ハイパーテキストへ(連載第6回)

長尾高弘



 前の号は休んでしまってごめんなさい。別に書くネタがなくなったわけではないのだが、書くヒマがなかったのである。特に懺悔のネタは、決してなくならないところが悲しいところだ。1回抜かした分、少々古い話題になるが、『るしおる』29号(書肆山田, 1996年11月)の清水哲男さんの「蛍の頭 4」に、清水さんが引用した大村浩一氏の文章のなかにさらに引用されている私のメールというものがあって、そのなかで私は日本には大学や読者のページがないと言っている。
 問題のメールを書いたのは、去年の夏頃だったと記憶しているが、『るしおる』が発売された11月頃には、すでにこの見解が誤りだということはわかっていた。特に国文学関係の電子テキストの蓄積は、現在のインターネットの普及度を考えれば、かなり進んでいると言ってよいだろう。福井大学の岡島昭浩さんが作られたリンク集(http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/bungaku.htm)は、それらの電子テキストを一望のもとに見渡せるすばらしいものになっている。先ほどの引用されたメールのなかで、私はないものの例として万葉集を挙げているが、万葉集については検索機能付きのページが少なくとも2つあることがわかる(http://dtkws01.ertc.edu.yamaguchi-u.ac.jp/~kokugo/search.htmlhttp://www.kyu-teikyo.ac.jp/~ichikawa/ltdb/index.html)。近代以降でも、中原中也については、長崎大学の中原豊さん(http://133.45.168.7/chuuya.htm)が初期短歌、『山羊の歌』、『在りし日の歌』の完全なテキストを公開されている。
 岡島さんのページからリンクされているページをいくつか見てみると(とうてい全部は見切れないのだが)、国文学畑の人々のページは互いによくリンクされていることがわかった。短歌関係のページも相互リンクされている(俳句関係はそうでもないようだ、などと言って新たな懺悔のネタにならなければよいが...)。そして、私のリンクページに含まれている(現代)詩人のページも、相互リンクされている。しかし、分野が少し違うと、個人ページのリンク集には限界が出てくる。問題のメールを書いた頃の私のホームページ探しは、主としてそれらのリンク集(それと登録系検索エンジン)に頼っていたので、ちょっと分野の異なるページには気付かなかったのである。
 それでは、何かほかの手段はないのだろうかと言えば、もちろんあって、それはいわゆる検索エンジンというものである。検索エンジンには、大きく分けてロボット系と登録系の2種類がある。ロボット系のエンジンは、自動的にあちこちのページにアクセスして情報を蓄積するのに対し、登録系のエンジンは、ホームページのオーナーが自分のページの情報をエンジンに提供する。当然、ロボット系のエンジンの方が蓄積している情報は多いが(しかし、それもロボットプログラム次第である)、登録系のエンジンは、オーナーが分類、メッセージなどを書いているので、情報の精度が高い(かもしれない)。問題は、どちらも数種類ずつあって、どれを使うか迷うというところである。
 このような悩みは、Asai Isao氏の「検索デスク」というページ(http://www.bekkoame.or.jp/~asaisan/)に行けば、かなり解消される。このページを使えば、1つのキーワードで複数の検索エンジンを呼び出すことができる。それだけではなく、どこのエンジンが強力で、どこのエンジンの登録数が多いか、といったことも説明してくれている。
 「検索デスク」を見て以来、私は、日本語関連ではgoo(http://www.goo.ne.jp/)、海外ではHotBot(http://www.hotbot.com/)を愛用するようになった。どちらも、それぞれの分野でAsai氏が検索力トップと評価しているロボット系サービスである。ロボット系のエンジンは、ほんのちょっとでもキーワードが含まれているページを律義にリストアップしてくるので、はっきり言ってゴミ情報が多い。そのことはロボットプログラムの開発者たちも考えているらしく、goo、HotBotは、ともに何らかの基準に基づいてページにランクを付け、それを%表示してくる。しかし、ランクが高いからといって、期待通りのページが出てくるとは思わない方がよいようである。当たりのページを見付けるまで、いくつものページをクリックしなければならない。かなり根気のいる作業になる。しかし、あれこれの人名をキーワードとして検索してみると、それなりに面白いページが見付かる。
 たとえば、ブラジルのギタリスト、Ziqueさん(http://www.netserv.com.br/zique/)のページのディスコグラフィには、Gozo Yoshimasu and Ziqueの"The moan close my face is a fish"というものが含まれている。moanがmoonの間違いだとすると、『死の舟』(1992年、書肆山田)に収録されている「わたしの貌のよこの月は魚だ」のレコードなのだろう。また、カトマンズポスト(The Kathmondu Post)のあるページ(http://www.south-asia.com/Ktmpost/1996/Dec/Dec18/dec18-lc.htm)には、「日本詩の大御所、谷川俊太郎と新世代の代表的な詩人、佐々木幹郎が来た」という記事が掲載されている。これからは、海外に行ったからといって、地元の新聞記者に「最近の日本の詩の大半は、リアリティがないねー」などとうかつに言うと、日本の端末からばっちり見られてしまうのである。
 詩の読者のページも、gooで見付けることができた。川端秀人さんのページ(http://server1.seafolk.co.jp/~kwbt/)は、「詩を読もう 私家版現代詩の歳時記」と題して、毎月、詩を1つずつ取り上げて、それらの詩にまつわる思いをエッセイにしているというページである。6月分は、田村隆一「保谷」を取り上げているのだが、エッセイは、岡田隆彦の訃報に接し、突然北海道から九州に電話をかけてきた友人の話から始まっている。その友人は、「周りを見てもさ、岡田隆彦なんて誰も知らないしさ…」と言っているが、川端さんの文章を読むと、逆に「彼の死に感慨を覚える人間があちらこちらにいるのだ」ということを確認させてもらえる。詩を読んでいてよかったなと思うページである。
 読者のページでは、もう1つAkira "Kevin" Koyasuさんの「吉岡実の世界」(http://userwww.aimnet.or.jp/user/akirakoyasu/yoshioka.html)というページもある。Koyasuさんは、このページで、「彼がどれくらい世の中に知られた詩人であるのか僕は判りません。正直、20年前に買った詩集「サフラン摘み」以降に彼がどんな創作活動をしてきたのか、或は現在も存命なのかそれさえも知らないのです。」 と書かれているのだが、私はつい、吉岡実は90年に亡くなったとメールしてしまった。Koyasuさんからは、ありがとうという返信をいただいたが、あんなメールしなければよかったのではないかと今でも少し後悔している。
 研究者、読者のページがあることはわかった。しかし、最近、これら以上に増えているのは、出版社や書店、古書店のページである。gooで詩人の名前をキーワードにして検索すると、ほとんどかならず古書店のカタログページに行き当たる。古書店業界はもともとカタログによる通信販売が盛んだったと聞いたことがあるが、インターネットはこの方向に拍車をかけるのではないかと思う。カタログを印刷、製本することを考えれば、テキストファイルをHTML化する方がはるかにコストは低いだろうし、まめに更新することもできる。インターネットなら検索機能を付けることもできる。買う側から言っても、サーチエンジンで目的の書名や著者名で検索すれば、あちこちの古書店の在庫がわかるわけだから、便利である。インターネットがTVのように普及するのはまだ先のことだろうし、それまでは従来の形態との併用ということになるだろうが、有望な形であることに違いはない。
 新本の方は、Book Stacks Unlimited(http://www.books.com/scripts/news.exe)を初めとして、アメリカにはかなり多くのインターネット通販書店がある。ユーザー登録して、籠に本を入れていって、最後に購入、配送手続きをする。日本では、このような形で気楽に本を買えるサイトはあまり見かけなかったのだが、最近、図書館流通センター(http://www.trc.co.jp/trc-japa/index.htm)が同じようなシステムを持っていることを知った。思潮社、書肆山田などの詩書もかなり登録されている。まだ、ぱろうるの方が品揃えでは上回るようだが、気楽にぱろうるに行けない地方在住者にとっては便利なサービスだろう。
 そして出版社。すでに七月堂のホームページがあることは本誌20号でお伝えした通りだが、今年の5月21日には、書肆山田もホームページをオープンした。オープンした、などと他人行儀に書いたが、実は、このホームページの作成には、縁あって私も参加させていただいた。そういうわけで、あまり詳しく書くと自慢話になってしまいそうなのだが、このページでは、品切本を含めた書肆山田刊行書の大半について、目次、表紙イメージを含む詳細な情報を提供している。
 ところで、冒頭でも紹介した清水哲男さんの「蛍の頭 4」に引用されている大村浩一氏の文章に引用されている私のメールメッセージには、「日本のリンクは詩人自身が発信しているものが多いのに対し、海外のリンクは大学、出版社、読者のリンクが主です(註: 私のリンク集に含まれているサイトの説明なのでこういう言い方になっている)。鈴木志郎康さんのような一線級の詩人が、自身で発信しているものは、あまりないと思います」と書いてある。海外に詩人本人のサイトがどれだけあるかはよくわからないが、日本の詩人のサイトは、その後も急速に増えている。特に、『列島』に所属していた井上俊夫さん(http://www.asahi-net.or.jp/~yp5k-tkn/)のような大ベテランが自らホームページを開いておられるのはすばらしいことである。そのほか、このシリーズでまだ紹介していないページとしては、山内宥厳さん(http://www.asahi-net.or.jp/~be5y-ymnu/gsjd1.html)、奥村真さん(http://www.freepage.total.co.jp/oku/)、渡辺洋さん(http://www.catnet.or.jp/f451/)、谷内修三さん(http://www.asahi-net.or.jp/~kk3s-yc/)、榎本恭子さん(http://www.asahi-net.or.jp/~yk8k-imd/seishikyutai1.html)のページがある。また、鈴木志郎康さんが「詩の電子図書室」として、清水哲男『スピーチバルーン』、辻征夫『ボートを漕ぐおばさんの肖像』、八木忠栄『にぎやかな街へ』の全篇と恩地妃呂子、奥野雅子、川本真知子さんの詩誌『Intrigue』の第1号を紹介している。清水鱗造さんは、「うろこ通信」というセカンドページを持っており(http://www.asahi-net.or.jp/~cq2k-ktn/fcv/uroko.html。清水さんは、Nifty-ServeのFCVERSEというフォーラムにSHIMIRIN's ROOMというスペースを持っており、うろこ通信のページはそこと直結しているわけである)、ここには、倉田良成さんの『解酲子飲食』、夏際敏生さんが亡くなられる直前まで書かれていた日記が掲載されている。逆に、園下勘治さんのページはなくなってしまった。インターネットのページは生きているので、死ぬこともあるのだ。
 さて、1回抜かしてしまった分、ネタの方も1回分ほど遅れてしまった。実は、私が今一番力を入れているのは、エキスパンドブックというものである。従来は、ホームページからダウンロードできる詩集、詩誌の媒体として、このシリーズの発端となったWindowsヘルプというものを使っていたのだが、エキスパンドブックを知ってからはこちらに乗り換えつつある。次回は、このエキスパンドブックについて取り上げることにしたい。

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