《近況集》

長尾高弘
8月いっぱいでぱろうる渋谷店は閉店になるという。以前も近況に書いたことだが、こういう店がなくなるのはやはり残念なことである。閉店直前の数ヶ月間、『長い夢』を置いてもらえたのはうれしいことだったが、結局売れはしなかった。だからというわけではないが、ホームページで『イギリス観光旅行』という新詩集を公開した。ホームページに置くと、どのくらい読まれたかが大体わかる。しかし、世の中にはわからない方がよいこともあるようです。

田中宏輔
『陽の埋葬・先駆形』は、ひとつの理論であり、その実践なのですが、統覚力だけが勝負の、ほとんど推敲なしのオートマティックな作品群です。かつての投稿時代のダイナミックな手応えが甦りました。ところで、いま、ある新聞の日曜版の折り込みに、月二回というペースで、拙作を掲載させて頂いているのですが、『水面に浮かぶ果実のように』や『高野川』のような、投稿時代の雰囲気とよく似たものになっています。これは、若返りというものでしょうか、それとも、退行というものでしょうか。まっ、いずれにせよ、しばらくは、こういった状態が続きそうな気配がいたします。

築山登美夫
会社という摩呵不思議な閉塞空間にしばらく閉じこめられていました。自由闊達で風通しのよい場処にいつになったら到達できるのか。そんなことばかりかんがえていたようです。もしかしたら人間というのは精神的な不具を代償にして社会化するイキモノで、そのことにじつはなんの痛痒も感じていないのではないか。サリンを撒いてこい、と云われればサリンを撒きに行く、ばかりでなく、そのことをすぐに忘れ、プロ野球の話をしたりなんかしている。逮捕されてはじめてじぶんのしたことに気づく、ばかりでなく、その人が同時に人望があつかったり、人情味のある人だったりする−−などというのはほんの一部ですが、しかしそんな共同体人間批判もじぶんにアイソづかしをしないための防御機制の発動なのかも、などとかんがえていたら、いま吉田裕さんから電話がかかってきて、ひさしぶりに風通しのよい話をしました。どうせ短い人生、つまらないことに顧慮せず生きたいように生きるほかなく、次回はきっと、もっと愉しい報告をします。それにしても、もっとも個性的に生きたいように生きているようにみえる野茂やイチローのような人ほどつまらなそうな表情をいつも浮べている日本人とは何なのか、とかんがえざるをえません。本のオススメは高橋英利『オウムからの帰還』です。その他のオウム本は、吉本隆明のものはさすがに参考になりますが、それ以外は芹沢俊介のものもふくめて、全部ダメです。危機感がなさすぎると思いました。オウム事件にたいする反応で大きな岐路に立たされているのは確かなようです。 ( 96/6)

吉田裕
「バタイユ・ノートV:バタイユ・マテリアリスト」の題で載せて貰ったものが、本になります。対象にした論文の翻訳と一緒で、『ニーチェの誘惑』の題で、版元は書肆山田です。場を与えてくださった清水さんと有形無形の励ましをくださった方々に感謝。次の仕事のためにも、売れてくれると良いのだけれど。ご支援をお願いします。

[ホームページ(清水)] [ホームページ(長尾)] [編集室/雑記帳]
エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.21目次] [前頁(ハイパーテキストへ 4)] [次頁(編集後記)]
mail: shimirin@kt.rim.or.jp error report: nyagao@longtail.co.jp