私たちはときおり…

倉田良成



私たちはときおり他界(よそ)の扉を開けなければならない この街から出てゆくために そのために深い空を通過する橋や坂や四つ角がある 秋の眼が接写する厖大な青 丘のうえで彼方から到来する透明な風に吹かれながら 生きてゆくことはむなしいことではない そこにはささやかなパンと、葡萄酒と 板切れの模様のなかに見つける今日の秘密があるから むなしいのはむしろ死を欠いた生 橋や坂や四つ角のない街だ 巨きな太陽の血溜まりが私たちを照らす…… 橋をわたって「次」の街へ きらめきのなかをゆっくりと曳航されてゆく船 さかさまに生まれてきてわずかのあいだ 無形のものにみちびかれて私たちも光のなかを行く くちびるに触れるおびただしい鳥の翼はよろこびのしるし 港は身をふるわせて私たちを迎え入れる 音楽はなく、ことばもなく、建築もなく ただ明けてゆく朝のざわめきのうちにさよならを言う 私たちは彼方のタペストリーの図柄に属する存在となる 友人と会ってお茶を飲み 地下鉄の駅まではひとりで歩いてゆかなくてはならない 降りはじめた雨はこわくはないけれど…… 坂をのぼって「次」の駅へ 逃げ水にゆらめいている夏の終わりのアスファルト 最後に虹を見たのはいつのころだったろうか さっと青ざめ、やがて白い雷がつんざく灰色の空に 街はいっせいに歔欷の声を上げる 私たちは丘のうえに立つ馬鹿者となって* 夕立のあとの悲しみに似た日没の深みへと首をのばす 遊びに出た子は永遠に帰らない 彼らの住処ははるかな未来にあるのだから 私たちも積乱雲のあたりにある家に帰るために 幻のシャツ、幻のズボン、幻の靴を履いて 夜、おもむろに旅仕度をはじめよう…… 角をまがって「次」の道へ

*「Fool on the Hill」より


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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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