砂糖の列車
  ――春の旅

清水鱗造



粉砂糖を唇の周りにつけて ビットが落ちている 灰皿 その陶器の ヘビの模様が日に歪む その日 ピンのように凝縮した町 花びらが散る夕 鼓動が道に沿って 汚ない浜に向かってゆく 古寺がそのまま耳に入ってくる * すでに白い服を着て サングラスをかけ 小島を望んでいる 血を分けた蟹が 横向きにさわさわと 石垣を逃げてゆく 性欲の陽炎は石垣から出る陽炎 向こうから来る少女の胸を 耳鳴りのなかに留めていた * 果物から血がしたたる 串ざしになった蛙が 鉄条網にぶら下がっていて 気だるい春の粗い砂目の 仮装着の入ったトランクが まぶしく僕の手にあった * 岬の瓶の中にあるクラゲの風景 くさい干物を口に含み 火山岩を海に投げた ゆらゆらと 下宿の女が 吐いている その前を僕は通りすぎる クラゲが ゆらゆらとした空気の向こうに 吐いている人と 氷塊の足を見たことは たぶん ビデオテープに記録されている * あの緑の岸壁 あれを見るときがくる 船の縁からあれを 見るときがくる 花をかきむしれ かきむしれ * (年上の女と泊まった旅館で 麻雀の牌をもらった その骨牌に 刻み付けたのは いくつかの数字 それはタンタンの 冒険に出る日のページの ノンブル) * 夢の出口がいつも開いている夕 花がさかんに耳に入る 鞄には やはり凶器も入れておかねばならない こんな花ぐもりには こんな朝には 凶器を しのばせるにしくはない * いくつかの漁村の名前は忘れてしまった 数十隻の船が停泊する港では 般若の幻が こちらを凝視していたのだが 今は血管がからまるビルが 窓をよぎってゆく 僕は知っていた 十時二十三分 自転車の後ろに野菜をくくりつけた男が 僕のコピーであることを * だから その男の厨房の 錆びた包丁の感触がはっきりわかる そして目に映る若草のすがたが見える * 蝶が油の浮いた水たまりの泥に 数匹とまっている 港のバーの看板のペンキが はがれている ガラスの破片にちいさく麒麟と書いてある * 砂糖の列車が 砂糖のレールを 走るときは 童謡が聴こえるときは 注意したほうがいい 麻の袋を 枕にして 僕は童謡を聴いている カレーライスのにおいと サングラスの向こうの自動販売機と 動く人たちを砂糖の煙のなかで見ている僕は 童謡が砂糖のなかで僕を覚醒させまいと しているように思う 警報が煙のなかで響いても 僕の砂糖列車は 固い砂糖のレールのうえを ぐるぐる回る 砂糖のかさぶたが 僕の右手からはらはらと落ち 床に吸い込まれていく * 漁村の厨房に 集められた魚 太ったおばあさんが 汁をつくる 男ははちまきをしめたまま 昼寝している その夢に砂糖のレールは通じ 砂糖の列車が走る スポーツ紙にその日の 刺激的なニュースが 赤く 青い 文字で書かれ 誰も見ていないテレビの音が 童謡に変わる * ランドサットが この散歩道の僕を 捉えているのはたしかだ 関東の細道に 黄色いヨットパーカを身に着けた男が 煙草を吸いながら 歩いているのを 真上から捉えている

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.17目次] [前頁(網膜の光を九九で解き 眼孔の闇をゼロの地点にさそう)] [次頁(楽器)]
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