ロー、ローラ、ロリータ、

田中宏輔



「どうしてあなたはこんなところにたったひとりですわってらっしゃるの?」  議論なんかしたくないと思ったので、アリスはそうたずねました。 「なぜって、だれもつれがいないからさ」ハンプティ・ダンプティは答えました。 (ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」高杉一郎訳) きょうは仕事を休んで、ただ部屋でぼうっと過ごしているつもりだった。 車に乗って遠出をしようだなんて、ちっとも考えちゃいなかった。 でも、あんまり陽気がよかったから、ずいぶん遠いところまで車を走らせた。 車を止めて休んでいると、公園で遊んでいるきみの姿が目に入った。 砂場で遊んでいる、小さくて可愛らしいきみの姿が目に入った。 きみは変わった子だったね。 おじさんちに遊びにくるかいっていうと、 「誘拐するのね」って、 「そして、わたしに悪戯するのね」っていって笑った。 そのとき、ぼくはナボコフのロリータを思い出したよ。 そして、ぼくは、こういったね。 「さあ、ローラ! はやく車にお乗りよ」って。 そしたら、きみは、ぼくの顔を、きっと睨み返して、こういったね。 「わたしはアリスよ」って。 でも、どっちにしたって、 そのこまっしゃくれた、生意気な口の利き方は とっても可愛らしかったよ。 そう思ったのは、ぼくが、おじさんだからなのかもしれないけどね。 ああ、それにしても、 きみの裸は美しかった。 その剥き出しの足は、ことのほか美しかった。 そのやわらかな太腿、そのやわらかくすべすべした膝っ小僧、 そのやわらかくすべすべした小さな踵。 すべてがやわらかくすべすべして小さくて可愛らしかった。 ぼくの指が触れると、 きみはくすくす笑って、すっかり薄くなったぼくの髪の毛を引っ張った。 「なんて、へんてこな気持ちでしょう」と、アリスはいいました。 (ルイス・キャロル「ふしぎの国のアリス」高杉一郎訳) でも、きみは夜になると、家に帰りたいといって泣き出した。 その声があんまり大きかったから、ぼくはきみの口をふさいだ。 鼻もいっしょにおさえた。 苦しがるきみの顔は、とても可愛らしかった。 とても可愛らしくて、愛らしかった。 だから、ぼくは、おさえた手を離すことができなかった。 できなかったよ。 「ロー、あれをごらん」 (ナボコフ「ロリータ」大久保康雄訳) 「アリスだっていったでしょ」 「口答えは、およし。ローラ」 流れ星だよ。 はじめて、ぼくは見たよ。 きみは、何かお願いごとをしたかい。 ぼくはしたよ。 これからも、きみといっしょに、 ずっといっしょにいられますようにって。 「ね、ローラ」 「アリスだっていったでしょ」 「おまえは、おかしなやつだね、ロリータ」 (ナボコフ「ロリータ」大久保康雄訳) さっ、ローラ。 また、ぼくといっしょに遊んでおくれ。 残り少ないぼくの髪の毛を、思いっきり引っ張っておくれ。 引っ張って、ひっぱって、引き毟っておくれ。 「そのかわいい爪でね、ロリータ」 (ナボコフ「ロリータ」大久保康雄訳)

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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