宮沢賢治論
――『雁の童子』考――

木嶋孝法



 宮沢賢治の作品のいくつかが、聞き書きという形態をとっているように、『雁の童子』もまた、一人の巡礼の老人から、中国のマクラカン砂漠でわたしが聞いた話という体裁をとっている。
 奇妙な話である。須利耶という人物がいて、鉄砲を持った従弟と野原を歩いているとき、従弟に向かって慰みの殺生を止めるように言う。しかし、従弟は耳を貸さず、ちょうど飛んできた雁の群れを撃つ。〈殺生〉を戒めることが主題なのかなと思っていると、従弟に撃たれた六羽の雁と、傷ついていない小さな雁が落ちてきて、人間に変わり、「私共は天の眷族だが、罪あって雁にさせられていた。報いを果たしたので天に帰る。ただ孫だけは帰れない。あなたに縁のあるものだから、お育て願います。」と言うのである。
 すると、天で犯した罪のために雁の姿にされていた六人は、撃たれたことによって罪を償い終わり、天に帰ることができたことになる。従弟は、天の眷族をむしろ救ったことにならないか。一方で殺生を戒め、一方で殺生が救済の側面を持つという奇妙な設定は、もっぱら童子を須利耶に預けることに専心しているからだと思える。
 それにしても、童子はどうして撃たれもしないのに落ちてきたのか。また、雁の呪いを解かれたのか。さらには、みんなといっしょに天へ帰ることができないのか。
 これらの疑問に答えているのは、話の終末部らしい。
 町はずれの砂の中から掘り出された、沙車大寺の壁に描かれた三人の童子を見て、須利耶が《この天童はどこかお前に肖てゐるよ》と言ったときには、童子はもう倒れかかっていて、須利耶の腕の中で《おぢいさんがお迎へをよこした》と言うのである。須利耶が、何かに気づきかけたところで、童子もまたこの地での使命を終えたかのようである。そして、最後に童子は、自分が須利耶の息子であること打ち明け、沙車大寺の壁の絵は、須利耶が前(前世?)に描いたものであることを告げて、おそらくは息絶えるのである。
 わたしは、賢治が信奉していたという『法華経』の「信解品」の中にある〈長者窮子の喩え〉を想起する。家を出て放浪していた息子に、父である長者が、いきなり自身が父であることを告げずに、わざと掃除夫として雇い入れ、死ぬ時になってすべてを打ち明けるという話である。法華経作者(ら)の意図は、明瞭である。仏の慈悲とは、かくも深いものだ、ということに尽きる。父と子の関係が、逆転しているとは言え、『雁の童子』は、雁の童子の慈悲深さを、言い換えれば、仏の慈悲深さを讃ってはいない。父が何かに気づくのを待って、ひたすら試練に耐えているのである。


《(雁のすてご雁のすてご
  春になってもまだ居るか。)
 みんなはどっと笑ひまして、それからどう云ふわけか小さな石が一つ飛んで来て童子の頬を打ちました。(中略)
(よくお前はさっき泣かなかったな。)
 その時童子はお父さまにすがりながら、
(お父さん、わたしの前のおぢいさんはね、からだに弾丸を七つ持ってゐたよ。)
と斯う申されたと伝えます。
 巡礼の老人は私の顔を見ました。
 私もじっと老人のうるんだ眼を見あげて居りました。》

 作者が感動を強要しているとまで言いたくはないが、感動的な場面ではあるらしい。童子は、自分の受けた苦痛など、おじいさんの受けた試練の比ではないことが言いたいらしい。あるいは、童子は使命を果すまでは、数々の試練に耐えている、という風にも取れる。
 この他にも作品は、童子の挿話をいくつかあげている。ある晩のこと、童子は熱を出す。水が昼も夜も流れることを聞くと、その熱は治まったという。また、こんなこともあった。

《童子は母さまの魚を碎く間、じっとその横顔を見てゐられましたが、俄かに胸が変な工合に迫って来て気の毒なような悲しいやうな何とも堪まらなくなりました。くるっと立って鉄砲玉のやうに外へ走って出られました。そして真っ白な雲の一杯に充ちた空に向って、大きな声で泣き出しました。》(『雁の童子』)

《食はれるさかながもし私のうしろに居て見てゐたら何と思ふでせうか。「この人は私の唯一の命をすてたそのからだをまづさうに食つてゐる。」「怒りながら食つてゐる。」「やけくそで食つてゐる。」以下略。》(大正七年五月書簡)

 比べてみれば明らかなように、童子の殺生への異常なまでの嫌悪は、ほとんど作者のそれと同じである。引用には現れていないが、この時の童子の両親の途惑いも、作者の眼に映った現実の両親の途惑いと言っていいのではないか。

(だってお父さん。みんながあのお母さんの馬にも子供の馬にもあとで荷物を一杯つけてひどい山を連れて行くんだ。それから食べ物がなくなると殺して食べてしまふんだらう。)

 この話を聞いた後では、須利耶はこの童子を少し恐ろしく思ったという。
 母親の驚きや父親の恐怖は、童子の反応が両親の理解を越えていたことを示す。この理解されないということが、童子のもう一つの試練であるように見える。それは、童子が天の眷族で、下界の人間の理解を超越しているからなのか、それとも、他に理由があるのだろうか。作品は、それは、父親たちが何かを忘れてしまっているからだ、と言っているようにみえる。壁画の三童子は、須利耶が描いたものだと告げる件りが、それに当たっている。

 不思議なことに、壁画の三童子は、須利耶が描いたもので、その一人は自分であることを打ち明けただけで、この作品は終わってしまう。童子の話を聞いて、仏心に目覚めた須利耶が、何かをしたというのではないのである。それだけに、作者は、父の改心にしか関心がなかったのだ、と言える。

《さて、寒い処、忙がしい処父上母上はじめ皆々様に色々御迷惑をお掛け申して誠にお申し訳けございません。一応帰宅の仰度々の事実に心肝に銘ずる次第ではございますが御帰正の日こそは総ての私の小さな希望や仕事は投棄して何なりとも御命の儘にお仕へ致します。》(大正十年二月書簡)

 この書簡は、家出した先の東京から故郷の花巻の父へ宛たものだ。ここで〈帰正〉と言っているのは、家の宗派を浄土真宗から日蓮宗に改めることである。つまり、父が宗派を改めた日には、自分の希望は捨てて、父のどんな命令にも従うと言っている。この時期の賢治の願いは、雁の童子の須利耶への願いに通じるものがあった。〈天の眷族〉とか、〈童子〉という言葉自体、自分は菩薩だ、人々を救う使命があるという意識の現れである。雁の童子の秘めた使命は、そっくりそのまま作者の願望だ、と言うことができる。『雁の童子』という虚構が、作者にとって、〈父〉への抵抗の砦なのである。 (了)

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