12 牛久保の丘



写真12-1

写真12-1 北山田歩道橋の日吉元石川線
 勝田橋からの帰りに迷い込み、干支の石を追いかけていて図らずも再び通ることになった南山田小学校からマンション群、池のあたりの風景は、なかなか気に入った。中原街道あたりでは田舎の風景を探していたくせに、本当はちょっと都会風に見える風景の方が好きなのかもしれない。しかし、干支の石をたどっていたときには石を忠実に追いかけていて、横道には入り込まなかった。ちょっと行ってみたい気がした道はいくつかあったので、もう1度あの方面に行ってみよう。
写真12-2

写真12-2 ビュープラザセンター北
 写真7-18を撮った歩道橋を渡って、遊歩道に入る。これは、山田富士から初めてたつの石(写真10-11)の方に行きながら、もう1度日吉元石川線に戻ってきてしまったときとは逆のコースである。歩道橋の上で日吉元石川線を撮る(写真12-1)。空地(写真3-10)の横を通り抜けて、たつの石まで行く。この空地、よく見るとマンション(エステスクエアセンター北III)工事を始めていることになっている。数年のうちにこのように反対側が見える風景はなくなってしまうのだろう。早くも神無公園(写真9-18)の向こう側に脇道があったので、そちらに行ってみると、すぐに車道に出た。左手を見ると、同じ形のマンションが群れをなして建っている。とらの石(写真10-15)の竹薮の上に聳えていたマンションだ。そちらに行ってみる(写真12-2)。ビュープラザセンター北というらしい。まるでJRの駅の緑の窓口のような名前である。普通なら、こういうところにはなかなか入っていきづらいのだが、外から道が自然に続いているので、つられて建物の間の道に入り込む。
写真12-3

写真12-3 ビュープラザセンター北の裏の歩道
写真12-4

写真12-4 ビュープラザセンター北の裏のくさぶえの道
 道はすぐに行き止まりになった。あたりを見回すと、例の竹薮の方に入っていく歩道がある。図々しいなと思いながら、その道に入り込んでいった(写真12-3)。どこかでこの道も行き止まりになるのかと思ったら、干支の石の道と同じような感じの遊歩道に出た(写真12-4)。真ん中に川が流れていて、水は汚いが、どうやら、とら(写真10-15)とうし(写真10-19)の間の池(写真10-17)に流れ込んでいるらしい。しかし、ここで池に行ったら、そのまま家に帰ってしまうようになる。せっかくだから、反対側に歩いてみる。
写真12-5

写真12-5 斜面の上から見たくさぶえの道
 少し歩くと、大きな橋があって、車道が遊歩道を跨ぎ越している。この車道は、国際水泳競技場の前(写真7-14)から北山田交差点(写真7-10)に向かっていたバス通りの延長線上である。ちょうど車道に上がる階段があったので、上から風景を眺めてみることにする(写真12-5)。遊歩道自体は干支の石の遊歩道と同じような幅だが、その回りに広大な緑の斜面があるので、かなり広々として見える。
写真12-6

写真12-6 ビュープラザセンター北の佐江戸北山田線
 車道は、国際水泳競技場のあたりでは片道1車線だったのに、このあたりでは2車線になっていて、真ん中に緑の帯まで入っている。向こう側に渡りたいが、ここをいきなり渡るのはちょっと恐い。100mほど北山田交差点寄りに歩道橋が見えたので、それを渡ることにする。歩道橋の下にはビュープラザセンター北のバス停があり、歩道橋の横にはアーチ形のマンションへの入口があった。歩道の方に寄り道せず、反対に歩いていれば、この歩道橋に直接来ていたらしい。歩道橋から遊歩道の方を眺める(写真12-6)。この道は車では何度も通っているので、センター北駅が近いのは知っている。阪急百貨店の観覧車も近くに見える。
写真12-7

写真12-7 佐江戸北山田線から遊歩道に下りる
写真12-8

写真12-8 遊歩道を跨ぎ越す中山北山田線
 道を渡ってから遊歩道の方向に引き返す。予想通り、こちら側にも遊歩道に下りる歩道はあった(写真12-7)。遊歩道に戻って少し歩くと、正面に大きな丘があった。丘の前で道は左右に分かれている。右に曲がると、すぐに車道に出てしまうようだったので左に曲がる。すると、また別の車道が遊歩道を跨ぎ越していた(写真12-8)。この道は、すみれが丘からセンター北、センター南を通ってニュータウンの南の外れの方に行く道である。この道も車で何度も通っているのでよく知っている。意外とすぐにこの道まで来てしまったので驚いた。車の感覚では、2本の道の間はもう少し離れていたような気がする。このあたりは北山田でも南山田でもなく、牛久保というところである。すみれが丘というのは、たまプラーザや鷺沼からのバスの終点の1つである。すみれが丘止まりではないごく一部のバス(3、4本に1本)だけがうちの方まで来る(たまプラーザからのバスは城山を通って新北川橋まで、鷺沼からのバスは東山田営業所まで)。以前、バスのダイヤが変わった時期だったと思うが、鷺沼から東山田営業所行きに乗ったつもりですみれが丘行きに乗ってしまったことがあった。すみれが丘でバスから吐き出されてしまって、しかたがないので歩いて帰ったが、家までとても遠く感じた。あれよりも遠いところにすでに来ている。これより先に行ったら帰るのが辛そうだ。右手の丘を見ると、上の方に上っていく道があった。この丘に上って帰ることにしよう。
写真12-9

写真12-9 牛久保の丘から中川を見る
写真12-10

写真12-10 牛久保の丘から北山田を見る
 丘の上は、ただ広い草っ原が広がっていて、ベンチがちょこちょこと置いてあるだけだったが、高いので色々なところが見えた。歩いていくのをやめた方を見ると(写真12-9)、遠くに中川駅周辺のマンション群が見え、その手前に武蔵工大、さらにその手前に長徳寺が見えた。長徳寺は、バスに乗ってセンター北から1つ目のバス停である。バス停の横では警察がねずみ取りを仕掛けようとしていた。車でここを通るときには気を付けないといけないなと思った(帰ってから妻に聞いたところによれば、ここは取り締まりをしていることで有名だそうである)。道の右側は、紳士服のアオキの大きい看板に隠れてよく見えなかったが、すみれが丘の交差点がどのあたりにあるかは見当がついた。家の方を見ると(写真12-10)、水泳競技場や山田富士公園ハイツが見えた。しかし、その手前にある大きな建物は何なのだろうか。普通の家にしては大きすぎる。学校だろうか。公立の小中学校にしては、金がかかっている感じがする。私立はサレジオ学院(写真5-15)ぐらいしか名前を聞かない。ちょうど帰り道の方なので、あれが何なのかを確かめて帰ることにしよう。
写真12-11

写真12-11 住都公団研修センター
 丘にはいくつも上り口があるようだった。上ってきたのとは別の道を下りていった。丘からは少し遠くにあるような感じがしたが、問題の建物は意外と近くだった。学校なんてとんでもない、住宅都市整備公団の研修所だった(写真12-11)。近くで見ると、庭がきれいに整備されていて、建物にも金がかかっていることがよくわかった。建物の格が違うという感じである。公団、ずるいなぁ。
写真12-12

写真12-12 不動尊
写真12-13

写真12-13 歳の神
 ここから国際水泳競技場前のバス通りはすぐだった。信号には、石ヶ谷と書かれていたが、「イシガヤ」という振り仮名がついている。谷をヤトと読まない地名はこのあたりでは珍しい。あるいは、新しく作っちゃった名前なのだろうか。バス通りを横切ってそのまままっすぐ歩くと、今日の出発点だったビュープラザセンター北の前(写真12-2)に戻ってきた。その先にお堂が見える。干支の石を探していたときにも、このお堂は遊歩道から見えた。せっかくだから、覗いていくことにする(写真12-12)。お不動さんらしい。横に立っていた「不動尊移築記念碑」というのを読むと、これもうちの近所の庚申塚(写真7-1)と同様に、ニュータウン造成のために移転を余儀なくされたらしい。元の場所は旧地番で書かれているのでよくわからないが、講中のなかに不動谷戸というのが含まれていることを考えると、あの不動谷の交差点(写真9-14)の近くだったのかもしれない。不動尊の右横には歳の神という石の像も置いてあった(写真12-13)。これも、ニュータウン造成によって移転を余儀なくされたものらしいが、もとは不動尊とはまったく別の場所にあったようである。
写真12-14

写真12-14 人逢歩道橋の日吉元石川線
 車道はこの不動尊の近辺で行き止まりになっていたが、そこから歩道が続いていた。その歩道は、ほんの10mほどで干支の石の遊歩道と合流した。ここは、うの石(写真10-13)が置いてある場所である。そこからたつの石(写真10-11)までは干支の石の遊歩道(その後知ったのが、ふじやとの道と言うらしい)を通り、たつの石から空地(写真3-10)の横までは行きと同じ道を通ったが、日吉元石川線は、行きの歩道橋よりも1本山田富士寄りの歩道橋(写真12-14)を渡って帰った。

参考地図 左の緑の部分が丘)

99/2/19


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