詩 都市 批評 電脳


第13号 1994.5.17 227円 (本体220円)

〒154 東京都世田谷区弦巻4-6-18 (TEL:03-3428-4134:FAX 03-5450-1846)
(郵便振替:00160-8-668151 ブービー・トラップ編集室)
5号分予約1100円 (切手の場合90円×12枚+20円×1枚) 編集・発行 清水鱗造


表紙-カタコラン教の発生とその発展-パタ パタ パタ-聖家族-鳥籠-鳥籠-あなたのすぐ前を泳いでゆく、かれい--冬の月-祭りの終わり-躊躇(ためらい)-虚構-廃家のカマにある内紛の火種のイメージへ-飛び石-スターティング・オーヴァー-「棲家」について 6-バタイユはニーチェをどう読んだか 6-塵中風雅 10-Booby Trap 通信 No. 4

カタコラン教の発生とその発展

田中宏輔



 コリコリの農家の子として生まれたカタコランは、 九才の時に神の声を耳にし、全知全能の神カタコリの 前ではみな平等であると説いた。布教は、カタコラン の生誕地コリコリではじめられ、農家で働く年寄りを 中心に行なわれた。そして、信者の年齢層が下がるに つれて、コリコリからカチカチへ、カチカチからキン キンへと布教地をのばしていった。こうして、次々と 信者の数が増加していった背景には、カタコランの説 いた教え*が非常に簡単明瞭であったことと、祈祷の際 に唱えられる言葉*が極めて簡潔であったことによる。  やがて、カタコランは、カタ大陸を統一し、カタコ ラン教*の国を打ち建てた。その後、カタコランの後継 者により、カタからコシ、フクラハギの三大陸にまた がる大帝国がつくられた。これをカタコラン帝国という。  * カタコランの説いた教えというのは、要するに、神カタコリの   前では、みんなが平等であり、人間の存在がカタコリによって   実感されうるものというもの。  * それは、次のような言葉である。「カタコーリ、コーリコリ。カ   タコーリャ、コーリャコリャ。ハー、コーリコリィノコーリャコ   リャ。」日本語に翻訳すると「ああ、これはこれ。ああ、それは   それ。はあ、これはそれったらこれはそれ。」となる。  * その教えをまとめたのが「カタコーラン」である。 参考文献=ニュースタディ問題集・歴史上


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パタ パタ パタ

田中宏輔



部屋から 出ようとして ドア・ノブに触れたら 鳥が くちばしで つっついたの おどろいて テーブルに 手をついたら それも ペンギンになって ペタペタ ペタペタッて 部屋の中を 歩きまわるの (カワイイけどね) で どうしようか とか 思って でも どうしたらいいのか わからなくって とりあえず テレビをつけようとしたの そしたら バサッバサッと 大きな鷲になって 天井にぶつかって また ぶつかって ギャー なんて 叫ぶの で こわくなって コード線を 抜きましょう とか 思って て あわてて 思いとどまって (ウフッ) (だって、これは、ミダス王のパロディにきまってるじゃない?) って 気づいちゃって (タハハ) 思わず 自分の頭を 叩いてしまったの パタ パタ パタ


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聖家族

田中宏輔



(内臓はからっぽ)死んだ馬の胸の中に、 紙縒(こより)で拵えた聖家族が暮らしている。 1:12 a.m. 雨が降りはじめた。 聖家族の家は茸のように雨に濡れる。 小鳥は頭蓋骨に雨を入れて持ち歩いている。 雨は小鳥が頭蓋骨に入れて運んできた。 0:47 a.m. すべての雨粒が空中で停止した。 聖家族は三人なのに四人いる。 0:25 p.m. 雨粒がいっせいに上昇しはじめた。 小鳥は頭蓋骨に雨を入れて運ぶ。 雨は小鳥が頭蓋骨に入れて持ち去った。 肋骨と肋骨の間に虹が架かる。 聖家族が戸口に立って空を見上げる。 空櫃(からびつ)を逆さにしたような、 (カラーンとした)空だった。


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鳥籠

田中宏輔



みんな 考えることが おっくうに なったので 頭を はずして かわりに 肩の上に 鳥籠をのっけて 歩いてた 鞄を抱えた 背広姿の人も バス停でバスを待つ 女の人も みんな 肩から上は 鳥籠だった 鳥籠の中には いろんな鳥がいた いかつく見せたい人は 猛禽を かわいく見せたい人は 小鳥やなんかを 入れてた いろんな鳥が鳥籠の中で 鳴いてた でも 中には 死んだ鳥や 死んだまま 骨になったものを入れて 平気で歩いてる人もいた さっき 病院の前で 二羽も 飼ってる人を 見かけたから ぼくは その人に ぼくの小鳥を あげた これから ぼくは ぼくの鳥籠には 何も 入れないことにするよ だって 小鳥を飼うのも 面倒くさいもの


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鳥籠

田中宏輔



引っ越してきたばっかりなのに、 ほら、ここは、神さまの家に近いでしょ。 さっき、神さまが訪ねてきたのよ。 終末がどうのこうのって、うるさかったわ。 だから、持ってた布団叩きで、頭を叩いてやったの。 でも、まだ終末がどうのこうのってうるさくいうから、 台所から、包丁もってきて、ガッ、 ゴトンッて、首を落としてやったの。 まっ、首から下は、返してあげたけどね。 はいはいしながら、帰っていったわ。 首は鳥籠に入れて、部屋に置いてあるのよ。 お父さんの首の隣に吊るしてあるの。 お化粧したり、飾りをつけたりしたら、 けっこう、いいインテリアになるわよ。 えっ、また、うるさくしたらって? 大丈夫よ。 お父さんのように、火のついた棒で脅かしておいたから。 それにしても、わたしの終末なんて、 そんなもの、どうしようと、わたしの勝手よねえ。


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あなたのすぐ前を泳いでゆく、かれい

関富士子



ぼくは戻ってきた。扉をたたき正面に立ってのぞき穴を、 見つめた。鍵をあけて中に入るとカーテンは、 いっぱいに開いて日光が部屋の隅々を照らしていた。庭の、 ひいらぎの葉のとがった影だけが白い壁に揺れていた。ぼくは、 机の上に自分あての手紙を見つけた。あいつの筆跡で、 封がされ切手も貼られていた。 お帰りなさいあなた、あなたが帰ったときこの部屋に、 ひいらぎの影だけが揺れているのを見るでしょう。 あなたは手紙を読んでから荒れた庭のこでまりの茂みに、 新しい芽がたくさんついているのを眺めます。裏へ回り、 北側のトウヒの下の土がくろぐろとしていつまでも、 乾かないのに気づくでしょう。いぶかしんで地面を撫で、 そこが掘り返されたのではないかと調べます。 あなたは悔しさに震えながら家を飛び出して行くでしょう。 そこはぼくが夜じゅうかかって掘ったところだ。あいつは、 土を引っ掻いて手伝った。底から縁にスコップが、 届かなくなったので掘るのをやめあいつの肩に足をかけて、 外に出て丁寧に穴を埋めたのだ。しっかり踏み固め、 はい上がれないようにした、二度とぼくを待たないように。 それから鍵をかけて出て行った、二度と戻らないつもりで。 それなのにあいつの手紙が机の上にある。こんなことが、 もう百ぺんも繰り返された。なぜ知らないままに、 しておいてはくれないのか。 お帰りなさいあなた、あなたはこの手紙を読み終え目を上げて、 ピラカンサスの実から鳥が飛び立つのを見るでしょう。でも、 あなたはすぐに出て行ってしまう、激しい怒りにかられて。 町をさまよいながら誰彼となく哀願するでしょう、 ぼくと一緒にいてくれと。何人かはその奇妙な、 恐怖の表情にひかれてあなたの手を取るかもしれません。 その一人は手の指全部にリングをつけてあなたを、 守るために武装した女です。たてがみのような髪を揺すって、 身をかがめ筋張った手であなたの涙をぬぐい、 口に食べ物を押し込んでくれるでしょう。あるいは、 丸い頬の少年が憐れみぶかく添い寝をしてくれます。 彼はとても小さくつつましやかであなたを脅かしません。 ぼくはあいつの企みを尋ねた。いかにも同情するそぶりだが、 やつらが回し者であることは確かだ。たとえ新しい家族という、 信仰を説く者たちであっても。あいつと、 関わりがあるかぎりぼくはやつらを愛することはできない。 お帰りなさいあなた、あなたは疲れきって、 ぎしぎしとソファに横になります。輝きと闇を繰り返す、 苦しい夢の最後にくっきりとしたある情景を見るでしょう。 この庭から始まってどこまでも続くゆるやかな海岸。 波打ち際で晒された枝を拾いながら、私たちは歩いて行きます。 この幸福を永遠のものと信じて。 海に流れこむ小さな川にかれいが泳いでいてひらひらと、 上下にからだを揺らします。編み目のような光が伸び縮む中を、 すぐ前を泳いでゆく、あなたはそれを追いかけます。 浅い水の中をいっそう平たくなって泳ぐかれい。 あなたのよろこびの声があたりに満ちて。 ぼくはその夢を幾度も見た。声も光も水の温かさも、 よく知っている。ではあれは本当にあったことなのか。 ぼくとあいつはほんとうにあのよろこびを、 二人で味わったのか。今ぼくたちは、 ただ一つのことしかしない。手紙を書くこととそれを読むこと。 すべては仕組まれてこの手紙の中にあるのだ。 お帰りなさいあなた、あなたはまたもや、 帰ってくるでしょう、この手紙を読むために。 すべてを解き明かすなにごとかが書かれていやしないかと。 でもあなたはこの部屋の静けさに耐えきれずに、 出て行ってしまう。街のあらゆる電話ボックスの、 受話器を取ってでたらめの番号を回す。一度も鳴らないうちに、 切ってしまうでしょう。すると切るより先に、 受話器を取る者がいます。男ならあなたの、 父、兄、弟のいずれかでしょう。だれにしても、 彼はあなたに多少なりとも似ているはずです。疑い深いくせにすぐ人を  信じてしまう。左足からしか踏み出せない。ふらふらと道の真ん中を  歩く。店のテーブルに座ってもだれも注文を取りに来ない。 もしもしお父さん、あなたのことを何も思い出せない。 あいつの言うことが本当なら、あなたはぼくより年下のはずだ。 ぼくの弟だ、その前に兄や父だったことのある人だ。 そして今はぼくがあなたの兄だ。あなたは電話でうまく話せない。匂い  をかいでから食べ物を口に入れる。よくいろんな物を拾う。小さな手  製のぬいぐるみや、自転車の鍵や、縁のめくれ上がった連絡ノートや、  真新しい名刺の束や。 お帰りなさいあなた。あなたは手紙の中に一枚の写真が、 同封されているのに気づくでしょう。一人の男が立っている。 若いようにもひどく年を取っているようにも見えます。彼は、 呆然としてこちらを見ている。その額に、 ひいらぎの葉のぎざぎざの影が映っています。そして、 目の中にカメラを構えた私が映っている、よく見て。 私はファインダーから彼を見ています。そのとき、 その背後にたくさんの彼が続いて立っていたのですが、 写真ではいちばん手前の彼しか見えません。あなたは、 背後の彼を見ようとして思わず写真を裏返す。 そのとき写真の真っ白な裏側に回ったあなたは、 彼の列のいちばん最後につくことになるでしょう。 そこからはすべてが見わたせます。死後に現世を見るように、 生まれる前に未来の夢を見るように。 ぼくは自分の列のいちばん最後につこう。そこからは、 すべてが見わたせるかもしれない。 あいつのでたらめのお陰で、起こったはずのことが疑わしく、 まだ起こらないことが懐かしい。ぼくは写真の男の背後を、 覗くように首をひねり、写真を裏返した。しかしそこからは、 何も見えなかった。ただカメラのレンズがこちらに、 向けられていた。その背後のガラス越しに、 ひいらぎのとがった葉が揺れていただけだ。


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長尾高弘



流し台にみかんの皮が2つ 飛び散っている 彼女が2m先からそれを投げ 「今日は何もしないのに疲れた」 と言った みかんの皮が当たって洗剤が流し台に落ち ころんころんと乾いた音を立てた 横に立っていた私はびくっとして卑屈になり みかんの筋が皮から飛び出して流しの外に広がっていたのを 拾って流しに捨てた (筋なんか丁寧に取っていたのは私の方だ) みかんを食べたのは夕食後のこたつ 彼女が2つ持ってきて1つを私に差し出した 私が筋を取っている間に 彼女は食べ終わっていた (そのとき何を話していたんだっけ) 彼女が寝てから台所に水を飲みに行く 流し台にみかんの皮が2つ 飛び散ったまま残っている


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冬の月

長尾高弘



夢のなかで的を狙う ドン ドン ドン ことごとく外れる 夢ってやつはいつでもそうだ 憤然として目覚める 身体がこわばって重い おまけに えらく寒いではないか そこでまた寝て 夢を見る * いや 寒いからといって眠っているわけにはいかないのだ ふとんから身体をメリメリメリと引っぺがし あらゆる先端に血をシュワシュワシュワと送り込む しびれるように新しい朝 (さて 今日は何をやらなきゃならなかったんだっけ?) そして 私は夕方の神保町を須田町に向かって歩いていた 朝が寒ければ夕方も寒い デコボコのビル群に灯ったライトは夕空ににじみ そのすぐそばに大きな月が浮かんでいた 地面に近い月はなぜか大きく見える その月を見ていたら 地球は丸いんだなと思った 月の神保町からも大きな地球が見えるだろうか?


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祭りの終わり

倉田良成



朝 空のおくにむかって立つ 電信柱が岬のように光を浴びている 大理石のつめたさで いま 世界は秋のただなかだ 丘のうえの小学校へ上ってゆく 子供たちの帽子がまぶしい どこまでもあおい無限のうちをただよって しんかんと 草花の咲きみだれる服を着ける 化粧して 死者のように 十月の明るみへと通過する とつくにのひと 全盲のギリシャ人 彼の摺り足はめったにない美しさで 曲線を描く このクニをかこむ さかまく波のうちがわを 秋という 季節があるのではない それは冬にむかって下降してゆく 意識のプロセスそれ自体だ と少年の私は書く いまならば言おう 秋は意識ではない それは人の夕ぐれを生きることそのものだと 遠くのほうから ながれてくる水のオルガン 流星のしきりに飛ぶ夜 火を泛べたグラスに口をつける 悪魔の存在を証明できるか? 飲んだくれのポールがうるさく問いかける カウンターの横に座って むしろ ちいさな旅の歓びについて話をしよう アルコールを飲んで アルコールの入らないときのことを思い出すのは 愉しいものだ 秋 すべての町内で祭礼が終わる 空を映す鏡のように とつぜん神々はいなくなる にわかにやってくる冷気のきらめきのなかで 人々に 「それ」はやどるのだ 離れていたこいびとの透明な微笑や しずかに交わされる目礼のうちに 湯のようにあふれでる 花器の幻のうちに (ひとつの祝祭が終われば やがて めぐってくるつぎの祭りまで時をつちかうのだ) サンダルを履いて 女たちが朝の光の市場に集まってくる


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躊躇(ためらい)

園下勘治



仮の世に煩悩だけがしんじつ 時計の針も 石庭の悟りも当てにならない 素足で歩くきみの回廊 心も肉に変わるから 木の葉の揺らぎ、一千年の陽溜り この祝福に耐えねばならぬ 風に乗って、川向こうから聞こえてくる 子守歌には耳をふさげ たとえつま先が水に濡れていても 波と波の結び目に紅い花びら もう戦いの相手さえ思い出せないけれど 心はやわらかいままにして この世の祝福に耐えねばならぬ

(連作・死のレッスン 3)



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虚構

園下勘治



ローマの休日を観て思った 昔のスターは目の中に星がある 古い少女マンガの虚構だと思っていた あれは嘘っぱちさ、と今ではみんな まるで妖精のように あれは嘘っぱちさと今ではみんな 夢の中の夢こそが 忘れ去られた現実だなんて いったい誰が教えてくれただろう 夢の残像ばかりを追いかけて もう何も見ない目に星はなく セピア色の頭蓋の奥の空間へ 死んだ人が死んでいない 生きている人が死んでいる

(連作・死のレッスン 4)



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廃家のカマにある内紛の火種のイメージへ

沢孝子



尋ねたところは淫乱と武乱のイメージが格闘する廃家だ 黒糖づくりのカマの液 陶器づくりのカマの土 それぞれの歴史の秘密の扉を押して ずーっと気になりつづけている 島の液のながれ 森の土のもりあがり それらが交わる関係の 内なる無知の問答が始まる それは古代から保ちつづけられてきた 窪みであり 重みであり なんらかの矯正によってしか 真実は明らかにされないだろう 月の便りへは裏切ってきたから 梅の便りには服従してきたから 霊液となった古体が冴えてくるカマよ 偽土となった肉体が狂ってくるカマよ 緊迫してくる民族の内紛の 火種となる要員の炎に照らされる とうきづくりでないさとうづくりを どろどろした土ではないどろどろした液を 竹ヤブに隠れていたい 宝となった黒糖の時代の岩屋で 裏切りつづけた 内なる淫乱のイメージがわきたつ 冷たい風が吹き抜けてきて 月の羽衣の自由の歌の悲しさをかわしていると 近代に閉じ込められていった あの古代の呪文が そよそよと空に舞い上がって 今 何を語りだそうとしているのだろう 宝の島がなしがたべていたピーナツがなつかしい 月の便りに冴えてきて 内なる黒糖づくりのカマがもえる 大和化の淫乱の胸をひらくと どろどろの霊液に 滲んできた物語があり 竹ヤブに吹いてきた冷たい風の 岩屋に隠れていたい 今も泣きつづけて こだわっていたい物語なのだ さとうづくりでないとうきびづくりを どろどろしたろ液ではないどろどろした土を 屋敷へは訪れたい 壷がある陶器の時代の居間で 服従しつづけた内なる石頭の武乱のイメージがさまよう 複雑な空を抱えている 梅が立つ器の形式にある暮らしの厳しさをくぐりぬけると 現代に閉じ込められていた あの伝統の四季が ふれている座の風のつぶてに受けて 今 何を問いかけようとしているのだろう 壷の森そうりょがたべていたイチゴにふるえる 梅の便りに狂った 内なる陶器づくりのカマがひえる 反大和の武乱の心をとじると どろどろの偽土に 透通ってきた古典があり 屋敷で抱えていた複雑な空の 居間を訪れたい 今も気負いつづけて のめりこみたい古典なのだ 尋ねたところは淫乱と武乱のイメージが格闘する廃家だ 内なる秘密の扉をおして 月の羽衣の自由の歌へ 梅が立つ器の形式にある暮らしへ ずーっと気になっている無知なるカマへの問答が始まる 裏切ってきたなつかしいピーナツをたべ 服従してきたふるえるイチゴをたべて もえてくるカマの大和化の胸で 窪みとなっている竹ヤブの時代をひらいてみたい ひえてくるカマの反大和の心で 重みとなっている屋敷の時代をとじてみたい なんらかの矯正によってしか 真実は明らかにされないだろう 隠れていた岩屋で 語りだしてきた古代の呪文があり 訪れていった居間で 問いかけていた伝統の四季があり 緊迫してくる民族内紛の 火種となる要員の炎に照らされる こだわりつづけている物語の淫乱のイメージには どろどろの島の液のながれ さとうづくりの悲しい歌で! のめりこみつづけている古典の武乱のイメージには どろどろの森の土のもりあがり とうきづくりの厳しい暮らしで!

(改稿)



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飛び石

清水鱗造



微風が止む前に 言っておきたいことがある あのマネキンは さんざん喋って それでマネキンになったこと ショーウインドーの前で しょうもない囁きが たくさん呟かれて それで飽きちゃったんだ * 屋上庭園には つぶれた書物があり それがどろどろ溶けて 排水溝を詰まらせた きちんと整理された書斎の書物の横の 排水溝をね * 花粉 花粉 花粉 密かな粉 花の奥を抉って 路地を通じさせて 地蔵なんか置いて ミニ植物園を造って 実験するのは気持ちいいね * それだけだね気持ちいいのは でもね 全体的に腐食することってある いつのまにか誰にでもやってくるんだ 酸がざんざん降っていることなんか 肌に艶があるうちには 気づかないだろう 誰も * ようするに 路地を通っているときに これは花弁の中だなんて 気持ちいい感じがさ それ自体が 机の前の鉢植えのミルクブッシュと同じってこと * 〈お知らせ〉 ぼくはきみが好きです * 〈お知らせ〉 調子いいときはね 頭の * やあ 草取りだ 草取りだ ツツジがこんなに雑草に 埋もれてるじゃないか 二階から落とした ハーブが芽をだして 繁茂している だけど ごく単純な ハーブ * ふとシャベルをとめて こんなとこにいるのかとか 汗かいているのかとか 腐食の速度がわからなくて 深呼吸して太陽をみたりして それが背後から見れば 直立した骨なわけ * 陰陽まじわって 矢印が前むいて 人いきれが そのまま 林の フィトンチッドだということはね わかっているよ * 〈お知らせ〉 さりげない人生こそきみの求めているものでしょう * 〈お知らせ〉 糞くらえ! * で、ウチの犬はわざわざ猫の 糞を食べるの 糞食べるのなんか普通だよ 自分のおしっこなめて 「からいー」なんて それくらいは 今日のお料理だよ * どうしても娼婦の顔が 思い出せないってことがある 堕ち込んで でもビジネスライクに 日々の草を刈って よすがにしている のはね 草取りをする ぼくが娼婦の証拠なの * きみのがいくぶん 傾いでいるのかな ぼくの船より サンドスクリーンを どんどんかけていけば 傾いでいるほうがきれいだよ * 島の掘建て小屋から 生まれたきみの 肌に染み付いた しきたりが ハンバーグステーキを注文させるのは 当然といえば当然だ * 〈警告〉 肛門に飴玉を入れるのはやめましょう * 〈警告〉 きみは痔疾なんだ! * というわけで 硬化療法というのをやった 先の曲がった注射器を肛門から入れて 硬化剤を注入する でも血がたまに漏れるのを 無理やり止めることはないじゃないか * 煙草すってると 白い服を着た処女がたくさん 雲のあいだを 蝋燭をもって歩いているんだよ なんだかぼくは 哀しくなって 泣いてしまったりする * あれはぼくの一部 ぼくの葬列のね でも背後から見れば ゼリーのなかの甘い果実 * だから湿ったことばかり 言ってられない そう言うまに あの処女たちは同じ歩調で どんどん歩いているから * 雲の下 川原を歩いていると 草木の幽霊がいます という立て札がある そういえば 流れに向かって葦の半分くらいは白く枯れている * おばけが飛んでいる 葦のあいだに 暮れ方の虫を捕える コウモリと親しそうに * 釣人の竿が 昔への通路みたいに 弓になっている 煙草の先の火の玉を 草履でもみ消す * 日の隔たりだけが あるような 白爪草だけがぽつぽつと 続いているような 通路 * 石を投げると 鉄橋のほうに 水面を飛び石になって跳ね 茶色い流れに沈んでいく * 向こう岸でちろちろ燃えているのは なんだろうね 地面を一カ所這うように 光がまとまって * オペラグラスの向こうに 裸のマネキンが立っているのが 見える 古い書類の束が 文字とともに はらはらと崩れている


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スターティング・オーヴァー

駿河昌樹



師は老いてその老いのさまあきらかに紅葉しゆく秋の大学
そのこともまたあのことも終わりゆく秋来る海に溶けていく足
歌うこころ長く曇りし後の空よ去りゆくときを雲はうつくし
かなしさも光から来るたぶん、たぶん夕暮れていくテールライトよ
水無瀬川われらの言葉とまるとき秋のふかさは流れ続ける
誘わずにひとりで行けばあかるくてセンチメンタル・ジャーニーの海
ひとたびも愛は語らず沖をゆくひかり見るばかり立っているばかり
夕暮れの暗さに押され背に触れるいまきみを抱くこの手のひかり
風がふく唇の端をあたたかき春の一日の夢のなかより
あたたかさ肩に流れるたたえるべき太陽のもとに訃報も眩(まぶ)
腕ひかることの喜びぬぐわねばいのちの証見るごとき汗
わが友はたぶん時のみ 過ぎてゆくものみな彼の友情のさま
習慣という語みつめてそのページに左手おおきく開きて向かう
「文学を学んでいます」と懐かしさのすがたして森のなかの十八
胸に顔埋めることの自然さのやまい癒すべく吸う半熟の黄身
コーヒーの底の微量の黄金砂含まずに発つきみもわたしも
すがすがしき朝木造りの手洗いの鏡の顔のうしろの青さ
鳴く鳥の鳴き続け止みまた始む受け身の生も豊かならんか
白き紙のべてなに待つ有限の歳月貸与されしからだで
ほの青き闇の夕暮れ暮れていくこと耐えがたきまでの喜びと知れ
通り過ぎる車の速さ滅びへと急ぐ内なるものを覚ましむ
時刻表に明るきひかりただ逢いて別れる時期が変質はじむ
カシニョールの一枚の絵の凡庸さしあわせのためにただ色を見る
汗つよく饐えしにおいの時計バンド洗いておりき夏の逝く宿
耳の底によみがえらんとする《ライン》よみがえるものはいつも紺碧
鏡見し時のあの目は美しく…… われへの旅のなかばの桜
水流れ澱みてまたも流れ出る場所きみは母の指輪継ぐなり
愛の色は赤ではないというように振るハンカチのナイルの緑
密林と大河ばかりの映画見て帰ること哀し仮りの帰りを
《スターティング・オーヴァー》をかける冷めた茶もかならずたぎる 再生はある
目を閉じて桃の香は嗅ぐ海と山そのうえきみが見える時さえ
山がありその山を見る見ることに癒されていくひとりの小径
ひとり歩むことの確かさあやうさも装いすべし肉桂色(シナモン)の靴
海のあの入江のあおさ失われ死に絶えるべきこころなおあり
若きこと罪にあらずと思う現在(いま)風に吹かれていることの価値
コート脱ぐ玄関の暗さアフリカの飢餓のフィルムに救われている
あれほどに愛せし女語ることなくかたわらにいて『愛人』終わる
手帖ひらきペン押しあてる アルベール・カミュがわれの何処にいないか
わが真昼過ぎつと思う花の色あふれる庭に汗ぬぐう時
フランス式庭園に故意に迷わんとするなにもかも知りつくしつつ
白き雲の白見つつひとに言葉ひとつかけずおり白の音聴いており
便りなき友の背浮かぶプルーストの革装背表紙裂け始めけり
『ブライズヘッドふたたび』だけを携えて晩秋の街を抱きに出かける
ブリジット・バルドーが泳ぐ黒いほど青ふかい海のように語るね
ひとりある夜のよろこび静けさを暴力と呼ばぬことのあやまち
とりどりの色のビー玉眺めいるほかにすべなきものの涼しさ
安時計のビニールのバンドふといとおし秋暮れる浜の紫のとき


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「棲家」について 6

築山登美夫



 戦後詩のいわば白紙還元が、70年代のはじめ、ほかならぬ戦後詩を担ってきた鮎川信夫によっておこなわれていたことは前回にみた。それがひつようとされたのは、もはや云うまでもあるまいが、私的な経験の奥処とそれを生みだした時代社会の経験との喩的照応の不可能性という事態が、この当時から、詩の営為にはげしい亀裂をもたらしていたからだ。ちなみに付けくわえれば、わたしたちの世代の者が詩の体験のとば口に立ったのもこの時期にあたっている。
 《戦争、敗戦、そして戦後現実の意味を、詩的な表出意識、方法、感受性に繰りこまざるをえなかった詩》(北川透『荒地論』・「あとがき」)としての戦後詩が、変容する現実の新たな枠組みをもとめる動きにふり落され、みずからの存在を難問とせざるをえない場処にやってきていたのだ。
 この70年代という時期に鮎川は『宿恋行』(78年刊)という、『鮎川信夫詩集1945−1955』(55年刊)いらいの新詩集を提出している。

 北川透の『荒地論』(83年刊)は、そんな「脱・戦後詩」の状況のなかから「荒地」派の詩人たちの営為を救抜しようとするモチフで書かれているが、と同時に深層では彼らの営為の持続にトドメを刺したとも云える本である。ここで独立した詩人論として論じられているのは、中桐雅夫、黒田三郎、北村太郎、田村隆一、三好豊一郎、そして鮎川信夫の六人なのだが、そのなかでも鮎川を論じた「放棄の構造」は、『宿恋行』を全面的に論じ、鮎川の詩にもっとも高い評価をあたえながら、同時に本質的な批判を提出している。
 北川は『宿恋行』を三つのモチフに分類し、その分離と融合のなかにこの詩集の世界をみる。
 (1)文明批評の意識と戦争体験の反芻、そのかさなりあい
 (2)性的な意識を軸にした私性の闇
 (3)死と老年の心境
 この三つの軸を駆使して北川は『宿恋行』をみごとに解析していく。すでに第1回でもべつの文章から引いたように、北川はここでも鮎川の戦後初期の作品「繋船ホテルの朝の歌」を、この(1)と(2)のモチフの融合を示すもの、融合のなかにモチフへの対象化の意志が貫徹しているものとして高く評価し、そして《自己の経験にかかわる対象化と、他者や情況的な世界にかかわる対象化が結合している》ところに「繋船ホテルの朝の歌」が成立していたとすれば、この対象化のなかに「放棄」の意志を現前化させてしまっているのが『宿恋行』だとする。ここでキー・ワードとなっている「放棄」を、北川は微妙な意味あいをもつ概念としてもちいているが、そのいくつかを抜きだせば、《他者に対する放棄の姿勢》《あらゆるものに対する加担の放棄》《世界に対する拒否や自由の位相で成立している放棄》ということになろう。
 鮎川において、なぜ、この「放棄」の意志が現前化したかを問えば、そこに大きな時代の変容を前提としなければならず、この変容のなかに対他的契機と対自的契機がふくまれていることもいうをまたないが、北川はこのうちの対他的契機について三つの指標をあげる。 『荒地詩集』の廃刊(「荒地」の詩的共同性の壊滅)、「詩人の戦争責任追及」の挫折、60年安保闘争に否定的な意味でもかかわりきれなかったこと――《これらが同時に顕在化した一九五九年から一九六五年の七年間に、鮎川はたった六篇の作品しか発表していない。この実質的な沈黙のなかで、放棄は醸成されていった。》(だが、とわたしは思う。すでに牟礼慶子『評伝』その他であきらかになったように、58年における鮎川の秘密の婚姻という事実がここに大きくかぶさってきていることをみれば、北川の云う放棄の醸成に、おのずからべつの照明があてられることになるだろう――それはしばらくおく。)
 ぼくたちは女気なしの部屋で炬燵を囲み、
 どのようにして戦後の社会をたたかいぬいてきたかを語りあったが、
 結局、めいめいの職歴と子供を何人作ったかということにつきていた。   (「消息」)

 貧乏人の息子で
 大学を中退し職歴はほとんどなく
 軍歴は傷痍期間を入れて約二年半ほど
 現在各種年鑑によれば詩人ということになっている         (「Who I Am」)

 たとえばこれらのモチフ(1)(文明批評の意識と戦争体験の反芻)に分類される作品において、モチフ(2)(私性の闇)は外がわから輪郭づけられるだけで(1)との融合ははじめからあきらめられている。逆にモチフ(2)の作品ではモチフ(1)を疎外しているために《自己意識が思うがままに個性的な表現をのぼりつめるにまかせられている》(北川、前掲書)。つまり鮎川の意識は外部世界と内部世界そのそれぞれにふりわけられ、外部世界(内部世界)に照明があてられるときは、内部世界(外部世界)が括弧に入れられてしまうのである。
 この両者の方法を自在につかいこなすことで『宿恋行』は成立したが、北川はそれを、かつては全円をえがいていたモチフの融合の放棄としてとらえ、批判した。しかもそこで鮎川の現在は微細に解析され、批判は「荒地」の他の詩人の現在にたいするよりもさらに詩にとって本質的な重要性をもつものとして提出されたのである。鮎川からすれば、それは時代の変容と私的経験の変容に挟撃された、そのはげしい亀裂のなかから、みずからの詩を可能にするためのゆいいつの方法であった。
 この北川の詩人論の発表とあい前後する時期に、鮎川は詩作を途絶し、そのことを公けにしている。外部世界――政治・社会・文明にたいするかかわりと考察ならば、それを散文で丹念に構成し、世界からの反応をくみいれるだけでじゅうぶん(に困難)である。内部世界は――それが外部世界と本格的に葛藤することがないならば、それじしんの消長にまかせるだけでじゅうぶん(に困難)である。詩の必要はどこにあるか。ここに鮎川の詩の危機は成熟したとみることができる。


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バタイユ・ノート2
バタイユはニーチェをどう読んだか 連載第6回

吉田裕



4 雑誌「アセファル」のなかのニーチェ(その3)

 今回は「アセファル」最後の第5号を取り上げる。第5号は前号からほぼ2年の間をおいており、その間の37年1月にはロールことコレット・ペニョーの死があり、また戦争の切迫を予感して、死が深く影を落としていることは、一読して読みとることができる。また判型も活字も小さくなっている。この号は「狂気・戦争・死」の特集名を持ち、「ニーチェの狂気」「切迫する戦争」「死を前にしての歓喜の実践」という短い三つの文章から構成されているが、それぞれは特集名の三つの観念に対応している。ただし前述のように、この三つの文章の著者は、発行時には無署名だが、実際はすべてバタイユである。二年を経て「アセファル」という場所に残ったのは、バタイユ一人であった。したがってこれら三つの文章は、いままでよりももっと緊密に、つまりトライアングルのように常に他の二つと結びつけて読まれなければならないだろう。そして当然と言うべきか、この号を貫いている原理もまたニーチェである。冒頭の「ニーチェの狂気」には、20行ばかりのエピグラフがつけられているが、そこでは、倒れた馬の首に抱きついて正気を失い、気を取り直したときには、自分をディオニュソス、あるは十字架にかけられたイエスだと確信するにいたったというニーチェの最初の発狂のことが述べられている。この事件は実は1889年1月3日のトリノでの出来事であって、「アセファル」第5号は、この出来事の五〇周年を記憶するためのものだった。
 バタイユはこの短い文章のなかに、『ツァラツストラ』から〈生きようとするものが自らの支配者となるとき、彼は自らの権威をあがない、自らの法による裁き手、復讐者、そして犠牲者とならなければならない〉という一節を引用している。生きるということにおいて、その人間が同時に裁き手、復讐者、犠牲とならねばならないということは、彼の生きるという行為がほかのなにものにも依拠しない絶対的なものになろうとしていることを意味するが、このような一節を書き記しているということは、バタイユ自身の生が、このような場所に追いつめられつつあったということを示している。ところでこのニーチェの一節は、バタイユが『内的体験』のなかで語っているブランショの言葉と直結しているように思える。バタイユが、内的体験を追求するとき、目的や権威等のものに対する配慮をひとつひとつ排除しながらも、ひとつの空虚だけは相変わらず残ってしまうという不満を訴えたとき、ブランショは目的や権威は推論的思考の要求するものにすぎず、内的体験はそれ自身で権威でありうる、しかしこの権威は罪あるものであって、その罪を自らあがなわなければならない、と答えて、内的体験には特異な根拠のあることを示し、大きな示唆を与えたという。バタイユがブランショと出会うのは41年頃、右の一節が含まれる「刑苦」が書かれるのはこの年の9月から10月のことであるらしいが、実際にはバタイユは、同じような意味の言葉を39年に見つけだしていると言えるし、また逆に彼やブランショが占領下で見ていたのは同じニーチェ的な経験であったとも言える。
 このエピグラフのあとには、二部構成の短い本文がくる。いずれも断章形式で書かれているが、第1部のほうには39年1月3日という日付が記入されている。いうまでもなくこれはニーチェ発狂五〇周年の日付である。この短い文章は印象の強いものだが、それはここに神秘的ニーチェの姿が否応なしに現れてくるように見えるからである。このノートの最初にバタイユのニーチェ像には、戦略的実践的ニーチェと神秘的ニーチェの二つがあるといったが、「アセファル」5号では、ニーチェの姿は前者から後者へと旋回し移行していくように思われる。この変容は狂気への関心によって媒介されている。狂気とは、後にバタイユが内的なと呼ぶことになる体験、先ほどのニーチェやブランショの言葉によって表されるような経験のことだが、それ自身だけですべてを根拠づけることを求めるような試みであって、そのような試みは、他者から見たとき理解のきっかけを与えないから、狂気と呼ばれる。しかしながら、バタイユの取り上げる狂気のなかには、彼のみが明らかにしえた、特異な姿があらわれる。つまり彼の「狂気」は、ほかのどの場合よりも徹底して他者と現実に依存するのを拒否するものでありながら、同時に他者と現実をいっそう深く遠く関係づけるものとして実行されるのである。この結果、移行は単に別のものに移り変わるというのではなく、両者をともに保持するようなかたちで、つまりバタイユにおいてはファシスム批判的な実践的な姿と内的体験という神秘的な姿を直結して保持するようなかたちで行われる。レイモン・クノーは、39年頃のバタイユについて、〈きわめて懐疑的。民主主義勢力をまったく「擁護」しない。彼はもはや政治とはいかなる関係を持とうとも思っていない〉という観察を残しているが、それでもバタイユが、必ずしも「政治的」であるばかりではない現実的なものとの関係を持ち続ける回路を探っていたことは明らかだとわたしには思われる。
 バタイユはこの回路の探求をまず、ニーチェの狂気がほかの狂気の場合と異なっていることを明らかにすることからはじめる。〈狂人たちの逸脱ぶりは、分類され、単調に反復されるので非常に退屈なものとなる。痴呆者たちに魅惑がほとんどないことは、論理のまじめさと過酷さをあかし立てることになる。だが哲学者というものはたぶん、その言説において、異常者たちよりももっと不実な「うつろな空を映し出す鏡」なのであって、この場合にはすべては破裂しなければならないのではないだろうか?〉。
 ついで、論理の果てに見いだされた狂気としての哲学者は、次のような様態を持つことになる。〈哲学者は人間の総体から独立して存在することはない。この総体は互いに引き裂きあう何人かの哲学者と群衆からできている。この群衆は、無気力状態であれ、興奮状態であれ、哲学者たちのことは知らずにいるのだが〉。しかし哲学者の側からは、この「総体」はいつも拒否し得ない課題としてあるのだ。そして哲学を通じて狂気のまぎわでおびただしい発汗を経験する者は、総体とのこの絆のおかげで、「歴史」にうちあたることになる。〈この地点において、冷たい汗を流す者たちは、歴史を眺める者たちに「闇のなかで」うちあたる。後者は変転する歴史が人間の生の意味を明らかにするのを見ているのである。なぜなら、群衆は互いに殺戮しあいつつ、歴史をとおして、両立しがたい諸哲学に結末――虐殺という対話の形態のもとに――をつけるというのは本当のことであるからだ〉。
 バタイユはここで、変転する歴史に追われ、歴史からくる意味付けを拒否することにまで追いつめられながら、それを哲学を検証する機会としてとらえ返そうとしている。ここで哲学と呼ばれているものは、次第に観念、思考、そして経験へと読み替えられていくのだが(それは第2部で、表現することや芸術また文学の持つ欺瞞に対する激しい批判として行われる)、この「哲学」が、不思議なやり方でいっそう深く回復される「総体」あるいは「歴史」との緊張した関わりのなかで検証されるという構図は、戦争を含む以後の期間を通じて不変となるだろう。
 では歴史のなかで検証される思考あるいは体験のなかからは何があらわれるのか。これも原理的にはすでに明らかであって、「死」というのがその答えである。〈歴史の完了と戦闘の彼方には、死以外の何があろう?〉とバタイユは反問しているが、「アセファル」第5号では、この問は「切迫する戦争」と「死を前にしての歓喜の実践」という二つの文章に受け渡される。いうまでもなく変転する歴史に相当するのが「戦争」であり、死の経験に相当するのが「歓喜の実践」である。

「切迫する戦争」は、三つの文章のうちもっとも短いもので、六つの断章からなっている。これらのなかでバタイユは闘争(この場合は反ファシスム闘争であり、ファシスムといわゆるデモクラシーに対する反感がはっきりと名を挙げて言明される)と生の同一視、文学的な遁辞への嫌悪を語っているのは前と共通するが、とりわけ目につくのは、総体あるいは共同性を強調する部分のあることだ。第3節で彼は次のようにいっている。〈人間の運命の果てまで行こうとするならば、単独のままでいることは不可能であって、本物の「教会」をつくらなければならない〉。この共同性は霊的な力を基盤とするために教会と表現されているが、共同的なものの不可欠が述べられていることには変わりがない。そして最後の第5節で彼は、この共同性が現今の状況においては政治的なものとしてあることをはっきりと述べる。〈あまたの人々が意味を奪われつつ地獄へと下っていくのを見たいならば、政治的な諸結果から切りはなされては不可能である〉。ここでもバタイユが、狂気を媒介にした絶対的な経験と現実の実践の間のさらに引き裂かれつつあった距離を、懸命に保持しようとしていたことが見えてくる。

「死を前にしての歓喜の実践」は、実は68年つまり五月革命の年に、詩人のベルナール・ノエルによって、今度はバタイユの名を出して刊行されたことがある。この文章は二つの部分に分かれているが、主要部たる後半は、理論的な叙述ではなく、どうやら実際に「歓喜」を経験するための手引きのようなものであるらしく、反復の多い祈祷文のような文体で書かれている。前半部はそれに対する序文である。エピグラフにはニーチェの一節が引用され、本文中の多くの引用も、すべてを確認しえたわけではないが、ほぼニーチェからのものらしい。冒頭でバタイユは、完了という言葉を数回使っているが、それは歴史の完了のことであって、無用性として追求される経験の条件を確認するためである。これを前提として、この文章の視点は、とりあえず「切迫する戦争」の反対側、それ自体としての権威を持とうとする経験の側に振り向けられる。そしてそれが宗教上の神秘体験と共通することが述べられる。〈「死を前にしての歓喜」という主題について、「神秘的」という言葉を使用する余地がある〉。彼が自分の経験について、神秘的という表現を使いはじめるのはこのあたりからである。同時に彼は「内的」という言葉も使いはじめる。彼は「歓喜」に触れるために、眼前の一点を凝視することから開始する。彼はこの一点を彼の全存在を集約する点とみなし、そこに苦悩、欲望、死等あらゆるものを集中する。するとこの集中によってそこに、〈純粋は暴力性、内部性、無限の深みへの純粋で内的な墜落〉が生じる。このエクスターズ(自己からの脱却)によって、恐怖と同時に「歓喜」を経験しうる、と言うのである。
 しかしながら、私にいちばん興味深いのは、神秘的あるいは内的といわれるようになったこの「歓喜」の経験が、現実との緊張した関係のうちに保持されていることである。そのことはまずキリスト教批判のうちにうかがわれる。〈その「死を前にしての歓喜」が内的な暴力になるような人間の持つ神秘的な存在性は、どうみても、それ自身で満足してしまうような至福、――永遠を前もって味見するキリスト教徒の至福と比べられるような――というものと合致することはできない〉。これは現実に目をつぶり、脱出して、彼岸のみを得ようとすることへの批判である。この批判はもっと一般的にされる。彼は「彼方」へと超越することをはっきりと拒否する。〈どうしてそのうえ「彼方」なるものが、またどうして「神」や、何であれ「神」に似たものがまだ受け入れられるということなどがあるだろう? 「彼自身を殺害する時間と舞踏する」人間が、永遠の至福を待ち望むことのうち逃げ込んでしまうような者たちに対して持つ幸福な侮蔑を表すには、どんな言葉も十分に明瞭ではないのだ〉。
 この考えは、本文たる後半にはっきりと反映している。後半部は6つの節から成っているが、その中心をなしているのは次の二つの文である。ひとつは第2、3節と二度繰り返される〈私は死を前にしての歓喜である〉という一文、もう一つはこれだけは「ヘラクレイトス的省察」という小題を付された最終第6節冒頭の〈私は私自身戦争である〉という一文である。後者が「アセファル」の創刊宣言的な文章中の、〈われわれが企てるのは戦争である〉にこだまを返していることは前に言ったが、このこだまを背後に起きながら「実践」のなかの二つの文は、明らかに対をなしている。二つを合わせれば、「私」は同時に、死の前の歓喜、また戦争であり、逆に見れば、死の前の歓喜と戦争は、「私」を媒介とし、「私」の内部において同一なのだ。これが戦争を目前にして獲得されたバタイユの存在の様態だったといえよう。

(「アセファル」に関する項終り)



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塵中風雅 (一〇)

倉田良成



 元禄三(一六九〇)年正月十九日、湖南で越年した芭蕉は病気治療のため伊賀に帰郷し、そこから大津の伝馬役河合(川合)佐右衛門夫人の智月に宛てて書状を送っている。女房様といわれる書体である。

六兵(ろくべ)へ(衞)とめ申(まうし)候。さまざま御しかりなさるまじく候。われらぢびやう(持病)もこの五三日心もちよく候まゝ、はるのうちやうぜう(じやう)いたし、おにのやうになり候て、しきものゝふとんもいらざるやうになり候て、御めにかけ可申(まうすべく)候。かごのうちにて、こしもかたもいたみ候而(て)、やうやういがへ入申(いりまうし)候。
水な(菜)は方々へわけて送り、さけはでししゆ(弟子衆)にふるまひ候。
いつもいつもよめご御ほねお(を)らせ、まことにいたいた敷(しく)、忝(かたじけなく)ぞんじまゐらせ候(そろ)。よくよく御心得なされ可被下(くださるべく)候。
     正月十九日                    はせを
  智月さま

 智月は湖南蕉門の有力メンバーであった乙州(おとくに)の姉で、夫とのあいだに子がなかったためか、彼をその養嗣子とする。貞享三年夫と死別したのを機に剃髪、智月尼を名乗る。生没年不詳だが芭蕉よりは十歳ほど年長で、宝永五(一七〇八)年以降に没したことは確実であるから享年は七十ほどか。最初尚白門。芭蕉との交渉を示す最初の資料は次の芭蕉の句と詞書である。

大津にて智月といふ老尼のすみかを尋(たづね)て、をのが音(ね)の少将とかや、老の後此あたりちかくかくれ侍しといふをおもひ出て
 少将のあまの咄(はなし)や志賀の雪

 これは元禄二年冬、芭蕉が乙州の留守宅を訪れたさいのものであり、これを立句とする歌仙一巻が智月の真蹟により残されているという。「をのが音の少将」とは、鎌倉時代中期の人で藤原信実の女。後堀河天皇の中宮藻壁門院に仕え、中宮少将・藻壁門院少将と呼ばれた。芭蕉の一句はその後世に名高い歌「をのが音につらき別れはありとだに思ひも知らで鳥や鳴くらむ」を踏まえ、湖畔に老いを養う智月その人をことばでやわらかく光被している。彼女が若いころ宮仕えして歌治(歌路)といっていたということもあるいは芭蕉の念頭にはあったか。雪が暖かく感じられる句というのはありそうでなかなかない。私にとって現実にはない記憶を呼び覚ますような、懐かしい一句である。
 ところで書簡のなかの「われらぢびやう」とはなんであったのか。元禄三年七月十七日付牧童宛書簡、同二十三日付智月宛書簡などに徴してみるとどうやらそれは痔疾であったらしいことがわかる。帰郷するにあたって駕籠を使い、「さけはでししゆに」ふるまうしかなかったのである。また、「はるのうちやうぜういたし、おにのやうになり候て、しきものゝふとんもいらざるやうになり候て、御めにかけ可申候」とあるが、三月の中旬から下旬にかけて芭蕉は再び膳所へとおもむいている。この元禄三年という年は、湖南との交渉が芭蕉の生涯のなかでももっとも頻繁であった年といえる。よほど芭蕉を引き付ける何かがこの地にあったと考えられるが、そのひとつとして智月をはじめとする湖南の人々への親愛が挙げられると思う。有名なものではあるが、次に引く句にそのことは象徴的に表れている。

望湖水惜春
(ゆく)春を近江の人とお(を)しみける

 この句を尚白が難じて、行春は行歳にも、また近江は丹波にも置き換えられるつまらぬ句であるといったと「去来抄」にある。それに対して去来は「尚白が難あたらず。湖水朦朧として春をお(を)しむに便有(たよりある)べし。殊に今日の上に侍(はべ)るト申(まうす)」と師を弁護し、芭蕉はそれにつけくわえてひと言、「しかり、古人も此國に春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を」といったとある。
「近江」という語感のなかには、湖の朧々たる眺望のうららかさだけではない、何か歴史や時間の悲しみのようなものがこめられている気がする。一句はそれを陽春のうちに幻視する。「近江の人」とはそうした数限りない古人の俤を濃(こま)やかに帯びた幻想の隣人でもあった。「志賀辛崎に舟をうかべて」芭蕉が惜しんでいたのは「春」ばかりではなかったような気がする。
 この年が湖南との交渉がもっとも頻繁であったといったが、それは芭蕉が一年の大半を幻住庵や木曽塚で過ごしたためである。当然句も(「行春」の句とともに)湖南にちなんだ佳什が多い。以下挙げてみる。

膳所へゆく人に
(カハウソ)の祭見て来よ瀬田のおく

洒落堂記(文略)
四方より花吹入(ふきいれ)てにほの波

勢田に泊(とま)りて、暁、石山寺に詣(まうづ)。かの源氏の間を見て
曙はまだむらさきにほとゝぎす

「勢田の螢見二句」のうち
ほたる見や船頭酔(ゑう)ておぼつかな

堅田にて
病雁の夜さむに落(おち)て旅ね哉

比良みかみ雪指(さ)シわたせ鷺の橋

乙州が新宅にて
人に家をかはせて我は年忘(としわすれ)

 こう並べてみると、湖のうちに閉ざされているというか、湖にむかって開かれているというか、独特な「近江」という土地がはらんでいる風光が匂い立ってくるようだ。    ここで句の註を二三入れておきたい。まず最初の「獺の祭」であるが、「獺祭(だつさい)」という成語があり、カワウソが取った魚を食べる前に並べておく習性が魚を祭るように見えることから、転じて詩文をつくるさいに書物を投げ散らかしておくさまをいう。正岡子規が獺祭書屋と名乗ったことは有名である。この句の場合は膳所蕉門の精進ぶりを見てこよ、という意味で使われているのだと思われる。次に「にほの波」(「卯辰集」の句形では「鳰(にほ)の海」)だが、「鳰の海」は琵琶湖の別称。現在木曽塚のある義仲寺の前の地名は「鳰の浜」となっているが、新しくつけられたものであろう。さらに「曙は」の句の詞書にある「源氏の間」は、ご存じのかたも多いと思うが、紫式部が石山寺に参籠して源氏物語を書いたという伝承を踏まえている。「むらさき」の一語はその縁である。「ほたる見」の句についていえば、「おぼつかな」いのはもちろん船頭が酔っているせいであるが、それだけにはとどまらない。「おぼつかな」さは螢というかすかな光にもとどき、また「ほたる見」という行為にもとどいて、幽暗な夏の情感をたちのぼらせている。「猿蓑」における芭蕉の一極致といえるだろう。有名な「病雁」の句は当然近江八景のうちの堅田落雁をかすめたものであることは間違いない。ただ、元禄三年九月二十六日付の茶屋与次兵衛(昌房)宛書簡のなかでこの句に触れ、「拙者散々風引(ひき)候而、蜑(あま)のとま屋に旅寝を侘(わび)て、風流さまざまの事共(どもに)候」とあるように「夜さむに落」ちたのは自分だという見定めの、これは自らのポートレイトであったといえる。「比良みかみ」の句は、どうも平地から見た嘱目ではなさそうだ。句の角度がひとつの鳥瞰図になっているようなのである。またこれは大伴家持の「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける」を俤にした句でもある。このバーズ・アイの働く場所を湖南にもとめるとしたら、幻住庵記の次の一節に解はあるのではないか。「山は未申(ひつじさる)にそばだち、人家よきほどに隔り、南薫(なんくん)峯よりおろし、北風(ほくふう)海を浸して涼し。日枝(ひえ)の山、比良の高根より、辛崎の松は霞こめて……」とあるような、幻住庵でこの句はものされたと考えるのが妥当なような気がする。最後の「年忘」の句は、何か深刻な事情があって大津に帰らなかった乙州が、芭蕉の慫慂を容れ帰津して一件が落着したときに詠まれたもの。塵中をつきぬけたところで俳諧師が見せるはれやかな顔である。
 ところで、芭蕉宛智月書簡が一通だけ残っているので次に引用したい。ちょうどこの元禄三・四年と推定されるころのものである。

よきやうに御なお(ほ)し被下候(くだされそろべく)候。又あとより申上(まうしあげ)参らせ候。めでたくかしく。
 なんど(納戸)ゑ(へ)も月はさしこむねごしらへ
 とぼとぼとむかへば月にごくはう(後光)かな
一、せんだくの御きりもの(着物)御ざ候はゞ、御こし被成候べく候。
      八月十三日              ち月
 はせを樣

 しきりに芭蕉の添削を受けていたこと、また芭蕉の着物の洗濯など、身の回りの世話を焼いていたことなどがうかがわれる。彼女の入集句は「猿蓑」に四、「炭俵」に五、「續猿蓑」に四などである。それぞれの集から一句ずつ引いてみる。

孫を愛して
麥藁の家してやらん雨蛙(猿蓑)

なしよせて鴬一羽としのくれ(炭俵)

鴬に手もと休めむながしもと(續猿蓑)

 総じて清新な女性らしい視線が光っている作風だと思う。いっぽうで、商用で留守がちな乙州に代わり、家をきりもりして来遊する諸俳人をこころよく迎えた練達の主婦(そういうことばがあるならば)の手際も感じさせるようだ(なお「なしよせて」とは借金を返しすませてという意)。元禄七(一六九四)年冬、大坂で没した芭蕉の遺骸を義仲寺の木曽塚のそばに葬るにさいし「浄衣その外(ほか)、智月と乙州が妻、ぬひたてゝ着せまゐら」せたという。「人に家をかはせ」た芭蕉は最後まで「身の回りの世話」を焼かせたことになる。

(この項終わり)

    付記 三月の彼岸の日、筆者は大津に行ってきた。前回書いた「木曽殿と」の句の作者が誰であるか、どうしても気にかかったためである。義仲寺で徴した結果、又玄(ゆうげん)という人がその作者で、正しい句形は「木曽殿と背中合の寒さ哉」であることが判明した。又玄は島崎氏。はじめ御巫(みかんなぎ)味右衛門清集、のち改め御巫権太夫。伊勢神宮の神職であった。寛保二(一七四二)年没。享年七十二。芭蕉への入門は貞享五(一六八八)年ころか。「木曽殿」の句は土地では有名なものとして通っているとか。あやうく赤い恥をかくところであった。そのほか、保田與重郎の墓があるのにはちょっとびっくりした。
    *参考文献/芭蕉関係のテキストは岩波文庫を用いた。以後いちいちこれを記さない。中公文庫『歌を恋うる歌』(岡野弘彦著)


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Booby Trap 通信  No. 4

禁忌と禁忌の侵犯に人間をみる
聖女たち――バタイユの遺稿から/著訳者・吉田裕/書肆山田/定価 2000円(本体1942円)

【目次】
●「聖ナル神」遺稿 ジョルジュ・バタイユ/吉田裕訳
「エロチシスムに関する逆説」の草稿
聖女
シャルロット・ダンジェルヴィル
●淫蕩と言語と――「聖ナル神」をめぐって―― 吉田裕
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Pastiche/田中宏輔/花神社/定価2400円(送料込み)
いくら あなたをひきよせようとしても
あなたは 水面に浮かぶ果実のように
わたしのほうには ちっとも戻ってはこなかったわ
むしろ かたをすかして 遠く
さらに遠くへと あなたは はなれていった

もいだのは わたし
水面になげつけたのも わたしだけれど
(〈水面に浮かぶ果実のように〉)
【プロフィール】1961年、京都生まれ。現在、同志社国際高校数学科講師。『Pastiche』(1993.5刊)は処女詩集。「ポパイ」2.10号47ページに顔写真とインタビューが載っています。同性愛を織り込んだ詩も書く。
【近況】アメリカの大学って、やっぱり違うんだなあって思いました。留学している恋人のNの話ですけど、夜はほとんど無法地帯になってるんだそうです。昨年のことで、ちょっと古い話なんですけど、Nの知り合いの日本人男子学生が、夕方、一人で廊下を歩いてると、突然、黒人の男たち、四、五人にナイフを突きつけられ、暗くなった教室に連れ込まれ、かわるがわる彼らに犯されちゃったのだそうです。(その後、その男の子は日本に帰ったそうです。)もちろん、すべての大学がそうだっていう訳ではないんでしょうけど。それにしても、ヤラレチャッタのがNでなくてよかった。こころから、そう思ったのでした。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒606 京都市左京区下鴨西本町36-1-2A号)

飼育記/関富士子/あざみ書房/1500円
○詩を射る詩たち・背反の理と、異次元の世界を同時に描く詩法を発見した。――藤富保男(帯文より)
 年ごろになってもいっこうに腰に肉がつかず、かえって肩から二の腕にかけて、男のようにきりりと筋肉が巻きついてくるようなので、硅の母は、もう魚獲りなどやめておしまいと叱った。しかし硅は答えずその朝も知らぬふりで出かけてしまった。
 夕方家に戻ると、母は疑い深くにらんで、おまえはほんとに私の娘かと硅のシャツを引き上げ、左の腋の下をのぞくと、こどものころにできた腫れものの痕がなくなっていた。
 その晩、硅の母は犬に餌をやっていないのを思い出し、冷飯に汁をかけて縁の下に差し入れると、犬が暗がりからはい出てすりよってきた。もしやと思い、前肢の左の付け根の毛をより分けてみると、ひとところだけ丸い腫れものの痕があったので、母は犬を抱きしめた。     (〈硅T〉)
【著者紹介】1950年生まれ。『螺旋の周辺』(1977年・監獄馬車刊・1000円)、『飼育記』(1991年・土井晩翠賞)。現在詩誌「gui」同人。
(著者に注文して下さい。上記の値段は送料込みです。飼育記―残部なし、螺旋の周辺―たくさん。著者住所:〒351朝霞市泉水2-7-34-101)
【近況】はまりたくないのにはまりやすいのが少年サッカーのお茶当番と詩の朗読。パソコン通信も? 淫するのって恥ずかしい。せめて一人でやれるものを選びたいものだ(詩を書くこととか)。6月ごろ第3詩集『蚤の心臓』を出す。思潮社刊。定価未定。

長尾高弘
【近況】手持ちのマシンで動くピンボールゲームを手に入れ、ハマっています。ムキになって、バカヤローとかコノヤローとか悪態ついてしまうのがバカだよな。寝不足になるし、仕事は遅れるし、フラストレーションはたまるしで、ロクなことはないのですが(だからゲームには手を出さないようにしてきたのに)、懲りずにキーを叩き続けています。あそこに入ればジャックポットだったのに...
【プロフィール】1960年4月6日生。(住所:〒223横浜市港北区東山田3-26-16)

沢孝子
【自己紹介】大和化している自己を捕らえ直さないかぎり、何ひとつ真実が見えてこないような気がしています。『空は海は月は』の詩集(私家版、500円)では、労働した街の手触りで、『プラスチックの木』の詩集(書肆山田、2060円)では、大和化の意識の裂け目を拡大鏡で覗いた、膨大なイメージ群で、今は、歴史の中へと悪戦苦闘していますが、やや自虐的なものから解放されて、少しは攻撃的になり楽しんで詩を書いている所があります。やはり自己満足の詩?
(住所:〒560豊中市東豊中町5-2-106-504山形方)

解剖図譜/築山登美夫/TEC/定価1600円(送料込み)

  ……その壁のいたるところから孔がひらき
  べろべろと水がしみだしている

夜ごと見知らぬ愛人を抱きしめていると
彼女は透きとおり
しだいに骨ばかりになって
はりだした体をうす青く滲んだ絨毯に沈め
液化した髪をひろげてゆく
私はほとんど形骸化してしまった
洩れてくる唖の光をかぶって
どこへも転調できなかった体を
自壊した風景のなかにさらしている
逃げ去るかたちに手足は泳いで
  もう何も想像することはできない
  ただ覚醒の皮を何枚もはぎとる眠りがあり
  眠りのなかに何枚もの壁があって……
(〈夢語り 三つの断片〉より、第一の断片)
【著者紹介】1949年10月生れ。詩集『海の砦』(82年/弓立社/1400円)、『解剖図譜』(89年/TEC/1600円)。
【近況】書けないことばかりが、ふりつもって、ふくらんで、おしつぶして、夢とまじって(まぜて)、やっと少しばかりの詩? いな、身辺の現実をなだめるために右往左往しながら、つぎつぎにわすれていってしまう――のが、わがありのままの日々? 本の話をします。やっと手に入れた新井豊美詩集『滞空時間』――この赤く濡れたエロスの罅のはしった時間をとおりぬけ、魅了されながら、新井さんはここからどこへ滞在の場処をうつしたんだろうと。藤井貞和『湾岸戦争論』――ひどい、というよりふしぎな本。世界で起っていることや他者のことばの了解不能な場処へ退行していくことが、この人にとっての詩の行為であるかのよう。それを理屈づけるのはムリだから、ことばはもつれにもつれる。ただひとつ、空襲の恐怖におびえた乳幼児期への固着がのこされる。〈詩人〉にはどうしてこういうタイプの人が多いんだろう? 福田和也『「覚悟」のない出発』を読むと、まっとうに現実をみつめなおすことから作業をすすめている若い文学者もいるんだと安心します。(94/5)
(著者に注文して下さい。著者住所:〒145大田区北千束2-15-12-302)

園下勘治
【近況】予備校講師やっています。古文英文漢文評論詩歌小説政経物理……、とB型っぽく教えています。秘書検定・帝王学・美術も専門学校講師の経験あり。詩集は写真集に組み込む予定。

白蟻電車/清水鱗造/十一月舎/定価1500円(送料込み)
穢れを通して生きていることの意味を探るというのはかなり勇気の要ることだ。清水鱗造はいまそれを敢えてやろうとしている。――鈴木志郎康(帯文より)
蟻の文字がぎっしり詰まった丸まった新聞紙が
ボッと発火する
吉凶吉凶吉凶…と燃える
家系を満たす甘い雪崩…と燃えている
凌辱するものは味方でも撃て…と燃える
菊が硫酸に浮いている
声がただれてくる
逆円錐の渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
百平方メートルの皮膚がいっせいに鳥肌立つ
(〈渦群〉より)
【近況】継続して何かやるというのは、かなり周りの様子にもよると最近思います。けっこう怠惰にやってますが、幸いこうしてやっていけるという感じです。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒154世田谷区弦巻4-6-18)

布村浩一詩集/自家版/定価1000円(送料込み)
90年代の喩の行方を鮮烈に告げる!
二つの ぼたん
鳥をつかって漁をする
魚売り
おちていく ふたつの
火花
花火は明るくて
泳がない
沈んでいく音楽にのせて
オルガンの音楽にのせて
オルガンのおちていく弾き手
だいじょうぶ
まだ
稲は食べられる
おちていく 二つの

祭りのなかの
合図のように
とおく
村の呪文の
なかに
いる
駆けていく距離の
小さな軽い足
とおざかっていく
船の上の 息を吐く
兄妹
(〈二つの ぼたん〉)
(著者に注文して下さい。著者住所:〒186 国立市西1-10-3 浜田方)

長編書き下ろし!
倉田良成詩
〈金の枝のあいだから〉/私家版/頒価2300円(送料共)/挿画・造本=三嶋典東

冬の透明な船着場が近づく
鬱蒼と火のからまる街に
示される尉の面の
無限にかさなりあってゆく明るみのはなびら
底光りする鏡から
むらがるユリカモメが抜け出して
部屋いっぱいに香り立つ
小松川の暗黒へ
きらめく夜の河へ
千年
金の屑を散り敷いてきた秋ごとに
ふりそそぐ恩寵の驟雨を狂気のように堪えてきた
末は
旅人の
肉眼
明るみのはなびらの
あふれるまぼろしのはなびらのなかで
                  (パート15〈河明かり〉より)
*著者に直接注文のほか、渋谷ぽると・ぱろうると池袋ぽえむ・ぱろうるに置く予定です
【近況】「塵中風雅」の付記でも触れましたが、彼岸の連休に関西に行ってきました。なかでも大津はたいへん気に入りました。石山寺の近くの川魚料理店で、モロコの炭火焼きで昼酒を酌んだのですが、湖の前で陶然とした時間を過ごすというのは近来にない贅沢です。ただ、前夜の法善寺横丁では妙な居酒屋に入ってけっこうボラレてしまいました。まったく「東京のおのぼりさん」ではありました。


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【編集後記】今号は20ページに増やしました。力のある詩や批評をどんどん載せていこうと思っています。感想をお寄せください。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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