朝の電柱

清水鱗造



窓から見える二枚の旗 工事中の鉄骨から伸びているポールに 括りつけられた旗には よく見ると ♀と♂が描いてある   *   *   * ちぢこまって かたくしわしわになってしまって 歯磨きしている そんなときが理性が働いているときだ 洗面所の鏡と蛇口と排水口 せっけんの泡と髭の屑が 吸い込まれる 朝聞いた妻の寝言はもう忘れてしまった 固くちぢまっているとき 理性的なぼくがすっくと立っている   *   *   * 電柱に 昨日の映画の破片がぶら下がっている たくさんの裸体はなんだかさびしいね 映画の主題はもう忘れてしまった 水のなかでずいぶん暴れていたけど 定位が不安だね 定位は本当は無いから あらかじめ 錐で穴を開けておく そんな綴じ目を 整理するのはしわしわに固くなった陰嚢 これ好きな人いる?   *   *   * 鍋の縁が使いすぎで 腐蝕する ギザギザになって 破れてくる でもそれは使える とても使える 古い鍋はぼくの好みのオブジェだ カンカンといい音もでる   *   *   * 草木虫魚は緊密に収束した物だ とてもおよびもつかないといってもいい その複雑な波動はいかんともしがたいね でもさっそく煙草などぼくはふかして 生理など忘れてしまって せいぜい男女の印など 双眼鏡でながめている   *   *   * 新鮮な死体はすごいよ 波動が止まっても 発進装置が壊れても 生成装置の形が残っているんだから   *   *   * カンカンていい音でるかな? 冬の朝の散歩は重装備で 犬はよろこんで生理する ぼくも生理する そのとき月のものが始まる女もいるだろう 祝福すべきだ 生理日は休暇にして 豆大福でも食おう そんな理性的な考えがなびく朝の道を 精密な微分方程式にまとめようとしているのも いまのところ 生理の特有の収束形態といってもいい   *   *   * 電柱におしっこをかけている犬 ほかの犬のおしっこをなめてもいる ぼくもだれもいないからおしっこする しわしわはやがて伸び だらんと垂れる ほかほかの陰嚢   *   *   * 電柱にぶら下がっている布は はたはた揺れている その昔僧形が歩いた武蔵野の道だ 僧形が築いたその書字の集積を ぼくは生理で踏みしめる 古い書籍の中心にはやはり生理が 据わっているのだけど   *   *   * 見上げるぼくが吸う煙草の煙は 電線ですぱりと切られ そこからまた空(くう)に墨のように広がる それが経文でなかったとはすでに だれにも指摘はできまい 電柱は寒さにまかせて明るく やがて向こうから来る人の においが流れてくる

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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