21 山田富士、山田神社のアナザーサイド



写真21-1

写真21-1 山田富士頂上付近の階段
 山田富士の横は、西の方に出かけるときにはよく通る。前回も行きと帰りとで通った。遠くまで行く時間がないときには、国際水泳競技場(写真16-2)から山田富士の横に下りて神無公園(写真17-14)を回って帰ることが多い。しかし、頂上には滅多に登らない。写真3-8を撮ってから、1ヶ月ほど1度も登らなかった。それは、頂上付近の幅の狭い階段(写真21-1)が恐いからである。子供の頃は高いところが好きだったのに、いつの間にか高所恐怖になってしまったらしい。
写真21-3

写真21-3 山田富士頂上からの風景(その3)
 写真3-8を撮ったときには、頂上からの風景はこれだけしか撮っていなかった。自分が住んでいる東山田の風景しか馴染みがなかったのである。しかし、それから1ヶ月の間に牛久保(写真12-10)、センター北(写真14-4)、中川(写真18-4)、すみれが丘(写真17-11)などに行き、近所のマンションの名前もかなり覚えた。頂上から別の方角を見た写真も撮っておきたい。そういうわけで、2月中旬のある日に頂上に登ってみた(写真21-2写真21-3写真21-4写真21-5)。なるほどよくわかる。同じようなものにしか見えなかったマンション群もはっきり区別できるし、どの辺にあるのかもすぐにイメージできる。
写真21-7

写真21-7 山田富士公園前交差点から見た山田富士
 山田富士からの景色とは逆に、山田富士がよく見えるところも探した。日吉元石川線だと、人逢歩道橋のあたりなら見えるが、山田富士のすぐ横に来ると、ビッグヨーサンやFit Care Depotといった店があってよく見えない。ただ1箇所、ビッグヨーサンの横に隙間があって見えるところがある(写真21-6)。ごくわずかの距離なので、車では一瞬のうちに通り過ぎてわからないかもしれない。歩きの遅い速度だから見えるのである。北山田交差点(写真7-10)で水泳競技場の方に曲がって、山田富士公園前交差点(写真20-1)近辺に来ると、またよく見える場所がある。こちらから見ると、頂上付近の階段も見える(写真21-7)。ここから旧道に入ると、山田富士公園とは別に、小さな児童公園がある。ここの山田富士も美しい(写真21-8)。あと、教育委員会の案内板よりも少し後ろに下がって裏山の方から見ると、桜の木が1本だけ中央に立っている山田富士が見える(写真21-9)。山田富士公園(写真3-2)からは、実はあまり山田富士が見えない。頂上の富士山的な形がよくわからないのだが、旧道を跨ぎ人逢歩道橋(写真12-22)につながっている歩道橋に上るとその部分もよく見える(写真21-10)。
写真21-12

写真21-12 滝ヶ谷公園
 さて、山田富士からの帰りにはときどき山田神社に回ることがある。写真3-10の歩道は、最初に歩いたときには日吉元石川線のそばに戻ってしまったというのでがっかりしたが、ずっとたどっていくと山田神社の横(写真5-12)まで続いていることがその後になってわかった(勝田橋: 写真9-8に初めて行ったときだったと思う)。写真3-10の位置から少し歩くと、右手に北山田地区センターというものが見えてくる(写真21-11)。初めて見たときには工事中だったが、散歩しているうちに完成してオープンした。運動施設であり、会議室でもあるといったものらしい。ここで歩道全体も右に曲がり、日吉元石川線と同じ向きになる。すると、すぐに滝ヶ谷公園という工事中の公園が右側に現われる(写真21-12)。この公園は、反対側ではバス通りをはさんでサレジオ学院と向かい合っている。そして公園の端まで来ると、歩道はバス通りを渡る寺窪歩道橋につながっている(写真21-13)。歩道橋を渡ったあともさらに歩道が続いていて、写真2-1の小公園に繋がっている。すでに書いたように、ここから階段を上って車道に出れば、ティファニー(写真2-2)の前を通って山田神社に出る。
写真21-14

写真21-14 山田神社の神木
 同じ場所でも、2度、3度と来てみると、それまでに気付かなかったものに気付いたりするものである。力石(写真3-12)に気付いたのも初めて堀之内参道を通ったときだったが、神木なるものがあることに気付いたのは、2度目の山田富士頂上行きの帰りだった(写真21-14)。小さな鳥居が立っているところは、その後写真を撮ってみたが、何を祀ってあるのかはわからなかった(写真21-15)。天皇の植樹だとうろ覚えに覚えていた木は、天皇の即位を記念しての植樹で、天皇自身が植えたわけではなかった(写真21-16)。
写真21-18

写真21-18 神池
 神木を見つけた日は、さらに別のものも見つけた。堀之内参道を下っていくと、神池道という小さな石が立っていた(写真21-17)。見ると、確かに分かれ道のようになっている。そこを下っていくと、確かに池があった(写真21-18)。そこからは社殿は見えず(写真21-19)、後日社殿の方から覗いても池がどこにあるかはわからなかった。
写真21-20

写真21-20 国際水泳競技場の遊歩道から見た桜の山田富士
 さて、今は4月であり、桜が咲いている。桜の名所、山田富士の満開の桜を見たいと思って、毎日のようにこちらの方に散歩していたが、4月2日に行ったときにはほぼ満開になっていた(写真21-20)。もっとも、木によってばらつきがあるようで、登山道の山頂付近の木は、まだあまり咲いていなかった。この日も滝ヶ谷公園の横を通って山田神社に行ったが、写真2-1の小公園は思いがけず桜の名所と言うべき場所で、枝垂れ桜も混じっていた(写真21-21)。山田神社にも桜が数本あり咲いていたが、山田神社で一番驚いたのは、「皇太子殿下御成婚記念碑」と大きく書かれた石碑に神社の由緒が書かれているのを見つけたときである(写真21-22)。何でこんなに大きなものに気付かなかったのだろう。それによると、平安時代末に源義朝の家来の城が山田にあり、高田、吉田、勝田、荏田、鴨志田、黒須田、恩田、長津田、上菅田、三反田を支配していたという。城山は、あるいはその城のある山だったのだろうか。

 今回は、花見の写真を入れたらばかばかしく写真の量が増えてしまった(64枚)。手っ取り早く桜の写真をご覧になりたい方は、写真21-20写真21-21写真21-22のほか、写真21-42(4月6日の雨の山田神社、南山田小公園)、写真21-53(4月8日の山田富士)からスタートすると見やすいと思う。

参考地図[山田富士][山田神社、小公園(中央左寄り)]

99/4/9


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