〈近況集〉

吉田裕
バタイユのことを調べていて、友人である画家アンドレ・マソンの存在の大きさに今更ながら気づいています。バタイユは特異な思想家であるに違いないが、それでも全く孤立していたわけではありません。神話、残酷さ、古代ギリシャ、ニーチェヘの関心などで、マソンから啓発されたものはとても大きいようです。もちろん相互的に影響し含っているのですが。いつかそんなテーマも扱えたらと思っています。

田中宏輔
現代教養文庫から出てる『妖精メリュジーヌ伝説』という本を訳者の方からいただいて読みました,さまざまな古典と同様に、物語文学の型の一つであると思われました。物語の展開に不可解なところがあるのは、古典にありがちなことですが、(例えば、あるところに、三日後に死んだという記述があるのに、そのあとのところでは、一週間以上も生きて活躍していたり、とかです。)その不可解さが、すごく面白く感じられました,ぽくも、『先駆形』の中で、こういった不可解さに通じるものを何度か表出してみましたけれど、『妖精メリユジーヌ伝説』が持つ魅力には至りませんでした。もっと素朴に、不可解たれ、ということでしょうか。まるでハイミー、いえ、俳味のようですね。(笑つてね。)

倉田良成
このあいだ「シンドラーのリスト」をテレビでやっていましたが、最後まで観る気にはなれなかった。非人間的なナチスの所業を(たとえそれが現実にあったことでも)意図された非人間的な映像で盛り上げて描くことにはやや納得できません。印象が強烈であればあるだけ、イマジネーションの悪といつたものが感じられてこころが浄化されないのです。最後まで観ていないので責任ある言辞とはいえませんが、その夜の悪夢に出てきたことだけは確かです。

築山登美夫
この2月19日は朝に埴谷雄高、夜にトウ小平と、奇妙に照応する超高齢の死がつづきました。照応する、と云ったのは、老獪、世渡り上手といったすぐ思いつく長い晩年の共通項のほかに、「世が世なれば」埴谷は周恩来のような場処にいた人なんだという意味のことを菅谷規矩雄が云っていたのを思い出したからです。新聞には礼賛記事があふれていますが、ひどいもんだねえ、というのがぽくの感想です。毛皇帝を継いだトウ皇帝のことは措くとして、埴谷を熱心に論んだのは75年の「死霊」第5章までで、とくに7章以降は読むに堪えないものでした。左翼全盛期に放ったスターリニズム批判は不朽だとは思いますが、後年の埴谷は幻の50年代、見せかけの左翼優位の冷戦構造にしがみついた神話的説話論者として記憶されるのではないでしょうか。面白くない時代がつづきます。今年あたり、守りに入っていた人々のつもりにつもった不満のエネルギーがあちこちで爆発するのでは、という気がしてなりません。本のオススメは 「吉本隆明×吉本ばなな」。いま人がもっとも知りたがつていることが詰まつた、切実で楽しい本です。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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