バタイユ・ノート3
バタイユ・マテリアリスト 連載第3回

吉田裕



5 「ドキュマン」

 シュルレアリスムとの関わり、およびブルトンとの論争が起こるのと前後して、バタイユは雑誌ドキュマン*1の編集に携わることになる。この雑誌は、前回に見たようにバタイユが古銭学に関する論文をいくつか発表した「アレテューズ」が廃刊になった後を継ぐものとして、古美術商であったヴィルダンシュタインが資金を提供して発刊される。美術批評家であったカール・アインシュタインが編集長、バタイユが事務局長を務める。ヴィルダンシュタインは、当時すでに「ガゼット・デ・ボザール」という正統的な美術雑誌を所有しており、それに対してこの雑誌は、考古学、美術、文化人類学という新しい分野に視野を拡げようとしたものであった。それは学術的な雑誌として計画されてはいたが、実際にはバタイユの方針によって次第に論争的な性格を強め、出資者の意に添わないことになり、年一〇回の発行を予定して二九年四月に創刊したものの、一五冊を出して早くも翌年には廃刊に追い込まれることになる。
 これはバタイユの提案によるものらしいが、ドキュマン=ドキュメントという素気ない雑誌の名前は、美学的な秩序に分類される以前の、またこのような秩序にはどうにも分類できない事物に対する関心を示す。それは三〇歳を越えたばかりで、まだ実績らしい実績もない青年にとっては抜擢に近い仕事で、自分の思うような活動を発表することのできる最初の機会だった。またこの雑誌は、右に書いたように文学にとどまらず、さまざまの分野が交流する場だった。レリスの関係から、トロカデロの民族学博物館にいたグリオール、リヴィエールら新しい学問の開拓者たちが寄稿する。それはバタイユの(またアインシュタインの)ねらいだったが、所期以上の結果をもたらした。さらにこの雑誌には分離したシュルレアリストたち、クノー、バロン、ヴィトラック、デスノス、プレヴェールらが、バタイユをつてとしてこの雑誌に流れ込んだ。そのためこの雑誌は、それが廃刊の原因にもなるのだが、前衛芸術運動の離合集散に一役を買うことになった。
 このような雑誌をどうとらえるか。私の関心は、このノートのはじめに明らかにしたように物質性の上にあるが、この視点は有効だろうか? この雑誌あるいはそこに掲載されたバタイユの記事を包括的に扱った研究はいくつかあって、当然のことながら別の視点を提示している*2。長年の友人であったレリスの「不可能な存在バタイユから不可能な雑誌ドキュマンへ」は、創刊時の状況と代表的な論文の概要を伝えている。レリスはバタイユの諸論文を多く反イデアリスムという観点からとらえているが、それを唯物論にまで読み変えてはいない。ガシェの「思考の早産児」は、「消費の概念」以降の試みをバタイユの最も重要な探究とする立場をとり、その前段としてのドキュマンの論文を、交換と喪失の概念の徹底化を図ってさまざまな事象の隠喩的構造を揺さぶろうとした試みとして読もうとするものである。この隠喩の下に現れるのはまた物質性なのではあるまいか? オリエの「不可能なものの使用価値」は、使用価値と交換価値というマルクス主義的な構図を借り、ドキュマンでのバタイユのねらいをものを交換価値から解放することだとみなすが、さらに使用価値をも越えてものそれ自体の存在を見出そうとするところまで推し進める。彼によればドキュマンとは、〈攻撃的なほどにレアリストである雑誌〉であり、〈不可能事すなわち現実的なもの〉である。この現実的なものは、物質性にほかならない。最近出たディディ・ユベルマンの『かたちのない類似――バタイユによる視覚の楽しき知恵』は、ドキュマンの考察に一冊の本を充当した大部のもので、対象を論文だけでなく、雑誌の編集方針にまで拡げ、写真や図版を照合し、フォルムがどのように変容していくかという観点から綿密な分析を行う。フォルムというのは、ドキュマンにとっては非常に有効な視点だとしても、ほかの著作へとつないでいく場合には、かならずしも接続しやすい視点ではないが、彼がフォルムの反対側に見出すフォルムをなさないものとは、イデアに従属しない物質性が引き起こすものではないのか? この読み換えもまた十分可能であろう。
 ドキュマンはさまざまな分野の論文を主柱にし、書評、展覧会評、それに英文での要約を含んでいるが、そのほか「批評的辞典」と題された一種のコラムがあって、いくつかの事項に対する批評的な短い文章が書かれている。バタイユが執筆したのは、主に論文と批評的辞典の項目である(ほかにいくつかの無記名の短文があるようだが)。ガリマール版の全集には、合わせて三六の項目がドキュマンの論文としてあげられており、ほとんどは片山正樹氏によって二見書房の著作集に訳出されている。
 これらを一瞥してみると、バタイユは第二年度の四、五、六号を除く各号に重みのある論文を一つずつ書き、ほかに批評辞典の項目、書評などを書いていることがわかる。通読してみての印象では、これらの論文は、やはりイデアリスムに対する反対と物質性への関心という観点から一番包括的にとらえられるように思われる。物質性はさまざまの姿をとって現れるが、この多様なあらわれ方をバタイユに許したのがドキュマンであった。バタイユの関心の幅が広いことは、後になってもその通りだが、それでもドキュマンの時代の多様さは群を抜いている。私たちはまず、それら読み合わせることで彼の関心をあぶりださなければならない。彼の関心を私は物質性への関心だと予想するが、そのあらわれ方を重ねていくことで、この物質性は予想よりももっと前方まで進み得るかもしれない。

 ドキュマンに最初に書かれたのは「アカデミックな馬」である。アカデミックな馬とは、ギリシアおよびローマの貨幣の意匠となった馬の文様が、均整のとれた優美なものであったことを指す。馬はそもそもからギリシア・ローマにおいては、カバや猿と違ってイデア的に完全な動物とみなされており、そのためにフォルムとしても完成された姿をとった。それは建築におけるパルテノンあるいは哲学におけるプラトン哲学と同位にある。しかしながら、この完成された馬のフォルムは、ローマに侵入したガリア人によって解体されるのである。ガリア人たちはローマに倣って貨幣を鋳造し、その面に馬の像を刻するのだが、その姿はローマ的な優美さから次第に遠ざかっていく。バタイユは次のように書いている。〈クラシックな馬の姿は、次第に解体し、最後には狂い騒ぐようなフォルムに到達して、規則を侵犯する。そして暗示作用のなすがままに生きる民族の怪物じみた心性を正確に表すことになるのだ〉。
 これはイデアリスムに対する反抗と攻撃、古典的なフォルムに対する異形のフォルムの浮上である。この異形のフォルムは物質性のなせるわざだと考えられなければならない。なぜなら物質性とはイデアに回収されないものであり、その限りでイデアに対しては常に異形なものとして現れるからだ。物質性を異様なフォルムとしてとらえようとすることは、ドキュマンでのバタイユの活動の最も中枢をなしている。このフォルムの解体は、ガリアの馬が示すようにまず、剥き出しにされる動物性とともにあらわれる。この点からいくつかの記事が重なり合ってくる。
 「人間の姿」でバタイユが見出すのは、〈人間と自然の間の全般的不均衡〉であって、自分の存在が宇宙に対して均衡を欠き、非蓋然的なものであることを感じている人間である。その人間が不安に駆られて自分の姿を追求すると、一九世紀はじめのコルセットや腰を協調するクッションによって変形された人間の姿が現れる。社会的な規模で現れたこの〈変形〉は、二〇世紀初頭の平板なブルジョワの写真の中にも、故しらぬ怪物性として感じとることができる。「かたちをなさぬもの」でバタイユは宇宙を取り上げ、簡潔に〈宇宙はなにものにも似ておらず、かたちをなさぬものにすぎない〉、〈蜘蛛か痰のようのなもの〉と言っている。「自然の逸脱」は、シャム双生児をはじめとする人間の奇形への関心を取り上げたものだが、奇形とは、類別を可能にするフォルム化、すなわちイデア化の作用に対して自然がどこかで反抗するものだというところから来る、とバタイユは考える。自然とは物質だが、逸脱は物質がイデアとは異質なものとして存在しているからだ。そして人間が奇怪なものへと惹かれるのは、物質の持つ異和の作用に暗黙のうちに惹かれているからにほかならない。
 かたちのこの拒否は、また動物性として現れる。「ラクダ」は、その外観が〈動物的自然の最も深く不条理である〉ところの動物である。「変身」では、人間の中には動物性が隠されているとされ(そこまでは多くの人が言うことであるが)、それが変身の欲望を起こさせることが主張されている。「低次唯物論とグノーシス」は、唯物論への言及として別に取り上げなければならないが、グノーシス派が残した石に刻まれた動物との合体を示す奇怪な像にバタイユは強く惹かれる。「口」では、動物の体が口から始まること、人間はいざというときには、叫びのようにこの器官において動物性を取り戻すと述べられる。動物性の持つ残酷さは、「カーリ」の主題でもある。
 イデア的なフォルムに対する反撥は、フォルムの構築をほかのどの活動分野よりも重視するという建築という行為への反撥でもある。二九年第二号の「建築」では、建築は秩序をめざす活動の最たるものとして批判され、それにたいして〈動物的怪物性〉が提起される。これを読むとき私たちは、どうしても彼が生涯隠し通したあの一九一八年の「ランスのノートルダム」を思い出さずにいられない。そこでは天空にのびる大聖堂が誉め称えられていたのだが、一〇年後その志向は一八〇度転換される。同じ号の「サン・スヴェの黙示録」は、古文書学者としての仕事のように見せつつも、関心はまったくバタイユのものである。この論文は一一世紀に成立したヨハネ黙示録の絵つき注釈本の、とりわけそこに付された絵についての分析だが、バタイユはその構成が、構成的というよりは、それに対する反撥から来ていることに注目している。〈建築的なものは何もない〉、また〈建築的フォルムから自由で独立している〉と彼は述べている。

 建築とは上方に向かう意志だが、建築が拒否されるとすれば、浮かび上がるのは、下方、大地、あるいは地下に対する嗜好である。二九年第三号の「花言葉」はこの傾向を表している。たんぽぽが真情の吐露を、水仙がエゴイスムを、にがよもぎが苦衷を表すというのは、花の機能を表しているのではないから一種の象徴作用であり、その点では花言葉は花に対するイデアだということになる。花とは花弁あるいは花冠ではなく、雄しべと雌しべの存在であり、それは花弁を除去された花の写真が示すごとく、少しも美的なものではない。普通考えられている花も、本来の花からすれば、より美的なものへの置き換えがあって、それはイデア化なのだ。彼は雄しべ雌しべが花冠となりかわり、さらに花言葉となりかわるからくりがあることを見出す。〈愛の記号が雌しべや雄しべからそれらを取りまく花弁へと位置を変えるのは、人間の精神が、こと人間に関する限りでは、この位置替えをする癖があるからだ〉。バタイユはこのイデア化を徹底的に批判しようとする。そのために花言葉は花冠へ、花冠は雄しべと雌しべへと置きなおされるのだが、この置き直しは雄しべ雌しべのところでは止まらないのである。それは花を、それを支える茎や葉に置き換え、ついには地中にかたちを持たぬままにひろがる根を見出すのである。花の根底にあるのは、腐敗し粘つく闇の世界、先の例と結びつけるならば、かたちをなさぬものの物質的な世界なのだ。
 花冠から根にいたるこの構造的な転位の過程は、通常は花のイデアによって隠されているが、それでもそれが赤裸にされることがある。それは死すなわち枯れることによってである。バタイユは次のように書いている。〈下肥の悪臭から養分を汲み取っていたその花は、天使のように無垢で感激的な飛翔によってそういうものから逃れきったように見えていたにもかかわらず、突如その本源の汚辱のもとに駆け戻るごとくである〉。美と汚辱は一体なのだ。
 同じ主張が、たぶんドキュマンの中で言及されることの最も多い「足の親指」にも見出される。足は、直立することを選んだ人間を支えるものである以上、最も人間的な器官であるはずだが、それはいっそうの上方、天空を求めた人間の性向によって、醜く悪臭を放つものとして忌避されることになる。だがこの論文の進んだ点は、この忌避されたものが、花の枯死によって連続性が示される以上に、本質上の魅惑を持つものでもあることを指摘した点である。足は女性の足というかたちをとって、逆らいがたい魅惑を持つようになるからだ。
 イデア的なものが、下方の醜悪なものに基底を持っているということは、ただイデア的なものの意に反して露呈されるばかりでなく、イデア的なものそれ自体の中にその衝動が隠されていると見なすべきなのかもしれない。批評辞典の一項目で短いものであるにもかかわらず、同じ時期の『眼球譚』との関係で言及されることの多い「眼」では、イデアの象徴としての眼が、ブニュエル・ダリの『アンダルシアの犬』に描き出したように、破壊を誘って止まぬものであることが示される。
 また根から花言葉にいたるこの移転の作用deplacementは、ドキュマンの最後の論文のなかで置換transitionという言葉によって再度取り上げられる。それは「現代精神と置換の方法」であって、そこでは現代芸術が方向を失って、本来の芸術が持っていた奇怪なもの――すなわち物質的なもの――から力を汲み上げる能力をなくし、修辞と置換の方法に熟達するばかりになってしまったことが批判されている。

 動物性、下方的存在、おぞましいもの、残酷さなどは、見てきたように物質性のあらわれだが、ドキュマンには物質・質料を正面から触れた論文が書かれている。それは二九年第三号の「唯物論」および三〇年第一号の「低次唯物論とグノーシス」である。後者の主題となっているのは、一一世紀に徹底的な弾圧を受けて滅んだグノーシスと呼ばれる宗教上の運動である。この運動から残されたのは、動物と人間が複雑に組み合わされた奇怪な石の彫像だけ3であって、それが動物性への傾斜としてバタイユの関心を引いたが、彼はまたはっきりと〈これらの像のうちには、この低次の物質のイメージを見ることができる〉と書いている。だからグノーシスの奇怪な像への関心の根底にあるのは、やはりイデアの世界への昇華を拒絶し物質のままにとどまろうとする物質なのだ。〈低次の物質は、人間のイデア的渇望の外にあって異質なものであり、そのような渇望の結果としての存在論の大がかりな機構となりおおせることを拒否する〉と彼は書いている。イデアの世界に回収される物質は高みに置き換えられる物質だが、それを拒否する物質を低次の物質、それを根底においた物質論を彼は低次の物質論と呼んだのである。

 この徹底的な物質論を前にしたとき、ほかの物質論はどのように映るか? これまでの唯物論においては、物質は体系化されるが、その階層的関係付けは、観念論の性格を与えることになる。これが機械的あるいは物理的な唯物論の実体である。バタイユがもう一つ取り上げるのは、現代の唯物論である弁証法的唯物論である。バタイユは弁証法的唯物論が、グノーシスから受け継いだ概念から発達したヘーゲルの絶対的観念論を出発点としながら、体系化と抽象化を免れてきたことを評価し、それがグノーシスとさほど異なっていないと言う。この点で彼はマルクス(この名は引かれていないが)主義への親近性を告白していると言える。しかしながら、この親近性もまったく肯定的なものではない。なぜならその出発点となったヘーゲルについては、脚注においてだが、その完璧な体系性のために物質的な要素は去勢された状態に貶められていると批判されており、それを転倒しつつであれ出発点とすることは、物質的要素のこの去勢状態を引きずって行くからだ。「人間の姿」では、ヘーゲルの弁証法には、絶対的に異質であるものをごまかしによって回収してしまう作用のあることが批判されている。
 「低次唯物論とグノーシス」には、弁証法的唯物論と呼ばれるものへの批判が声高に叫ばれているのではない。だが以後のバタイユの物質に関わる探究をたどっていくと、それがどう見ても右のように名付けられる理論と合致しそうもないありようが描き出されてくる。たとえば「低次唯物論とグノーシス」の中でも、物質への傾斜を〈悪への不安な譲歩〉と見なす如きは、けっして弁証法的唯物論の中からは出てこない見方であろう。私にはバタイユは、物質を労働に移行する直前でとらえようとしたのだと思える。それは後に、労働を越えるところに非生産的消費をとらえようとすることになったのと同根だが、そこに現れる物質は異様なものである。それをよく表しているのは、「足の親指」最後の次のような一節であろう。〈現実に立ち戻るということは、いかなる新たな承認を含むわけではなく、人が下劣なことがらに、価値転換もせず、眼をかっと見開きながら、叫びださんばかりに魅惑されることを意味する。ちょうど足の親指に眼を寄せて大きく見開くように〉。この物質は、イデアへはもちろんのこと労働へも回収されないまま、人間を魅惑しかつ恐怖させるものである。

 この度しがたい物質性がどのように動き、どのような作用をもたらすかという問いかけに応答しようとするように読みうる論文もドキュマンにある。それは「素朴絵画」と「供犠的な身体の毀損とヴァン・ゴッホ」である。この二つが一緒にするのは、絵画あるいは画家を主題としているからではなく、物質的なものに対する同じ関心に貫かれているように見えるからである。
 「素朴絵画」は、絵画の発生をめぐるリュケ氏という人物の書物に対する批判だが、リュケ氏は、絵画の発生を類似に見ている。子供あるいは原始人類は、たとえば壺に手を突っ込んで顔料を壁になすりつけるが、そうして出てくる痕跡がなにかの形に似ることがある。それを修正しながら類似を見つけだしていくことが絵画を成立させるというのが、バタイユが見るところのリュケ氏の考えである。ところで、バタイユは同じ状況を想定しながら、そこに破壊と変質を見るのだ。顔料を壁に擦り付けるとき、それは対象である壁を、ひいては描くための材料そのものを破壊し、あるいは変質させることである。その結果類似が現れるかどうかは、第二段階の問題にすぎない。〈造形芸術の根底にあるのは、手の下にあるものを破壊することである〉あるいは〈芸術は・・・連続的な破壊から生まれる〉と彼は述べる。
 ところでこの破壊あるいは変質とはなにか。私にはそれは、物質自体に衝突することを指しているのだと思える。類似においては、物質はかたちをなぞられるだけで、本当はそれは触れられてもいない。ところが破壊と変質が想定されるとき、そこでは物質は触知され、運動へと投入される。彼は芸術の根底に破壊と変質を考えたとき、そこに物質の運動を見ていたことは確かである。
 「供犠的な身体の毀損とヴァン・ゴッホ」はドキュマンの最終号に発表されたものだが、自分の耳を切って娼婦に届けたゴッホの例を皮切りに、故知らぬ力、あるいは外側から来る声に強いられるようにして耳、眼、指などの身体の一部を自分で切り取って捧げた人々の例を検討している。ピカソ頌として書かれた「腐った太陽」も同じだが、ゴッホの例をたどるならば、彼は以前から太陽あるいはその代置としてのひまわりやろうそくに憑かれており、彼の事件は太陽へ犠牲をささげる行為であった。この点でゴッホらの例は、多くの文化に見られる供犠と共通するが、異なるのはゴッホらの例では、供犠は自己毀損として行われたという点である。文化としての供犠においては、捧げられるもの=犠牲獣と捧げる者=祭司は別の存在であり、現世の有用性の網目を抜け出て聖なるものとなるのは前者であって、祭司及び供犠の参加者は、この犠牲獣に同化することで擬似的に聖なる世界を経験するにすぎない。それに対してゴッホらの例では捧げられるものと捧げる者は同一であり、後者擬似的にではなく、実践的に聖なる世界を経験するのである*4
 供犠の性格がこのように突き詰められるとき、その性格はいっそう明らかになってくる。バタイユは次のように言う。〈こうした比較をあれこれ辿ってくると、贖罪や各種の目的に供犠の機構を利用することは二義的なものに思われてくる。そして人格の根源的な変容――それは近親の死、成人式、新しい収穫の賞味など集団生活のなかでおこるほかのどんな変容とも結びつきうるのだが――という基本的な事実のみを引き出したくなる〉。述べられているのは、供犠と名付けられる儀式は必ずしも宗教的とみなされる必要はないということ、そして供犠の根底には人格の変容があるということだ。後者については論文で繰り返し述べられている。変容とは傷つけることであって、それによって傷つけられたものは自己の同一性をなくし、自己の外に出る。ところでそれをいう変容という言葉は、先の「素朴絵画」での変質と同じalterationという言葉なのだ。わずか一号だけの違いで使われたこの言葉は同じ意味を持っていると考えることは無理ではあるまい。人格の変質が、身体の毀損というかたちをとるのならば、人格といわれているもののうちにあるのもおそらくは物質である。だから供犠とは本当は、人間の存在の物質性を明らかにし、それを傷つけるというかたちのもとに運動状態へと投げ入れることなのである。

 ついでこの物質性は、社会的なものへの視野を拡げる可能性を持つ。すでに「唯物論」でバタイユは次のように述べている。〈唯物論は、人為的に切り離された物理学の諸現象のような抽象的概念の上にではなく、心理学的また社会的諸事実の上に直接立脚しない限り、老いぼれの観念論とみなされるだろう〉。物質の社会化は、ドキュマンでは、それ以後のバタイユの仕事と比較すればだが、十分に深く追求されたと言えない。バタイユは「ごたごた三人組」では、娯楽はイデアリスムの対極にあると言っている。また「エマニュエル・ベルル」では、〈社会の基底にある層〉の重要さを語っている。「八〇日間世界一周」、「ブラック・バード」、「ハリウッド」、「xのしるし」などは、レビュウ、漫画、犯罪写真集など紹介というかたちをとった大衆という最も基底的な社会層への関心である。この層は、言うまでもなく、低く、猥雑で、イデアからもっとも遠く、社会の中の物質性に相当する。物質そのものの探究は、社会の中での物質性の探究へと展開されねばならない。ドキュマンの記事はその最初の関心のあらわれであって、可能な限り多様な姿をとったが、以後それは理論的な探究という方向をとりはじめる。

*1 ドキュマンついては復刻版を参照した。Edition Jean Michel Place, 1991.
*2 以下に参照する論文の出典は次の通り。レリスの「不可能な存在バタイユから不可能な雑誌ドキュマンへ」六三年、ガシェ「思考の早産児」七一年、以上二つは『バタイユの世界』七八年、青土社に訳されている。オリエの解説 La valeur d'usage de l'impossibleは前記復刻版の冒頭。ディディ・ユベルマンについては、Georges Didi-Huberman,"La ressemblance informe, ou le gai savoir visuel de Gerges Bataille", Ed.Macula, 1995.そのほかバタイユ全体にわたる唯物論の問題については、西谷修氏の「物質的恍惚のために」ユリイカ八六年二月号が参考になった。
*3 第二次大戦後になってさまざまな文書が発見され、グノーシスの関する理解は二〇年代とは大きくかわってきた。西洋思想大辞典、平凡社、「グノーシス主義」の項。
*4 自己が自己を供犠に捧げることを、バタイユはこの論文で「神の供犠」だと言っている。いうまでもなく、これは後になってバタイユが、イエスの処刑に見た出来事であり、ニーチェによる神の殺害のことでもある。

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