犬の死



うちはもともと犬を飼っていい家ではなかったのかもしれない。 十三年前、親しい家で雌犬が何匹もこどもを産んだ。 ゴールデンリトリバー。 かなり大きくなる犬種だが、こどもは小さくてかわいかった。 小学校に入ったばかりの息子が飼いたい飼いたいと大騒ぎをして、 いのちの尊さを学ぶのもよいだろうということで飼うことになった。 息子がジャックという名前を付けた。 三か月まではまだ免疫ができていないからというので家に置いておいた。 誰も犬を飼ったことがなかったので、まるで勝手がわからなかった。 最初はどこででもトイレをしてしまうので大騒ぎだったが、 教えたら、シートにするということを覚えた。 やんちゃなやつで、息子が飼っているというより、 オレの方が偉いんだという顔をしていた。 生後三か月になって初めて動物病院に連れていった。 こちらが何も知らないので、獣医は明らかに呆れたという顔をしていた。 (彼とはその後親しくなったが、犬よりも先に亡くなってしまった) 注射をして散歩に出られるようになった。 それ以来、ジャックは庭で暮らすようになった。 息子では引きずられてしまうので、散歩は私の担当になった。 ジャックは人懐こい犬だった。 庭の横を人が通ると走っていって柵に前足をかけわんわん吠えたが、 ちぎれそうなほど尻尾を左右に振っていた。 犬嫌いな泥棒には効果があったかもしれないが、 番犬としては役に立ちそうになかった。 散歩でも、かまってくれる人がいると、 前足を伸ばして抱きつこうとした。 この癖はどうしても直らなかった。 家のなかに入れて遊んでやらなかったからだろうか? 十一歳というと、犬としてはかなりの高齢だが、 それまでずっと庭からなかには入れなかった。 そろそろ老いて外に置いておけなくなるかもしれないと思っていたときに、 地震が来て原発がとんだ。 放射能の雲がやってくるぞというので、 ジャックも家に入れることにした。 赤ん坊のときに使っていたケージを引っ張りだして玄関に置いた。 最初の夜はいやがって下に敷いたトイレシートをびりびりに破った。 だからシートはトレイの下に敷くことにしたが、 二晩目からはおとなしく寝るようになった。 地震から一か月後には、晴れた昼間は庭に出すことにしたが、 雨の日と夜中はケージのなかにいた。 ケージのなかでは身体じゅうをなめていた。 トイレは一度だけ夜中に漏らしたが、 それ以外は散歩に出たときにした。 一度だけ、家のなかでケージから脱走したことがあった。 脱走したといっても、要するに私が扉を閉めそこねたのだろうが、 外出から帰ってくると、ケージの外からお帰りと尻尾を振っていたのだ。 急いで彼をケージに入れて、家じゅうを点検すると、 寝室で二か所に小便をして、息子の部屋でおもちゃを噛みちぎり、 和室で紙袋を噛みちぎっていた。 お帰りのときの表情にやけに充足感があったような気がした。 こっちの思い込みかもしれないが。 庭にいたときは散歩は日に一度、それも雨が降ったらお休みだったが、 庭では大も小もやりたい放題だったのでそれでよかった。 夜に家に入るようになってからは、 トイレのために朝晩かならず外に出るようになった。 朝の散歩が終わると庭に出て、 夕方私が帰ってくると庭からケージに入れて食事。 それからしばらくして夜の散歩に出た。 もっとも、雨の日は朝の散歩からケージに戻り、 夜の散歩は庭で小便をさせるだけで帰っていたが。 五月十一日の朝までは、そうやって散歩に出ていた。 その日は晴れていたので散歩から帰ると庭に出した。 夕方、ジャックをケージに入れようと声をかけると、 庭の入口の柵までは出てくるのだが、 お尻をたたいてケージに向かわせようとすると、 するりと逃げて庭に戻り、こちらを見ていた。 今までもそういうことは何度かあった。 一度家に入ってしばらくしてからもう一度迎えにいくと、 また同じようにするりと逃げて庭に戻り、こちらを見ていた。 そこで罰としてしばらく庭に置いておくことにした。 そのあとで家人が帰ってきたときには、 やはり柵のところまで出てきて鼻をつきだしていたという。 いつもより五時間ほど遅れてケージに入れた。 餌をがつがつ食べて、身体をなめ始めた。 遅くまで外に出ていたので、夜の散歩は省略することにした。 いつもなら散歩のあとに飲む水を入れてやったが飲まなかった。 見上げる顔が「散歩には行かないのか?」と言っているように見えた。 翌十二日の朝、散歩に連れていこうとすると、 ケージのなかでころっとした大便をしていた。 おやおや大変だと声をかけ、大便を始末してから、 いつものように首にリードをかけて外に出ると、 後ろ足がよろよろして、玄関を出たらすぐに倒れてしまった。 そのまま通路に這いつくばってしまったので、 いつも日向ぼっこをしていた庭のウッドデッキまで抱きかかえていき、 もう一度立たせてみようとすると、 しばらくは立てたがやはり倒れてしまった。 ケージよりはましかと思い、ウッドデッキで寝かせていた。 家人にも知らせ、交代で様子を見ていた。 いつもは夜にしか食べていない餌を持ってきたが食べなかった。 水は、妻が容器を口元まで近づけてやったら少し飲んだが、 その後はもう飲まなかった。 一度だけ位置を変えたようだったが、 そこで小便を漏らしていた。 夕方、また抱きかかえてケージまで戻したが、 昨日まで食べていた餌はもう食べなかった。 十時頃、餌を片付けて水に換えたが水も飲まなかった。 それでも首を持ち上げて少しキョロキョロすることもあった。 少しそうすると疲れるらしく、ぐったりしていた。 十一時頃、水に首を突っ込んで寝ていたので、 急いで水をどけたが、もう首を動かすこともなかった。 ケージに戻して二日目以来初めて敷いたトイレシートが黄色くなっていた。 じっと見ていると、呼吸をして身体が揺れるように動いている気がしたが、 そのまま見ていると、もう呼吸をしていないようにも見えた。 身体を触ると、元気だったときよりは明らかに冷たくなっていたが、 前足の付け根のあたりはまだ温かかった。 十三日の朝、ケージのなかを見ると、昨日と同じ姿でジャックは寝ていた。 身体を触ると、明らかに冷たくなり、固くなっていた。 やはり、十時から十一時までの間に死んだのだろう。 あと二か月弱で十三歳になっていたはずだった。 ネットで調べると、市の斎場で火葬にしてくれることがわかった。 ダンボールで棺を作り、底に水漏れ防止のビニールを貼りつけた。 納棺する前に線香を焚いて家族全員で手を合わせた。 遺骸をタオルで包んでダンボールの棺に収めた。 その棺を車のトランクに入れて斎場に向かった。 合同葬儀と個別葬儀の二種類の方法があり、 合同なら遺骨は返されないが、個別なら返される。 合同を選び、遺骨が返らないことを念押しされ、 遺骨はほかの骨といっしょにコンクリート建材の材料になると説明された。 斎場にも焼香の設備があった。 焼香が済むと、係官が扉の向こうにジャックの棺を運んでいった。 これですべてが終わった。 十三年たっても慣れなかった飼い主のために、 手間をかけさせずに死んでいった。 帰りの車中では、 「これから数日したらジャックが死んだって実感がこみ上げてくるのかもね」 などと言っていた。 実はもうそれを少し感じていたのだ。 棺のダンボールの準備をしていたときに、 ケージのなかで寝ているジャックに、 いつものように「おじゃぐ」と声をかけた。 それから三十秒後に、死んだことを思い出し、 彼の棺を準備していたことを思い出した。 そして、思いがけず涙が出てきた。

2012年5月



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