カメムシ

長尾高弘



 大きさはてんとう虫とほぼ同じだが、色が茶色くくすんでおり、よく見ると形もまん丸ではなくて、亀甲形に角がある。てんとう虫とよく似てはいるが、やはり違うようだ。子供の頃、昆虫図鑑で見たカメムシというものかなと思った。図鑑には、確か、危険を感じると身を守るために悪臭を放つと書いてあったはずだが、初めて見たときにはその悪臭はなかった。だから、そのときにはカメムシだという確信は持てなかったが、この家はそのカメムシがやけに多い家だった。引っ越してきてから二年半たつが、毎年見かける。もっとも、一年じゅうのべつまくなしに現われるわけではなく、今年の場合は秋口から目立ちだしたので、秋に発生するものなのかもしれない。これが冬から春まで発生し続けるのか、秋で終わってしまうのかは、そのときになってみなければわからない。毎年、いつの間にかそんなものがいたことさえ忘れている。しかし、現に今は毎日のように現われる。たとえば、外で干していた洗濯物によくくっついているので、白アリのように家に住み着いているのではなく、外にいるやつが何かの拍子で紛れ込んでしまうようだ。坂の下のYさんの家ではそのようなものは出ないという。その家に二十年以上住んでいた妻がそう言うのだから間違いない。カメムシはなぜこの家を選んだのだろうか?
 初めてカメムシが悪臭を放ったのがいつだったのかは、もう覚えていない。しかし、今はカメムシを見るとすぐに悪臭を連想する。どう悪いのかというとうまく説明できないが、たとえば糞尿や生ゴミの臭いではない。理屈では、悪臭だと思うのは気のせいで、本当は悪い臭いじゃないのかもしれないという考え方も成り立つが、その臭いを実際に嗅ぐとやはり悪い臭いだと思う。その臭いのためにカメムシは我が家では嫌われており、「カメ」と呼ばれている。「カメ」という言葉が発せられるときのイントネーションは、たとえば「バカ」という言葉が発せられるときのイントネーションと同じである。「カメ」は見つけられるとすぐにティシュペーパーでくるんで捨てられる。ただくるんだだけではまた出てくるかもしれないので、御丁寧にも指ではっきりとした感触が得られるまで潰される。「カメ」は亀同様に動きが鈍いので、見つかったときには百パーセント潰される。「カメ」は潰されるときに例の悪臭を放ち、ティシュペーパーにしみを作る。ティシュペーパーにしみを作る液体が、悪臭の元なのだろうがはっきりしたことはわからない。「カメ」を潰した指には「カメ」の悪臭が染み付く。一日に何度も「カメ」を見つけ、「カメ」を潰していると、一日中「カメ」の臭いに付き合うことになってしまう。人間の側に潰している意識がなくても、知らないうちに人間の体の下敷きになり、潰れて悪臭を放っている「カメ」もいる。この場合は、先に悪臭を感じてから、「カメ」の死体を探して始末するのである。
 このようなカメムシを見ていると、悪臭がカメムシの危機を助けているとは到底思われない。悪臭を放たなければ、カメムシは我々に潰されることなく、外に逃がしてもらえることだろう。しかし、ものは考えようである。潰さずに外に逃がせば、カメムシも悪臭を放たないかもしれない。さっそく試してみた。結果は芳しくなかった。この家を選び続ける限り、「カメ」は潰され続けるだろう。この家にはカメムシの悪臭が漂い続けるだろう。

[ホームページ(清水)] [ホームページ(長尾)] [編集室/雑記帳]
エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.19目次] [前頁(フォアグラ)] [次頁(群衆)]
mail: shimirin@kt.rim.or.jp error report: nyagao@longtail.co.jp