13 境界線を歩く



 地図にはさまざまな境界線が描かれているが、実際に散歩すると、地図のような黒い線が地面に描いてあるわけではない。太い川や道路が何かの境界になっているときには、こちらがこちらであちらがあちらだとすぐわかるが、そのような目標がなければ、どこが境界だかわからないことが多い。電柱に貼ってある町名表示や表札の住所を見ていつの間にか別の街に来ていることに気付くが、どこが境界だったのかはわからない。それでも、ちょっとした風景の差で境界線がはっきりと見える場合もある。たとえば、東山田と北山田の境界がどこにあるかは知識として知っていなければわからないが、歩き慣れてくるとニュータウンと非ニュータウンの境界はわかるようになる。どことなく空気が違うのである。
写真13-1

写真13-1 突き当たりを左に
 私の家からの軽い散歩で見られる最大の境界は横浜と川崎の市境である。すでに、1度はこの境界を見た(写真8-6)。市境は北の方にある。営業所から国際水泳競技場をまわってセンター北に行くバスは、途中まで有馬川に沿った道を通って行く(写真8-13)。バスが左折する交差点までは有馬川が市境だ。車で鷺沼に出るときにも市境が見える。国際水泳競技場(写真7-4)の前でバス通りを右折し、住宅街を抜けていくと、T字路で行き止まりになり、そこで左折すると、細いひょろひょろとした道になるが、その道が市境である。このT字路は何年も前から数え切れないほど頻繁に通っているのだが、右折したことはない。そのため、ほんのわずかな距離だが、どこが市境なのだか知らない場所がある。この空白を埋めようというのが今回の趣旨である。
写真13-2

写真13-2 打越交差点
 長い前振りだったが、出かけることにしよう。庚申塚(写真7-1)から国際水泳競技場の方に向かうと、高見沢電機の手前で右に曲がる道がある。これは、写真7-2を撮った場所でもある。この道をまっすぐ歩くと、写真8-15に写っている歩道を跨ぐ小さな橋を渡り、営業所からのバス通りの方に向かう。実は、この道も車でよく通るところで、宮崎台や梶ヶ谷への近道になっている。
 車で走るときと同様に、突き当たり(写真13-1)で右に曲がると、国際水泳競技場の前を通るバスのバス通りである。200mほど行くと、打越の交差点に出る(写真13-2)。バスはここで左折して国際水泳競技場の前を通る。自分の車では、ほとんどの場合、ここで右折して有馬川の橋を渡り、川崎市内に入るが、今日はまっすぐ行ってみる。まっすぐの道は車では通ったことがない。
写真13-3

写真13-3 畑の向こうの団地
 交差点を越えると、右側の電柱には川崎市東有馬5丁目の町名表示が貼ってある。この道が市境なのかもしれない。交差点からほんの少しのところで、車が1台通るのも難しいような細い道が左に伸びていたが、何やら寂しげなので、そのまままっすぐ歩いた。しばらくすると、左側の電柱にも東有馬5丁目の町名表示がある。いつの間にか市境を越えて川崎市内に入り込んでしまったらしい。たぶん、あの細い道が市境だったのだろう。しかし、一度来た道を戻るのは面白くない。何とかしてあの道に戻ろうとしていると、目的とは反対の方角の畑越しに団地が見えた(写真13-3)。予想外の風景だったので驚いた。この畑のところで、ようやく問題の道の方に曲がっていく道を見付けた。やっとたどり着いた市境は、白いガードレールだった(写真13-4)。道は車1台分よりは少し太くなっていたが、車2台がすれ違うのは難しい。
写真13-4

写真13-4 市境はガードレール
 この道を打越とは反対の方に歩いていくと、思いがけず先ほどの団地はこの道に面したところまで続いていた。写真を撮りたかったが、人の目が気になって撮れなかった。道からよく見えるところに、県営有馬団地とある。子供の頃に住んでいた柏の公団住宅と雰囲気がよく似ていて、懐かしい感じがした。車で通り慣れたT字路は、団地のすぐ先にあった。ほんの少しの差で今まで県営団地に気付かなかったというわけである。T字路の右側に何か見えない境界があって、団地の存在を隠していたように感じた。
写真13-5

写真13-5 高圧線の下の住宅街
 ここからは車で何度も通った道なので、1本奥の道に行ってみた。奥に入れば、回りはすべてニュータウンの北山田6丁目である。道に沿って高圧線が通っているが、これは庚申塚(写真7-1)やあおぞら公園(写真8-10)を通っていたものの延長だろう。しかし、高圧線の真下は道ではない。あれれ、高圧線の真下に住んでいる人がいるのかと思いながら街並をよくよく見ると、高圧線の下は車ばかりだった。家は高圧線の真下からは少しずれたところに建っていた。しかし、車が停められているところも大きな駐車場になっているわけではない。それぞれの家の敷地になっていて、車が停められている横に門があったりする。これは凄い風景だと思った(写真13-5)。
写真13-6

写真13-6 高圧線の下で遊ぶ子供
写真13-7

写真13-7 有馬小学校
写真13-8

写真13-8 長善寺
写真13-9

写真13-9 T字路
写真13-10

写真13-10 金属製の鳥居
 その日は、そのまま帰ってしまったが、しばらくたつと、境界線をもう少しはっきり見ておきたくなってきた。1週間後に、もう1度こちらの方に出かけた。前回は、打越の方から行って失敗したので、今度は反対側から行くことにした。車とは少しでも違う道を歩くために、あおぞら公園を通り過ぎ(写真13-6)、バス通りを渡って北山田6丁目に入った。T字路よりも少し先の川崎市側に有馬小学校がある。今日の出発点はここである(写真13-7)。この小学校よりも川崎市側の奥に入ったところに寺が見える。前からちょっとここを覗いてみたいと思っていたのである。うまい具合に、小学校の端に川崎市側に入る細い道がある。ここから坂を下りていくと(つまり、市境は丘の尾根にある)、寺はすぐだった。墓がある方から表に回ると、有間山長善寺という看板が出ている(写真13-8)。墓の募集などもやっていて、繁盛しているように見えた。寺に沿って来たときとは反対の方に回り込んでいくと、寺の裏口のようなものがあって、その先は庭木を育てているような畑だった。行き止まりかなと思ったが、畑の真ん中に細い道があって市境の道に戻ることができた。右側を見ると、T字路のカーブミラーが見える(写真13-9)。左に曲がって歩いていくと、すぐに庭木の畑の向こうに有馬団地が見えてきた。この団地には、児童公園のほか、小さな祠がある。祠は、鳥居が金属製でピカピカ光っているのがすごい(写真13-10)。有馬団地を抜けると、すぐに右の横浜市側は家がなくなる。先ほども書いたように、白いガードレールが市境である。道はどんどん細くなっていくが、横浜市側は道よりもかなり低いところに落ち込んでいるので、市境だということが際立って見える。そして、打越交差点に出てきた(写真13-11)。
写真13-11

写真13-11 打越交差点の手前
写真13-12

写真13-12 東山田人道橋から見た有馬川
 打越交差点からは有馬川が市境である。この有馬川を渡る道はあまりない。私が知る限り、第三京浜の下から打越交差点のところまで、1kmほどもの間、車が通れる道はない。そして、それら2本の道はどちらも細くて車がすれ違うのも容易ではない。さすが市境であって、県か国が作ってくれなければ道が通らないのだろう。しかし、本当に川を渡る道はないのだろうか。バス通りに沿って道(橋)を探してみることにした。すぐに見付かった。こともあろうに、最初の市境見物で高見沢電機の方から下りてきた道の延長上である。しかし、車が通れるものではなかった。東山田人道橋と書かれている(家に帰ってからよく見ると、写真13-1にも写っていることに気付いた。写真に写っていながら、それまで気が付かなかったというのも間抜けな話だが、車で通るときにはここで左折することしか考えていないので、ずっと目に入っていなかったのである)。この橋の上に立って、有馬川を撮った(写真13-12)。さらに営業所の方に近付いていくと、もう1つ同じような橋があった。今度は美里橋という。結局、このようなものしかないらしい。
写真13-13

写真13-13 コンフォール東山田
 有馬川にも飽きて、4丁目の住宅街のなかに入っていった。観音寺(写真8-12)の裏側から「裏のバス通り」の方に向かうと、そのままバス通りを跨ぎ越す歩道橋になっていた。ここでまだまともに撮っていなかったコンフォール東山田の写真を撮って(写真13-13)帰った。

参考地図[有馬小学校]

99/2/25


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