犬の名前

倉田良成



ふいに隣の犬の名前を忘れる 赤い屋根の家で寝そべっている 耳の大きな甘ったれ 男嫌いという話だが どうなのだろう このごろはあまり吠えかかりもしない 風が襲来すると 肺葉いっぱいに冷たい酸素が湛えられる 小さな白い鏡のように 冬の空を映す太陽はほぼ真南にある クルトン は猫の名前だった まだ飼い主を捜して鳴いているのだろうか 去年は動物にとって受難期だ 公園の青い滑り台では 女の子がうつ伏せになって降りてゆく ここは子供たちの衆会所だ 戒律もあれば神学もある 私たちには永遠に理解できない言葉で 水べりのシダレヤナギは一月の沈黙のなか 真昼の遠い星々と交感している 空の奥深くピンのように光る 音のない機影よりもっと近いところで 犬はいまあくびをしている 彼女は人と眼が合うのを好まない 主人がなにか言っているが 私には聞きとれない 犬は「おあずけ」の姿勢をする 名前のないままで 一九九三・一・八

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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