話の途中で、タバコがなくなった。

田中宏輔



それって、雨のつもり? あきない人ね、あなたって。 忘れたの?あなたがしたこと。 あなたが、わたしたちに約束したこと。 もう、二度と滅ぼさないって約束。 また、はじめるつもりね。 すべての生きた言葉の中から、 あなたが気に食わない言葉を選んで ぜんぶ抹殺するつもりでしょ。 この世界から。 なんて、傲慢なのかしら。 前のときには、黙っててあげたわ。 わたしも、品のない言葉は嫌いですもの。 それに、品のない言葉を口にする子供を目にして、 これではいけないわ。 悪い言葉が、悪いこころを育てるのよ、 って、わたしは、そう思ってたの。 でも、それは、間違いだったわ。 どんなに、あなたの目に正しく、 うつくしい言葉でも、 わたしたちのこころは、それだけじゃ まっとうなものにならないのよ。 ほんとうよ。 あっ、タバコが切れたわ。 ちょっと待っててちょうだい。 そう、そう、こんどの箱舟には どんな言葉を載せるの? やっぱり、つがいにして? 滅びるのは悪い言葉だけで、 生き残るのは正しい言葉だけ? でも、すぐに世界は いろんな言葉でいっぱいになるわ。 あなたが嫌う、正しくもなく、うつくしくもない言葉が すぐに、この世界に、わたしたちの間に、 はびこるはずよ。 雨の日に、こんな詩を思いついた。 ありきたりのヴィジョンで あまり面白いものではないかもしれない。 最近は、俳句ばかり読んでいる。 富田木歩という俳人の顔写真がいい。 いま、ぼくが付き合っている恋人にそっくりだ。 本から切り取り、アクリル樹脂製の額の中に入れて、 机の上に飾って眺めている。 ぜんぜん似ていないと、恋人は言っていたけど。 恋人の親戚に、名の知れた俳人がいる。 と、唐突に、 音、先走らせて、急行電車が、駆け抜けて行く。 普通なら止まる、一夏(いちげ)のプラットホーム。 等しく過ぎて行く、顔と窓。 蚊柱の男、ベンチに坐って、マンガに読み耽る。 白線の上にこびりついた、一塊のガム。 群がりたかる蟻は小さい。 ヒキガエルが白線を踏むと、 蚊柱が立ち上がる。 着ていた服を振り落として。 ふわりと、背広が、ベンチに腰かける。 胸ポケットの中で、携帯電話が鳴り出した。 誰も、電車が来ることを疑わない。

『陽の埋葬・先駆形』


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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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