11 再び道中坂



写真11-1

写真11-1 山田小学校の門
 言うまでもないことだが、私は毎日散歩して散歩の作文を書いて生きているわけではない。仕事をして、その合間に散歩に出かけている。時間的な拘束がなく、昼間、気晴らしの散歩ができるというのは、確かに恵まれている。しかし、仕事が忙しければ、長時間歩いているわけにはいかない。そういう場合には、近場で我慢することになる。たとえば、“(6): 鎌田堂”で出かけた道中坂の方には、その後も3回出かけた。
写真11-2

写真11-2 桜文堂
 1度は、妻と子もいっしょだった。道中坂のお地蔵さん、行ってきたよ、と言ったら、彼女が私も行きたいと言うので、いやがる子供も引っ張り出して出かけたのである。以前、歩いたときに撮り損なった山田小学校とその隣の文房具屋の写真を撮ったあと(写真11-1写真11-2)、前回出かけたときに見つけた東山田工業団地の入口をかすめて通る道を逆に進んでいった(小学校を通り過ぎたあと、写真6-8写真6-13写真6-7写真6-12写真6-6という順番で風景が変わっていく)。地元生まれの妻も知らない道だということなので、少々得意な気持ちで、こっちこっちと道を案内した。子供は、そよかぜ公園のあたりまではちょろちょろと走り回っていたが、東山田工業団地の入口近くになると、疲れた、疲れたと文句を言い始めた。あと少しだからとなだめてようやく鎌田堂に着いた。妻は、六地蔵を見て、なんだ新しいのね、とがっかりしていたが、子供はさっきまでの疲れたはどこへやら、狭い境内を走り回っていた。
写真11-3

写真11-3 別の山田小学校入口
写真11-4

写真11-4 別の田園風景
写真11-5

写真11-5 ちかんを見たらすぐに110番!!
 それでは帰ろうかというときに、妻がもっと近道があるはずだと言い出した。ちょっと寂しい道なので、街灯を増やしてくれと町内会で話題になったところだと言う。そう言えば、以前、町内会の班長会でそんな話題があったような気もした。妻に言われるままに、道中坂下の交差点(写真6-4写真11-9)で、めっきり寂れた旧中原街道の方に入り、少し歩いたところに、以前見つけたのと同じような「山田小学校入口」の看板があった(写真11-3)。ニュータウンでは歩道とさえ言わないような細い道に入り込んでいくと、ちょっといい田園風景があって(写真11-4)、思わず何度もシャッターを切った。道はやがて階段になり、竹薮に入っていった。「ちかんを見たらすぐに110番!!」などという看板(写真11-5)があって、妻は、確かにここは1人じゃ歩けないと言っていたが、ちかんは現われず、そよかぜ公園の横に出てきた。私が見つけた道よりもだいぶ近い。別に勝負をしていたわけではないが、負けたなとちょっとがっかりしてしまった。歩いておなかもすいたところで、その日は白根家(写真6-2)でうどんを食べて帰った。
写真11-6

写真11-6 青面金剛
 あとの2回は1人で出かけた。1度は、最初に出かけたときと同じく山田小学校の校庭側を通って、古い宅地の急坂を下りていったが、途中で抜け道のように見えるところがあったので入ってみると、そこは私有地らしく、「筍を盗むな、毎朝巡回しているぞ」というような看板が立っていた。その道は高圧線の鉄塔で行き止まりになっており、道選びとしては失敗。1度戻って、前回と同じ道を通って中原街道に出た。そのまま道中坂下の方に歩いていくと、道に面して「青面金剛」と書かれた石が立っているのを見つけた(写真11-6)。これも写真7-1と同様の庚申塚の一種である。
写真11-7

写真11-7 ガード下の児童公園
 鎌田堂は飽きたので素通りし、第三京浜の下を潜って向こう側まで行ってみた。道中坂下から武蔵小杉行きに乗ったときの最初のバス停、徳持に出てくるが、このあたりもまだ東山田町である。バス停から左に入る道があったので行ってみると、すぐに第三京浜のガード下に出た。写真8-6写真8-14よりもほんのわずか横浜寄りである。ガード下には児童公園があったが(写真11-7)、遊んでいる子供はいなかった。こんな暗いところでは遊ぶ気にならないよな。
写真11-8

写真11-8 東山田工業団地のなか
 ガードを潜り抜けると、ちょうどヤマト運輸(写真8-4)の営業所前の道だった。しかし、何度も通っているバス通りまでは行かずに、手前で左に曲がって工業団地のなかを初めて通ってみた(写真11-8)。左右から作業する音が聞えてきて、暢気に散歩しているのが申し訳なくなってきた。道は東急バスの営業所(写真6-8)のところで行き止まりになっていた。階段をのぼってそよかぜ公園に入り、その日は帰った。
写真11-9

写真11-9 道中坂下の折り返し所
写真11-10

写真11-10 公民館
写真11-11

写真11-11 レトロな遊具
写真11-12

写真11-12 力石と稲荷
写真11-13

写真11-13 百タタキ
 3度目は、「ちかんを見たらすぐに110番!!」(写真11-5)の竹薮を通って道中坂下の交差点まで来た。旧道の側からバスの折り返し所(写真11-9)の方を見ると、交差点よりも右の方に小高い丘がある。ここは前から気になっていたところだったので上ってみると、公民館になっていた(写真11-10)。公民館の左側には、ニュータウンにあるものよりも古いスタイルのブランコやシーソーが並んでおり(写真11-11)、右側には鳥居とちょっとした石造物があった(写真11-12)。真ん中は山田神社(写真5-13)にもあった力石である。裏に回りこむと、力石の説明も書いてあったが、よく読めなかった。山田神社のものよりは小さい。祠は狐が並んでいるのでお稲荷さんである。片方の狐の鼻は折れてなくなっていた。その横に奇妙な看板があった(写真11-13)。連合町内会名になっているので、それほど古くないはずである(私が引っ越してきた頃は東山田全域で1つの町会だったが、人口が増えてきたので、1、2年後に7つの町会に分かれ、全体で連合町内会というのを作ったのである)。しかし、いったい誰が百タタキの刑を執行するのだろうか。叩かれる方も痛いが、叩く方も重労働である。
写真11-14

写真11-14 東山田郷土資料館←
写真11-15

写真11-15 また別の竹薮階段
 道中坂下の交差点に戻り、また、第三京浜の向こう側まで行ってみようかなと思っていると、今度は「山田小学校入口」ではなく、「東山田郷土資料館←」(写真11-14)という看板が見えた。「ちかんを見たらすぐに110番!!」(写真11-5)に続く、第3の近道かもしれない。同じように細い道で、同じように竹薮のなかの階段を通り抜けていくと(写真11-15)、写真6-13の田園風景の横に出てきた。「東山田郷土資料館」は確かに存在したが、個人が開設しているものらしく、開館日は水曜日のみとなっていた。散歩としては物足りないが、仕事が進んでいなかったので、そのまま帰った。

参考地図 ただし、公民館の位置や道の具合はかなり間違っている)


99/2/16


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