楽器

長尾高弘



バターを塗った パンのように 柔らかく 触っただけで 腐ってしまう 桃のように 繊細な楽器 黒い弦が 何本も生えているが どれも短くとがっている 指先でピンとはじくと 湿った鈍い音 三日月を転がしたように 前につんのめって 止まった やはり楽器は全身で弾かなくては 結露した肌を やさしく抱きかかえ 固く反りかえった弓を 弦に当てる 春の噴水のように 澄んだ響きが ほとばしり 八方に飛び散る 乱反射する光 その黄や青や紫 水面めがけて からみあい ほつれながら 泳ぎ上がる魚の 螺旋の軌跡 撚り合わさって 太くなっていく糸 その糸で織られていく画布 その上に描かれる単純な絵 共鳴板が震え 身体が震える 痺れる 乾く 大きくふくらんだ水滴が 重さに耐えかねて ついに落ちる 同心円が広がり やがて 溶けていく (いま ぼんやりと浮かんだ顔は誰?) 密度を高めた空気は 静かに弛緩していく その片隅で 少し暖まった卵が 直立している

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.17目次] [前頁(砂糖の列車)] [次頁(ロミオとハムレット(下))]
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