批評的切片
肌の幻影 2

清水鱗造



一 近代詩によって成された方法
1
(承前)
 朔太郎の詩における微細なものの暗喩は自己意識(神経)の微細な動きを拡大して示すことを実現している。これが何を意味するかといえば、その方向に無限に喩の通り道のための穴を開けたということである。微細な感覚的な体験、とるに足らないようにみえていた視覚的体験や夢が、そのまま自己意識の自由な振舞いを表わすことを拡大できるということ。生活的感性の延長線上にあたかも病者の領域が実は普通に存在することはだれでも知っていたことだ。そういった領域の表現の拡大が近代から繰り広げられることによって、逆に生活者からいえば新たなコミュニケーションの領域が拡大したのである。だが、詩がそういう見方からは全然別なところで集中されて行なわれているということは科学と同じである。

 光る地面に竹が生え、
 青竹が生え、
 地下には竹の根が生え、
 根がしだいにほそらみ、
 根の先より繊毛が生え、
 かすかにけぶる繊毛が生え、
 かすかにふるへ。

 かたき地面に竹が生え、
 地上にするどく竹が生え、
 まつしぐらに竹が生え、
 凍れる節節りんりんと、
 青空のもとに竹が生え、
 竹、竹、竹が生え。

  みよすべての罪はしるされたり、
  されどすべては我にあらざりき、
  まことにわれに現はれしは、
  かげなき青き炎の幻影のみ、
  雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、
  ああかかる日のせつなる懺悔をも
  何かせむ、
  すべては青きほのほの幻影のみ。

(〈竹〉全行)

 口語自由詩を標榜するかぎり、どんなに生活破綻者に見えても試行は続けられるというように、文学的要請は一般的な生産≠ニ欲望≠フ埒外にある。そこに関係の糸を見つけるとしたら、偶然に投射されるなにものかだ。そのものを一般的な生産∞欲望≠フ側からみたら、危機感を持たれることになる。逆に彼らにそのまま認められたらそれだけで、おしまいだという意識も詩をつくる側は持つかもしれない。
 イリュージョンとしての竹≠ヘ、時代の叙情と信じられてあるものに微細な観察の表現を追加する。《根の先より繊毛が生え、/かすかにけぶる繊毛が生え、/かすかにふるへ。》というところまで、自らの神経の暗喩を届かせることによって、エディプスの三角形からかたちだけでも遁走できるという実用的な(?)機序もある。
 一九二九(昭和四)年七月下旬、朔太郎がふたりの娘を連れて前橋行きの汽車に乗り込んだとき、それがごく自然にみえることによって、重層したものの単純化を試みることもできる。

 詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露されることである。

 詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。

 すべてのよい抒情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。(人によつては気韻とか気稟とかいふ)にほひは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。
(『月に吠える』一九一七(大正六)年、〈序〉より)

 近代の抒情詩、概ね皆感覚に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽って、詩的情熱の単一な原質的表現を忘れて居る。却つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考えられ、詩の原始形態の部に範疇づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は単色であり、複雑の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的単一に帰するのである。
(『氷島』一九三四(昭和九)年、〈自序〉より)

 後者の引用部分に続いて、思想的には日本回帰≠ニいうべきパーレンで囲んだ《この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未来的形態だと考えて居る。》というのがあるのだが、この二つの〈序〉の径庭は、自然に娘ふたりと汽車に乗る、という自己劇化の終わりに、《詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露されることである。》という近代的な詩論が漂白していく、ということに重ね合わせにすることができるようにも思う。この朔太郎的な日本回帰≠ニいう課題は歴史的パラテキストによって、さらに解釈を進めることができるし、それをした評者もいるのだが、別項に譲る。
 まず問題なのはさまざまに挫折また変節した、五感を追究する方法がどこまでいっているかということだ。陶酔的気分≠ニいうことは、朔太郎や白秋や犀星らの概ねの資質に還元することができる言葉であるが、彼らが同時期に書いた詩のにおいは共同でこれをつくっていたという詩史的な見方もできる。その分にほひ≠ヘ稀薄になったともいえるのである。
 山村暮鳥に比べれば、朔太郎の詩は罪障感や鬱を表わすことによって、より立ち上がってくる。山村暮鳥らの詩を読んでいると、テレビのなかった時代のことを想像させられる。一方で愉楽のほうへ傾き、一方でもっと重層した深みのほうへいく、といった単純な言い方もできるかもしれない。だが、環界を受け取る五感の瞬間だけを言葉にすることを徹底してやることが、線形なものだけでなく非線形なものも表わしうるのではないか、という課題が次にくる。その意味では山村暮鳥の詩は、ヒントを与える詩人である。

 洋傘(パラソル)の女が二人、
 その影と、柔かい光りの中を動いて行く。
 此の時、空の群集より、
 花弁のやうな蝶、
 菜の花圃(はなばた)へ眠りにゆく時、

 昼の神経が光り、
 次第に光る、
 ちやうど玻璃の窓のやうに。

 丘より匂ふ白色と、暗い心に……
 夢に……
 眼瞼に……

 (――蝶と女と窓との音楽。)

 神経の匂ひつかれた昼の外部、
 路側の花のかゞやき。
(〈蝶と昼の神経〉全行)

 ちょうどこの詩にはにほひ≠ニ神経≠ニいう、『月に吠える』〈序〉にでてくる言葉もでてくる。このにおいに朔太郎は鬱などのナーバスをしみこませたといってもいい。宮沢賢治の自称心象スケッチ≠ェ、広義の意味の詩ではないと自身で感じられていたことには、それが試行であることと線形的な詩史からの逸脱を感受していたからだ(賢治の心性からいって自恃という言葉は似合わない)。が、暮鳥がヒントになったことは疑えないことではある。
『月に吠える』の〈序〉のにほひ≠そのまま尊重して、分離した概念にしてしまったらどうであろうか。当然ながら、それと重ねあわせるように統一的なものの分離が起こる。それもまたある種の思想≠ノ収束するのである。ここに退廃への水路ができることもまた否定できない。もうひとつ別に、一人の詩人のなかにあっても、オリジンとそのオリジンから下に流れている詩が存在する。しか詩史的なオリジンと、資質的なオリジンとはまた別ではある。この時代の唯美派と呼ばれるような一群の詩人は、こういう見方でその作品の細部を日のもとに晒すこともできる。しかし、還元不可能なものが、ほとんど沈黙に近い個的な喩であるとき、謎であるのか罠であるのかということは、微分不可能な言葉の本質に関わる。

(この項つづく)


    *エディプスの三角形という言葉はドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』の翻訳にでてくる訳語であるが、さしあたりここではこの本には関係ない。

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