塵中風雅 (一三)

倉田良成



 元禄三年十二月、大津ないしは京にあった芭蕉は、加賀金沢の人・句空(くくう)に宛てて一通の書簡を認める。内容は北枝(ほくし)・楚常撰の「卯辰集」にかかわる記事が中心で、末尾の尚々書には乙州の大津帰郷をうながす一文がみえる。以下全文を引く。

 巻(まき)(もつとも)俳諧くるしからず候へ共(ども)、一體(いつてい)今の存念にたがふ事、殘念之事に御座候へども、和歌三神(さんじん)、其一分はかゝはり不申(まうさず)候間、其侭(そのまま)指置候。かりそめの集等(など)、皆名利(みやうり)驕慢(けうまん)の心指(志)にとおもひ立(たち)候故、皆見所失ひ申(まうし)候。何とぞ風雅のたすけにも成り、且(かつ)は道(みち)建立(こんりふ)之心にて、言葉つまりたる時をくつろげる味に而(て)、折々集(しふ)を出(いだ)し候處(ところ)に、三年(みとせ)昔の風雅只今(ただいま)(いだ)し候半(さうらはん)は、跡矢(あとや)を射(いる)ごとくなる無念而已(のみ)に候。何とぞ御さそひ候而、二十日ならず候はゞ、十五日之滯留にて、三月十日頃上津(じやうしん)あれかし。實(まこと)に風雅に心をつくされ候樣(やう)にと被存(ぞんぜられ)候。乍去(さりながら)世上(せじやう)之人に而御座候へば、心にまかせぬ事も可有御座(ござあるべく)候間、上京成間敷(なるまじく)候はゞ、何事も沙汰なしにて急々板行(はんかう)御すゝめ可成(なるべく)候。
 集之題號、卯辰(うたつ)集と可有哉(あるべくや)。山の字重き樣に被存候。是(これ)も拙者好(すき)に而も無御座(ござなく)、其元(そこもと)評伴(判)に御まかせ可被成(なさるべく)候。以上
句空樣 はせを
 一、次郎助其元仕舞(しまひ)候而上り可申旨(まうすべきむね)、智月も次第に老衰、尤(もつとも)大孝(たいかうに)候。則(すなはち)さも可有事(あるべきこと)被存(ぞんぜられ)候。早々登り候(さうらへ)と御心可被付(つけらるべく)候。

 「卯辰集」は北枝編、句空序で、元禄四(一六九一)年の刊。もともとは加賀の楚常が個人句集としてその刊行を意図しながら貞享五(一六八八)年に病没したため、北枝がその遺志をついで増補刊行したもの。加越の蕉門を中心に各地諸家の句を集めた撰集で、上巻四季発句五〇四、下巻に北枝、曽良、芭蕉の三吟燕歌仙、いわゆる山中三吟を含む歌仙四をおさめるというスケールは、個人句集の域を大きく超えることはいうまでもなく、そこには芭蕉一門の戦略さえうかがうことができる。
 そのような撰集である以上、書簡冒頭で触れられている「巻」――山中三吟のことである――が、足掛け三年昔のものであることは、芭蕉にしてみれば釈然としないものがあるのは当然であった。ここで注意していいのは「三年昔の風流只今出し候半は、跡矢を射ごとくなる無念而已」という言葉のすぐあとで、句空や北枝らに、大津でひと巻巻かないかとさそっている点である。二十日でなければ十五日でもいい、という芭蕉の息遣いに私は驚く。これは芭蕉の執心といっていいだろう。そして書簡の終わりちかく、まるで憑物が落ちたように、北枝も句空もそれぞれのなりわいがあるのだから心にまかせぬこともあろう、上京がかなわないのなら、北枝にはこのことを告げずに早々に板行するのがよろしかろう、という口調に変わっている。まさに連句とは一期一会であり、一度成立したものは修整がきかないのだ。「跡矢」を放つ無念とはこういう意味にも読み替えられるだろう。
 ここで例によって句空と北枝の略伝を記しておく。
 句空。加賀金沢の人であることはすでに述べた。町家の出か。没年不明ながら、正徳二(一七一二)年の「布ゆかた」の序に六五、六歳とあるから、正保四(一六四七)年か慶安元(一六四八)年の出生と思われる。貞享末年に京の知恩院で剃髪して句空と号し、金沢卯辰山法住坊金剛寺のかたわらに隠棲した。鶴や、松堂、柳陰庵とも。俳諧では延宝のころ、宗因、維舟らと交渉があったという。「ほそ道」の旅で金沢を訪れた芭蕉と知り合い、元禄四(一六九一)年には義仲寺の草庵に芭蕉を訪ねたこともあった。「卯辰集」序文のほか、「北の山」「柞原(ははそはら)」「草庵集」「干網集」などの撰著がある。
 北枝。生年不明、享保三(一七一八)年没。立花氏、一時土井氏を称す。通称、研(とぎ)屋源四郎。別号、鳥(趙)翠台、寿夭軒。加賀小松に生まれ、のち金沢に移住。兄彦三郎(牧童)とともに研刀業をいとなむ。芭蕉入門以前は金沢の貞門系俳書などにその名がみえる。元禄二(一六八九)年、芭蕉の北陸行脚の途次に入門。その金沢滞在から山中温泉を経て越前松岡までの約二五日間同行、その間に芭蕉から受けた教えの内容は「三四考」「やまなかしう」「山中問答」などによって知ることができる。「卯辰集」を編んだことはすでに述べたとおり。けだし「北方之逸士」(「本朝文選」作者列伝)であり、名実ともに北陸蕉門の重鎮であった。
 さて、この「三年昔の風流」とは、世に「翁直しの巻」として伝えられる歌仙で、芭蕉の裁ち入れが入ることによってその成立過程が窺われる貴重なものである。それまで「ほそ道」の旅にずっとつきしたがってきた曽良が病を得て、芭蕉らに先行して伊勢へと赴くその餞に興行された歌仙で、時期はやや前後するが若干の評釈を試みてみたい。

  元禄二の秋、翁をおくりて
  山中温泉に遊ぶ三両吟
 馬かりて燕追行(おひゆく)わかれかな 北枝

 いうまでもなく当季は秋で季語は「燕帰る」であるが、「燕」にはどうやら加賀から見て「南」に当たる伊勢へと旅立つ曽良の姿も二重映しになっていることはほぼ間違いがないだろう。馬に乗って徐々に小さくなる人影を見やっている、という格好である。

 馬かりて燕追行わかれかな 北枝
 花野みだるゝ山の曲(まがり)め 曽良

 もとのかたちは「花野に高き岩のまがりめ」。花野は兼三の秋の季語。花野に「乱れる」は付き物で、紀貫之の「秋の野に乱れて咲ける花の色の千種にものを思ふころかな」や紹巴の「袂まで入乱れたる花野哉」などがある。「乱れる」と裁ち入れがはいることによって、人か花か判然としなくなる秋の野の夢幻のうちに人影は消えている、それが「曲め」であったということだ。言い換えれば「曲め」はここ(此岸)とむこう(彼岸)を分かつ境界でもある。

 花野みだるゝ山の曲め 曽良
 月よしと相撲に袴踏(ふみ)ぬぎて 翁

 もとは「月はるゝ角力に袴踏ぬぎて」。差し合いとして「ミダルル」と「ハルル」の似たような語感を嫌ったか。「ミダルル」は「踏ぬぐ」をとっさにみちびく気合。前句と同じ屋外であるにしても、ここは夜祭りなどで興行される相撲の俤である。定座の月は二句引き上げられている。

 月よしと相撲に袴踏ぬぎて 翁
 鞘ばしりしをやがてとめけり 北枝

 もとは「鞘ばしりしを友のとめけり」だが、友の字が重いとして芭蕉の直しが入る。「鞘ばしる」は前句の持ち物のアシライ。このあたりさしたる付け筋ではないが、高速度で回転している芭蕉のいわゆる「俳諧地」が感じられる付けようだ。

 鞘ばしりしをやがてとめけり 北枝
 青渕(せいえん)に獺(うそ)の飛込(とびこむ)水の音 曽良

 北枝草稿には「二三疋と直し玉ひ、もとの青渕しかるべし、と有(あり)し」とあるが、元禄三、四年ころの芭蕉であったら、あるいは「二三疋」で定まっていたかもしれない。「青渕」はいかにも「猿蓑」風である。ほとんどこれも気合だけの句といえそうだ。

 青渕に獺の飛込水の音 曽良
 柴かりこかす峯の笹道 翁

 同じく北枝草稿に「たどるとも、かよふとも案事(あんじ)玉ひしが、こかすにきハまる」。「コカス」は転がるの意。「柴かり・こかす」と「柴・かりこかす」とでは意味が違ってくるが、現在でも「コケル」が人がつまずいて転がる意であることから、ここは柴刈り人が笹道で転げるというふうにとっておく。いずれにせよ前句の「飛び込む水」の視線が上から下にむけてのものであるとすれば、付け句の視線は下から上へむけてのものだ、という対付けのなかに「俳」がある。

 柴かりこかす峯の笹道 翁
 霰降(ふる)左の山は菅の寺 北枝

 もとは「松ふかきひだりの山は菅の寺」。芭蕉直しのコメントに「柴かりこかすのうつり、上五文字霰降と有(ある)べし」とあるが、「柴カリコカス」の軽快で粗い、隙間を含んだ空間を思わせる語感は、雨でも雪でもない湿気を排して降る霰こそがふさわしいという芭蕉の、とっさのそしてしたたかな把握である。前句の柴を冬ととれば二句続きの冬か。なお「菅の寺」は、李由の「湖水の賦」(本朝文選)に、「菅山寺は、世に菅の寺といふ。菅家の遺愛寺也」とある。

 霰降左の山は菅の寺 北枝
 遊女四五人田舎わたらひ 曽良

 もとは「役者四五人田舎わたらひ」。「役者」が同じベクトルを持つ「遊女」とわずかに位相を変えるだけで、前句の蕭条とした光景がにわかに昔物語風な情感をたたえてくるのはみごとと言うしかない。ここからが恋の運びである。季は雑。

 遊女四五人田舎わたらひ 曽良
 落書に恋しき君が名も有(あり)て 翁

 もとは「こしはりに恋しき君が名もありて」。「こしはり」は「腰張」とも書き、壁や襖の下部に和紙または布を張ったもの。腰張に見える名前とは、それが落書されたものだということを意味している。「落書」と具体化されることによって、前句の物悲しげな「田舎わたらひ」はここでもうひとつ駘蕩としたものに転じられている。ここでの句眼は、「恋しき君」ではなく、あくまで「落書」の一語であることは注目していい。落書のなかに恋があるとは、まったく思いもかけない眼のつけどころである。

(この項続く)

    *参考文献/「芭蕉連句集」(岩波文庫、中村俊定・萩原恭男校注)ほか。

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