巨きな花の内部のように…

倉田良成



巨きな花の内部のように スイートバジルの匂いがたちこめる四つ角 世界は甘い蝋で密閉されたひとつの部屋なのだ ときおり雨が地面を濡らし虹が起って消える 発熱する白地図のうちにわれわれの懲罰は存在しない 一瞬の稲妻のうちに啓示と涅槃をはてしなく繰り返す あの夏木立と雲はどんな癒しよりやさしく そこへ行くためにそそくさとよそおう ガーデンパーティに似て死はどんな旧友よりもなつかしい いまここにあることの不思議 青空はいかなる絶望よりももっと深いのだ かさねてたちこめるクチナシの花の巨きな匂いのなかで 銀のスポークをきらめかせて自転車がやってくる どこを発ち、どこへ向かおうとしているのか 予感のようにすれちがって私たちはふたたび出会わない どこかで脆い時間がかすかに流れた そして彼女は「部屋」のかなた 積乱雲のほうへ走り去る 風の裂け目から洩れてくる遠いガムランを聴きながら 洗濯物を取り入れる主婦の白い二の腕を見上げている (私はかつて、私の子供だった?) この昼の静けさについて少し首をかしげながら考える まるでコップに無造作に投げ入れられた 歯磨きと歯ブラシのような永遠! と 蜜で封印された巨きな部屋に寂光が降りてくる 馬の腹のようにあえいでいたアスファルトにも水が撒かれる 雷が爆竹の火を連れて襲来し、たちまち乾きあがる夏の夕 上気したアカシアの葉脈が血液のように透きとおり きたるべき夜をおもむろに用意する 幻灯の神々がゆらゆらと踊る大音響のなかで うしなわれてきた千年の失跡が眼を覚まし 死者のよみがえりのうちに示されるなつかしいクレヨン画 不細工な山羊の鳴き声をグレゴリオ聖歌のように聴きながら* 私は邂逅する 生きることのなかったおさない兄たち姉たち その平癒の海に浮き沈みするものたちに!

*「グレゴリア聖歌のやうな声を出す誰飼ふとなき山羊と居りたり 岡井隆」より


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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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