15 早渕川



写真15-1

写真15-1 ニュータウンから見たのちめ不動
 割と気ままに出かけるときに思い付いた方向に歩いてきたが、出かける方向にはどうしても偏りがある。鎌田堂(写真6-10)や勝田橋(写真9-8)にも出かけているが、ニュータウンのなかに行ってしまうことの方が多いのである。実際、中原街道を歩いたことはあるが、中原街道を超えて向こう側に行くことはなかった。しかし、のちめ不動(写真4-5)から道中坂(写真11-21)にかけての中原街道は、道を渡った向こう側も実は東山田町なのである。東山田散歩と言いながら、これでは看板に偽りのあることになってしまう。今回はそちらの方に出かけてみよう。
写真15-2

写真15-2 コンフォール城山の丘側面
 ゆうやけ公園(写真4-2)まで坂道を下りると、日吉元石川線の旧道に出る。写真5-18の向こう側である。裏のバス通りから山田富士にかけては、旧道らしい雰囲気を持っている道だが、ゆうやけ公園の前まで来ると、ニュータウンのなかの小さな道にしか見えない。それもそのはずで、この道は中原街道とは交差しないのである。ゆうやけ公園のところで左に曲がると、ほんの100mほどで道は90度左に折れて坂を上っていく。なぜここに来たかというと、こちらからのちめ不動がどのように見えるのかが以前からちょっと気になっていたからだ。答は写真15-1の通り。屋根の先がほんの少し見えるだけである。坂を上っていくと、コンフォール城山の丘の横を通り過ぎる(写真15-2)。よく見ると、入居が始まっている棟とまったく入居者のいない棟がある。山田小と向かい合う棟のところでは工事をしていた(写真11-17)が、一番背の高いこの棟はまだ入居が始まっていないようだ。
写真15-3

写真15-3 向坂交差点
写真15-4

写真15-4 バス通りに出る
 ちょっと遠回りをしたが写真11-18の三叉路から中原街道に下りる。山田小学校下の交差点(写真6-3)から道中坂下(写真6-4)交差点に向かって少し歩くと、新道と旧道が1つになる向坂(ムカイザカ)交差点がある(写真15-3)。ここで中原街道を渡る。向坂交差点ではちょっと目立たないが、細いながらも車がときどき通る道に出る。家は少ない。しかし、かつてのニュータウンなどとは異なり、空地ではない。農地としての歴史を感じさせる風景が続く。
写真15-5

写真15-5 東山田郵便局
写真15-6

写真15-6 東山田交差点
 やがて、道中坂下の折り返し所(写真11-9)で中原街道から離れた綱島行きバスが通る道に出る(写真15-4)。ここで右に曲がってバスと同じように綱島方向へ歩いて行く。第三京浜を渡り、電話交換センターを過ぎると、東山田郵便局(写真15-5)が見えてくる。ここまで来ると、この道ももう終わりである。その名も東山田という名前の交差点で日吉元石川線と合流する(写真15-6)。この交差点よりも少し先は港北区の高田町になる。これは5年前にできた新しい境界線。それまでは、都筑区の大半の部分は港北区だった。
写真15-7

写真15-7 東山田スポーツ会館
 日吉元石川線を第三京浜のところまで戻る。ここの第三京浜の下には東山田スポーツ会館というのがある。何しろ日吉元石川線なので、この前は何度も通過しているが、スポーツ会館なるものをじっくりと見たことはない。歩きなのでじっくり見てみたが、やはり上に高速道路があるというのは窮屈な感じである(写真15-7)。
写真15-8

写真15-8 東山田町の早渕川
 ここから少し歩くと東山田スポーツ会館という名前の交差点があり、左に曲がると新横浜東山田線になるのだが、ここも第三京浜の都筑インターに行くための道なので、車で頻繁に通っている。せっかくなので、1本ずらしてスポーツ会館のところからの細い道に入ってみる。200mほどで早渕川の川縁に着いた。勝田橋(写真9-8)がかかっているあの早渕川である(写真15-8)。ここまで来たときに、前回の散歩で遺跡公園から横浜生田線に下りてきたとき(写真14-12)に見た行先表示板のことを思い出した。遺跡公園をちょっと歩いただけで勝田橋のところまで来てしまうというのがどうにも信じられなくてかなり驚いたのだ。しかし、帰ってから地図を見ても、遺跡公園はそれほど広くはないように書かれている。あれは何だったのだろう。ちょっと確かめてみようか。
写真15-9

写真15-9 新北川橋
 再び第三京浜を潜り抜け、新横浜東山田線に出る。新横浜東山田線が早渕川を渡る橋は新北川橋と言い、この橋のところに東急バスの折り返し所がある(写真15-9)。城山を通るたまプラーザ行き、センター北行きのバスの出発地はここである。
写真15-10

写真15-10 百石橋交差点
写真15-11

写真15-11 百石橋からの道
 日吉元石川線に戻り、のちめ不動の方に向かって最初の信号が百石橋交差点である(写真15-10)。ここで左に曲がる。ここは車では1、2度しか通ったことがなく、そのときのこともあまり覚えていないが、たぶん、早渕川に沿うような道なのではないかと思ったわけ。要するにちょっと歩いてみたかったのだ。道は意外と立派だった。車がちゃんとすれ違える上に両側に歩道がある(写真15-11)。中原街道よりも歩きやすい。
写真15-12

写真15-12 ここで行き止まり
写真15-13

写真15-13 南山田町の早渕川
 まっすぐな道をまっすぐに歩いていくと、やがてT字路になった(写真15-12)。これ以上まっすぐ歩くことはできない。右側に見えていた山田神社(写真2-4)の杜がこのあたりで終っているところから考えると、この道は宮の下(写真5-9)から来ているのだろう。中原街道に出ても面白くないので、反対の早渕川に出た。舗装されていないが川沿いに道はあるようだ(写真15-13)。ここをずっと歩いていけば、勝田橋に出るはずである。
写真15-14

写真15-14 早渕川下流から見た勝田橋
写真15-15

写真15-15 中原街道の案内板
 右側に中川中学が見えたり、左側にニュータウン風の家並が続いたりしているのをきょろきょろ見回しながら、歩いて行くと、道はそのうちに舗装道になり、確かに勝田橋に着いた(写真15-14)。勝田橋からは横浜生田線を歩く。龍福寺の入口のところに勝田橋交差点の中原街道の行先表示板があったが(写真15-15)、この間見た風景はこれではない。中川小の入口を過ぎてしばらくしたところで、写真14-12の階段から下りてきたところに行き当たった。近所に大崎橋のバス停がある。振り返ると、勝田橋の交差点が300m先にあることを示す表示板があった。これを見て驚いたのだろう。しかし、たった300mで、あれほど驚いていたのか。
写真15-16

写真15-16 庭先の石仏
写真15-17

写真15-17 遺跡公園の横から続く遊歩道
 写真14-12の竹薮のなかの階段を上って再び遺跡公園のなかに入った。民家園(写真14-11)をもう1度見たいと思ったが、今日は休みらしい。休みだとなかに入れないのである。民家園の横に出口があったのでそこから出る。前回はフォレストパーク四季彩の丘(写真14-9)の真ん中に出て、東端の方からなつみかん公園(写真10-20)の方に歩いて行ったが、今日は西端に出た。公園を出たところの民家の庭先のようなところに石仏があった(写真15-16)。おやおや、前回は慌てていてこんなものがあることにも気付かなかったのか。そして、四季彩の丘マンションの外れのところまで出てくると、遊歩道があった(写真15-17)。池の横のエステガーデンセンター北(写真10-16)の方にまっすぐに向かっている。この道は、確かにまっすぐ干支の石の遊歩道につながっていた。池からはもう慣れた道を通って帰ることができた。

参考地図[東山田町][南山田町の早渕川]

99/3/10


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