バタイユ・ノート 2
バタイユはニーチェをどう読んだか 連載第1回

吉田裕



1、ニーチェの像をどう引き出すか

 シュリヤの詳細なバタイユ伝によれば、バタイユは一九二二年頃、ニーチェにはじめて接したらしい。古文書学校をでる二十五才の頃である。最初の本は『善悪の彼岸』であって、次に『反時代的考察』がくるが、それらは決定的な読書体験となる。後に〈なぜこれ以上書こうとするのか。私の思考――私の思考のいっさい――がこれほど完全に、これほどみごとに表現されているというのに〉と書くほどである。ところでバタイユが哲学から受けた影響を言うならば、もうひとりヘーゲルの名をあげなければなるまい。ヘーゲルに決定的な形で出会うのは一九三三年にコジェーヴの講義にでるようになってからであるが、このドイツ観念論哲学の完成者について、バタイユは、〈ヘーゲルは自分がどれほど正しいか知らなかったのだ〉と言っている。これらの引用から、バタイユが二人の哲学者から、きわめて強い影響を受けたことがわかる。しかしながら、ニーチェがヘーゲルに対する批判者であったことから推測されるように、ヘーゲルからの影響とニーチェからの影響は、葛藤なしに両立しうるものではなかった。ある批評家は、バタイユはヘーゲルに不満を持つとニーチェの立場から批判し、逆にニーチェに不満を持つとヘーゲルの立場に移ったと言っている。バタイユはニーチェについては、〈ニーチェには弁証法が理解できなかった〉と批判し、またヘーゲルのことを〈老いぼれ坊主〉と罵倒したりした。
 けれども、〈私は哲学者ではない。私は狂人だ〉と言うような人間にとっては、ニーチェのほうがより身近に感じられていたと言えるかも知れない。バタイユを読んでいて節目々々でより直接的に現れるのは、ニーチェの名である。彼のファシスム批判はニーチェ的な原理に基づいているし、彼が占領下の困難な生活を切り抜けるのは、全編ほぼニーチェ変奏曲というべき、『無神学大全』を書くことによってである。戦後においても彼は、最大の問題となったコミュニスムに触れるにあたって、〈今日の世界において、コミュニスムとニーチェの姿勢以外に、どんな姿勢も受け入れることはできない〉(「マルクシスムの光によってみたニーチェ」)と言うのである。だからバタイユにおいてニーチェの像をたどることは、ただ彼の思想形成の影響関係のひとつを探ることなどではなく、彼の根底を照らす視点となるだろう。
 しかしながら、バタイユがニーチェをどう読んだかを明らかにすることは、限定された小規模な作業のように見えながら、実際はそれほど簡単ではない。バタイユがニーチェから受けた影響を、彼の書いたどの著作にみればよいのか、焦点が絞りにくいのである。バタイユを少しでも読み込めば、彼がニーチェの影響を深く受けていることはすぐ見て取れるが、しかしそれがどこに具体的に現れているかを特定することはむずかしい。『ニーチェ論』と題した一冊があるが、半分は彼の日記であり、収録されたいくつかの論文も個別に発表されたものを集めたものであり、これを一冊読めば、彼のニーチェ理解がくまなくわかるというものではない。ニーチェの像はバタイユの全体にわたって、広く深く浸透し、バタイユの骨肉と化していると言うほかない。そのようなときどんな方法によって、この影響関係をとらえることができるか。私には平凡な方法しか思い浮かばない。つまりバタイユがニーチェを主題にした論文、あるいはニーチェについての言及がある論文をともかく読みつないでみることである。
 この方法には欠陥があることはわかっている。ニーチェの名を冠された部分だけを取り上げると、トピック的な部分だけが強調され、全体に浸透して基底をなしている部分をかえって見逃してしまうことがないとはいえないという点である。これはその通りだが、個別の論文は目につく露岩にすぎず、それはただきっかけであって、そこから基底のほうへ下っていく通路を常に開いておくことを自分に言いきかせるほかあるまい。そこで完結したガリマール版の全集から、題名中にニーチェの名を含むもの、論中にニーチェに関する言及の多いものを、目につくかぎりで抜き出してみると、次のようになる。

1、「ニーチェとファシストたち」、三六年(六〇枚)
2、「ニーチェ・クロニック」、三七年(四〇枚)
3、「ニーチェの狂気」、三九年(一五枚)
4、「序文」(『ニーチェ論』)、(四〇枚)
5、「ニーチェ氏」、(四〇枚)
6、「頂点と衰退」、(八〇枚)
7、「ニーチェと民族社会主義」、(一〇枚)
8、「ニーチェの内的体験」、(一〇枚)
9、「ニーチェの笑い」、(二五枚)
10、「ニーチェとコミュニスム」、(二〇枚)
11、「ニーチェとイエス」、(六〇枚)
12、「ニーチェと禁制の侵犯」、(四五枚)
13、「ジッドとヤスパースによるニーチェとイエス」、(四五枚)
14、「マルクシスムの光のよって眺めたニーチェ」、(二〇枚)
15、「ニーチェとトーマス・マン」、(四五枚)
16、「ニーチェはファシストか?」、四四年(一〇枚)
17、「ジッド・ニーチェ・クローデル」、四六年(一〇枚)
18、「ニーチェとウィリアム・ブレイク」、四九年(三〇枚)
19、「ニーチェ」、五一年(一〇枚)
20、「ツァラツストラと賭の魅惑」、五九年(一〇枚)

 これらは全集の番号の若い順に、また収録順に並べたものである。執筆年、あるいは発表年がわかっている場合は末尾に示した。また()内の数字は翻訳した場合に四百字詰めの原稿用紙でどれくらいの量になるかを概算で示したものである。1と2は実は連続したひとつのものである。だから以後二つを合わせて、「ニーチェとファシストたち」と呼ぶことにする。4から8は一九四四年刊の『ニーチェ論』からで、そのうち4、5、6が本文、7、8は補遺である。10から12は、「呪われた部分」の一部として構想されたが生前には刊行されなかった『至高性』からのものである。13から15は全集では付録として扱われているが、13は11の、14は10の、15は12のもととなった原稿である。従って10から12は一九五二、三年頃の執筆と推測される。16以下は戦後の補遺的なニーチェ論で、そのうち16は7のもとになった原稿である。特に言及しなかったものは、独立した論文として扱われている。
バタイユにおけるニーチェというテーマで書くためには、これらの論文を主なる対象にすることになる。しかし、それには欠落している部分があるので、それをあらかじめ明らかにしておく。それはここには、彼がニーチェを読みはじめた最初の時期のことを示す論文がないことである。標題から推測できようが、彼のニーチェ論はいきなりファシスム批判の文脈の上で現れる。それ以前の彼のニーチェ読書は、この一覧からは必ずしもうかがうことができない。
 ほかのところから知りえたかぎりでは、バタイユは一九二〇年頃から徐々に信仰を失っていったが(「自伝ノート」では、ロンドン旅行からの帰途、ワイト島のベネディクト派の修道院に滞在中に突然信仰を失ったと書いているが)、そのかわりにニーチェの像が彼のうちに食い込んでいったように見える。そのときニーチェはバタイユに、神の概念、少なくともキリスト教的な神の概念に頼らずとも、神的な体験が可能であること、そのゆえに神の名は拒絶されるべきであることを教えたのではないか。バタイユはこの示唆に従って、少しずつキリスト教的な思惟の方法と用語から抜けでるのである。
 ただこの時期のことについては今は十分な証明ができないので、保留するとして、ともあれこれらの論文を読んでみる。すると私はいくつかの印象を受ける。ひとつにはニーチェがかなり戦略的、実践的に読まれていることである。そしてそのためか、時期によってバタイユにおけるニーチェは、かなり違った様相を見せる。変化は戦争以前、戦争中、戦後の時期にほぼ対応している。
 戦争以前のニーチェ論は、標題から明らかなように、ファシスム批判のために書かれている。ニーチェはドイツ・ファシスムの思想的な先行者のひとりとして喧伝されたが、バタイユからみればそれはニーチェを歪曲するものであった。だから彼はファシスム的なニーチェ像を批判し、ニーチェを奪い返さねばならなかった。そしてそれがバタイユにとってはそのまま反ファシスム闘争の重要な支柱のひとつであった。
 これにくらべると戦争期のニーチェ理解は、内在的なものだといえるかも知れない。フランスはドイツ軍の占領下にあり、バタイユには「社会科学研究会」も「アセファル」もなく、しかも結核を発病して療養の身であって、彼は自分の内部をのぞき込むほかなかった。この時期のニーチェの像は神秘主義的であり、「内的体験」と深く絡みあって現れる。
 戦後のニーチェ論で目につくのは、コミュニスム批判の文脈で読まれたニーチェである。彼はこの〈戦後最大の問題〉に取り組むにあたって再び、ニーチェの視点に拠っている。それ以外では、彼は他の作家思想家のニーチェ論を批判し、また以前のニーチェ理解を反すうして、多面的な展開を見せているが、私はかならずしも戦争以前、あるいは戦争下のニーチェ論のような緊張を感じない。戦争は終わったこと、また一九五〇年くらいからすでに彼の健康が衰えはじめていたことが原因になっているのだろうか。
 とりあえずこのように分類される彼のニーチェ像の諸領域のなかから、他の領域との接点を見失わないよう留意しながら、私はまず戦前のニーチェ像、すなわちファシスムと争った時期のニーチェ像を問うことにする。若年の出会い以来神の存在に変わって刻み込まれたニーチェの像は、この時期に最初の現実的試練を受け、次にくる神秘主義的なニーチェと対になって彼のニーチェ理解の最大の振幅を形成し、その動揺のなかにバタイユ自身の思想の根底をも覗かせるように思われるからである。

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