[組詩]

清水鱗造



   * 顔が床に張りついている ほとんどが笑いかけた顔 笑いかけて途中でやめた顔 あるビルの一室で 僕は駅を発つ列車を見送る 煙は窓のほうに向かってたなびいている 何者かが部屋に入る気配 床を擦る衣服の音がする 赤や黄色で彩色した顔は 床でそれを見ている 細いやすりのような耳鳴りが 建造の音にまじって聞こえている    * そこにたしかにタワーはあるのだけど 見えない 高層ビルの谷間 そびえている空無のタワー 雲は高層ビルのガラスに映り 雪は地面を白くした 季節は移り タワーの評価額は百億円も上がっている 高く電波を発する透明なタワー バグが駅を空洞にもする ホームの中あたり 四角く穴があいて地面が見える その駅を利用する人は透明なホームに降り そして街へでる 人たちは中ほどが空洞になって空が見える 高層ビルに上っていくのだ    * 球体の内側に街を造るのは 骨が折れる 逆さまにビルを建てなければならない 地平線の向こう大気は円く歪んでいて 不安の魚も逆さになって泳いでいる でもともかく この内側に道をつけ線路を敷いて 逆さに走ることが要請される そうだな このワイングラスを逆さにして 一滴の赤い液体をこぼさないというのなら 君にも造る資格があるだろう と僕は言われた でも 髪を海藻のように空から揺らめかせ 地味な服を来て まるで空のクラゲの風体で 奇態な街を造る人の住処があるのも とどのつまり 単なる風の行方の 気まぐれではないのか    * 顔を彩色する 縞模様と 付け鼻 いっぱしのダンディな遊び人になって 僕は出かける 包帯をぐるぐる巻きにした夕暮れが しらじらと笑いを寄せてきた きちんと君の顔を整理しなさい マニュアルが整然と並ぶ本棚のように ちっ 僕は唇のはじから赤い布を吐き出してみせる 一輪車に乗ってバケツの水を運んでみせる 僕の顔を整理する 赤い縞 青い縞 付け鼻 顔をカバンに詰め込んで 去ろうとする いちばん人が驚くのはそのときだ 全てを白く白く隠匿した ピエロが裸をみせるからだ    * あのころのノートを 開いてみるとこう書いてある 《屍を抱き締めて湧いてくる有機音  それもまたほかの営みと同じほどに  あなたの踵を留まらせる  どこかで鋭い刺が笑っているのは  あなたが屍を抱くその姿態をではない  水も動かない 穂も動かないそのほとりに  ひとりの醜い死者も見いだせないからだ  抱き締めているもののトルソの白さに気づいたとき  あなたは鳥肌をたてて舗道を歩くのである  歩み去るあなたの背後で  葬送歌と頌歌よ がなりたてろ》 褐色のコーヒーに 蜜とミルクが垂らしこまれる 僕はがなりたてる 葬送歌と 頌歌を あのころはまっさらな海だった いま剃刀が海の一枚一枚を プレパラートに作ってゆく    * あなたは振り向いた こちらに手を振ろうとする なんだかよくある場面 でも僕はとんでもないことを考えているんだよ 僕の黒いコートの裾が地下鉄のホームで たなびいて 足音がこの場面を貫いて そして劇が始まるなんて 普通のことを 僕ができるはずもない あなたのおでんの煮える時刻と 僕のお好み焼きの焼ける時刻が たまたまニアミスして それで別の大陸に飛行したってこと あなたにも意見はあると思う 朝の歯ブラシはそれぞれで 南海に旅に出たりして それが歴史なんてね 劇は始まっても始まらなくても それは誰も関与しない ほんのすこしだけ 僕たちは足の裏に同時に汗をかく そしてナイトキャップをして 深夜のラジオを聞きながら 単純な眠りにつく    * あの人がもしいるとしたら 洗濯物を干した陰だと思う はたはたはたはた シーツは風に擦れ ポリエチレン容器から 白い布を出していると思う あの人がもしいるとしたら あの白いシーツの陰にいると思う 昼の月は東にかかり 水道塔はそびえているにしろ あの人はたぶん もしいるとしたら 白いシーツの陰にいると思う    * 特定の山峡には一年の決まった時刻に 氷雨が降る 画面をその山峡に合わせひたすら待つと 西から東に細かな粉が流れるのを見ることができる 深夜ひとりで駅にいるとドップラー効果が 旅をうながしていた 雨が雪に変わるとき 三つの色のシグナルのように 刺の細かな選択肢が見えてくる 溶ける夜 プランクトンの死骸は降り注ぎ 建造中の工事の明かりは 脳葉の表に 毛細血管を伸ばし 街のはしのくずおれた男の 手のひらに顔を作っていった    * 仮面の掃き溜めの 表情のない白い 集積に 熱のない光が当たる 僕の水時計はあなたの砂時計と通じている 干からびた骨と 干からびた皮膚と そんなものだけど 遠い砂床の ヨーデルの化石が 山から山へ知らせを伝え 網状の凹凸を作っていく たぶん 絶えることのない分泌液が 顔に浸透していく    * 花粉の流れは 建物のあいだを 這っていく 釘のうちこまれた蝶の顔 人魚の絵のある壁に沿って 無数の蝶は移動していく 港である廃園の壊れた庇の下に 蚊柱は待っている 「夕景は廃れました」 その風鈴の先に 短い鎖骨が下がっている 縁側の前に溜まった泥水に 赤い布がちぎれていた    * 水仙が手榴弾によって 爆発する 水際の水仙は その気配を壊す そして 包帯を顔にぐるぐる巻きにした幼児が 何人も 橋を渡っていった 知っている その幼児はやがて 隊商に変わり 駱駝に青い色素を積んで オアシスにばらまくのを 僕は五桁の暗証番号を押して 扉を開ける 壁紙には玄関から 水仙の群落が描かれている    * その恋は透明 というのも 舞台の向こうに透けてみえる 舞台にはいない人との恋だから 舞台では大人の男女が 刃傷沙汰をやらかして たくさんの機械が稼動している そして男女は叫ぶ 夜に刻印する音声で 劇場は興奮して 泡だつ 緞帳は下り 人々はいっとき目だった女優に殺到していく 僕は煙草をくゆらせて裏道にでる たしかにそこに 舞台の裏にいた あなたが待っているのを僕はみつける だからそれは透明な恋

[ホームページ(清水)] [ホームページ(長尾)] [編集室/雑記帳]
エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.12目次] [前頁(金色の場所)] [次頁(大和世に舞う)]
mail: shimirin@kt.rim.or.jp error report: nyagao@longtail.co.jp