王國の秤。

田中宏輔



きみの王國と、ぼくの王國を秤(はかり)に載せてみようよ。 新しい王國のために、頭の上に亀をのっけて 哲学者たちが車座になって議論している。 百の議論よりも、百の戦さの方が正しいと 将軍たちは、哲学者たちに訴える。 亀を頭の上にのっけてると憂鬱である。 ソクラテスに似た顔の哲学者が 頭の上の亀を降ろして立ち上がった。 この人の欠点は この人が歩くと うんこが歩いているようにしか見えないこと。 「おいしいお店」って 本にのってる中華料理屋さんの前で 子供が叱られてた。 ちゃんとあやまりなさいって言われて。 口をとがらせて言い訳する子供のほっぺた目がけて ズゴッと一発、 お母さんは、げんこつをくらわせた。 情け容赦のない一撃だった。 喫茶店で隣に腰かけてた高校生ぐらいの男の子が 女性週刊誌に見入っていた。 生理用ナプキンの広告だった。 映画館で映写技師のバイトをしてるヒロくんは 気に入った映画のフィルムをコレクトしてる。 ほんとは、してはいけないことだけど ちょっとぐらいは、みんなしてるって言ってた。 その小さなフィルムのうつくしいこと。 それで いろんなところで上映されるたびに 映画が短くなってくってわけね。 銀行で、女性週刊誌を読んだ。 サンフランシスコの病院の話だけど 集中治療室に新しい患者が運ばれてきて その患者がその日のうちに死ぬかどうか 看護婦たちが賭をしていたという。 「死ぬのはいつも他人」って、だれかの言葉にあったけど ほんとに、そうなのね。 授業中に質問されて答えられなかった先生が 教室の真ん中で首をくくられて殺された。 腕や足にもロープを巻かれて。 生徒たちが思い思いにロープを引っ張ると 手や足がヒクヒク動く。 ボルヘスの詩に 複数の〈わたし〉という言葉があるけど それって、わたしたちってことかしら。 それとも、ボルヘスだから、ボルヘスズかしら。 林(はや)っちゃんは、 毎年、年賀状を300枚以上も書くって言ってた。 ぼくは、せいぜい50枚しか書かないけど それでもたいへんで 最後の一枚は、いつも大晦日になってしまう。 いらない平和がやってきて どぼどぼ涙がこぼれる。 実物大の偽善である。 前に付き合ってたシンジくんが 何か詩を読ませてって言うから 「月下の一群」を渡して、いっしょに読んだ。 ギー・シャルル・クロスの『さびしさ』を読んで これがいちばん好き ぼくも、こんな気持ちで人と付き合ってきたの って言うと シンジくんが、ぼくに言った。 自分を他人としてしか生きられないんだねって。 うまいこと言うのねって思わず口にしたけど ほんとのところ、 意味はよくわかんなかった。 扇風機の真ん中のところに鉛筆の先をあてると たちまち黒くなる。 だれに教えてもらったってわけじゃないけど 友だちの何人かも、したことあるって言ってた。 みんな、すごく叱られたらしい。 子どものときの話を、ノブユキがしてくれた。 団地に住んでた友だちがよくしてた遊びだけど ほら、あのエア・ダストを送るパイプかなんか ベランダにある、あのふっといパイプね。 あれをつたって5階や6階から つるつるつるーって、すべり下りるの。 怖いから、ぼくはしないで見てただけだけど。 団地の子は違うなって、そう思って見てた。 ノブユキの言葉は、ときどき痛かった。 ぼくはノブユキになりたいと思った。 鳥を食らわば鳥籠まで。 住めば鳥籠。 耳に鳥ができる。 人の鳥籠で相撲を取る。 気違いに鳥籠。 鳥を牛と言う。 叩けば鳥が出る。 鳥多くして、鳥籠山に登る。 高校二年のときに、家出したことがあるんだけど 電車の窓から眺めた景色が忘れられない。 真緑の なだらかな丘の上で 男の子が、とんぼ返りをしてみせてた。 たぶん、お母さんやお姉さんだと思うけど 彼女たちの前で、何度も、とんぼ返りをしてみせた。 遠かったから、はっきり顔は見えなかったけれど ほこらしげな感じだけは伝わってきた。 思い出したくなかったけれど 思い出したくなかったのだけれど ぼくは、むかし あんな子どもになりたかった。

(『陽の埋葬・先駆形』)


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