近況

吉田裕
 書肆山田の「るしおる」に、バタイユの『死者』についての論考「死者ノ勝利」を書きました。この激烈なポルノグラフィは、僕にとってバタイユを読ませるきっかけとなった作品で、四半世紀を経てその思いを言葉にすることが出来ました。何度読み返しても恐ろしさを感じます。ほかバタイユ・ノートのIII「バタイユ・マテリアリスト」とIV「バタイユ・ポリティック」に『青空』論「星々の磁場」をまとめて本に出来ることになりました。出版社はこれまでと同じく書肆山田。題は「物質の政治学」とするつもり。今回は翻訳の量が多くなりそうで、現在追われています。

青木栄瞳
(CATV/日経サテライトニュースに釘づけの日々が近況です)
東京株式市場第一部銘柄の
最高値と最安値。
――これが、まず、現実世界の最新のニュースです。
(ピカピカの1年生社員の長男は山一より無事平行移動決定)
(パパの会社は株価73円・次男はユメウツツのワセダ・探険部)
(気が弱いママは生まれて3回目のおみくじを初詣で引きました)
☆(太陽マーク)二十七番大吉(出産・思わず早し安産)――予定無し
       (恋愛・誠意にこたえよ)――よろしいのかしら、
       (願望・―――ナイショ)――なぜか?
       (  ・―――――秘密)――いずれ、詩編にて、

森原智子
この原稿もだがポストへ入れると、確認するためにポストの周囲を、小さな虫でもみつける様な眼つきでまわってみないではいられない。この不安神経症がこうじて正月初めは、耐えがたい地獄を味わった。カントは人間の理性へ不信を持ち『純粋理性批判』を完成したといわれているが、普通はちょっとした不条理の入口でまいってしまう。私の場合は自分の詩が未だゴールをきわめていないという声が脳内に響いていたので、医師の診察を受け、それが早い時期だった為にたすかった。信じられない言語を信じて書述する二律背反を日常行為とする詩人は、いつヤ(傍点)られるか油断出来ない。詩をかくのは生半可なカタルシスなど許さない怖ろしいものがある。

布村浩一
9月18日(97年)ミュージカル「ラ・マンチャの男」観る。楽しみにしていた。それまでは唐十郎の芝居か新宿梁山泊の芝居、そういった感じの芝居しか観なかった。唐十郎=唐組の芝居は何時観にいっても同じ劇の構造、同じ観た上での感受が続いているようで、要するにマンネリのように思って他の芝居を探していた。2階の席しかなかったせいか主演の松本幸四郎のセリフは滑らかなんだが、意味そのものは聞き取りにくいように思った。軽い動き、腹八分の動きで芝居でのパワーの出し方をよく心得ているといった感じ。松たか子は出番が少なく、しかしまじめな人だというのが伝わってきた。一番心に響いた歌は鳳蘭の歌う〈あの人はどういう人なんだろう〜〉〈あの人はどうしてああなんだろう〜〉という出だしで始まる歌。そこのところは声が涼しく、聴き入った。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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