彼らが消えた空 ――あるいは喉歌(ホーミー)

倉田良成



(彼らはどこへ走り去ったのか) 報道によれば、中国・内モンゴル自治区において、 一キロ以上の距離にわたり約一万個に及ぶおびただしい恐竜の足跡が発見されたという。 推測される恐竜は体長一メートルほどの草食性で、 素早く走る強靭な脚と体力とを備えていたと思われる。 そこには半ば成熟した骨格を含む、割れた卵の化石も混在しており、 「今世紀最大の発見のひとつ」との学者のコメントも添えられている。 (彼らはどこへ走り去ったのか) 新聞には現場のカラー写真が載せられていて はるか彼方から土煙をあげながら押し寄せて、肉食性恐竜の卵を蹴散らし 流れるたてがみのような地紋を残して去っていった丘のあたりの青空が写っていた (そしてそのむこうには何もない) ヒトも文明もNationもまだ何もない、 大陸と海の入り組みも異なった明るい別世界で (彼らはどこへ走り去ったのか) 昼の横浜駅のホームでは焼けたハンバーグの匂い 午後の新橋駅ではカレーの匂い 夜の東京駅ではフライドチキンを揚げる匂いがたちこめて 待ち合わせのたび、きみと私はおたがいの空腹を確認する ローマ人たちは塩とミルク粥で神話が描くすべてであった地中海世界を圧倒し イギリス人はローストビーフでコンパスがとどく限りの海を手に入れたが きょう食卓に置くサラダの苦味(くみ)のなかに きみと私はどんな親密な草食性の記憶の殻を確認するか? (彼らはどこへ走り去ったのか) そこは地名などない、見知らぬ太陽のかがやく場所だ 丘の勾配と地のくぼみが九千万年前の光景で風に吹かれている 夕刊を持って向かい合う、駅の待合室のきみと私のかたわらを つねにしおさいのように走り去る背のひくい影の群れ 彼らが招ばれて消えた、神が与えた青空の空虚は 朝、私を呼ぶきみの最初の声のなかで羊飼いの歌のように鳴る

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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