井上光晴『長い溝』影書房、〈六五六室〉部分)
 この詩の中の“おれ”はいかにも井上光晴的な“おれ”である。そう感受するとき、その歯切れのよさに、この“おれ”が小説を書き続けたことの必然が見てとれる。阿部岩夫『月の人』(思潮社)の“あとがき”の、《この詩集の作品は、空海の『秘密曼荼羅十往心論』からモチーフを得たものです。》という文章を見たとき、なぜこんなことを書くのかと思った。この固有名詞を出すことによって、井上の“おれ”よりもはるかに不鮮明になるものがある。文学と違ったテキストをモチーフにするなら、そのテキストと対決もしくは協和している論理的塊と本来的に火花を散らさなければならないはずだ。現在に生きている阿部の心身のほうが詩にとってはるかに重要なはずだ。
 北村太郎が亡くなった。彼の詩の“開く”“封じる”必然の、よりあからさまになってくる分析がなされるはずだ。
(一九九二年十二月二十八日号)

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