22 南野川



写真22-1

写真22-1 東山田から有馬川を渡る橋を見る
 前回、後半の部分で一気に2月から4月に飛んでしまったが、話は3月の始めまで戻る。中川(写真18-18)や牛久保の研究所(写真20-17)の方まで行ってしまって、そろそろネタも尽きたかなと思い始めたところだったが、ふと、国際水泳競技場のそばの市境(写真13-4)から見える南野川小学校というのを思い出した。この小学校は、ちょっとした高台にある。川崎側の丘に上ってニュータウンを見てみたら面白いのではないだろうか? それに、鷺沼からのバス通りも、そういうものがあると文章で書いただけで、歩いていない。西の方は2kmほども離れたところまで行っているのに、北の方はほんの1kmも歩いていないではないか。
写真22-2

写真22-2 久末交差点
 まずは、東山田公園交差点(写真8-5)まで行って右に曲がる。第三京浜の手前で左に曲がると、有馬川を渡る橋がある(写真22-1)。橋を渡ると、すぐに鷺沼からのバス通りにぶつかる。この道は、以前も書いたように、第三京浜の都筑インターができる前は、車で中原街道を経由して都内に出るときによく使った。中原街道をまっすぐ走る場合でも、第三京浜の川崎インターに行く場合でも、まずは中原街道に出るしかないのである。今日は、車では通れない有馬川沿いの細い道でバス通りに出てみる。すぐそこは久末交差点(写真22-2)である。鷺沼から小杉行きのバスは、ここで左折して中原街道に入る。もう1つ、道中坂下(写真11-9)から小杉に行くバスもあって、それは中原駅までただひたすら中原街道を走る。要するにこの久末の交差点で鷺沼からのバスと道中坂下からのバスが合流するのである。
写真22-4

写真22-4 鷺沼へのバス通りの街並
 南野川小学校は、久末交差点よりも鷺沼寄りである。そこで、歩道がなくてあまり歩きやすい道ではないが、鷺沼行きバスと同じ道を歩いていく。道沿いに川崎市公社の鷺沼ガーデン102というマンションがあり、その横に梅か桃かの畑があって、畑の向こうにコンフォール東山田(写真13-13)が見えた(写真22-3)。しかし、このように遠くが見える場所は少なく、たいていは道の両側に何らかの建物が並んでいる(写真22-4)。古くからの道という感じで、ニュータウンとは雰囲気が随分違う。のちめ不動(写真4-10)や中川中学校(写真9-5)あたりの中原街道と雰囲気が似ている。
写真22-5

写真22-5 バス通りから和田八幡を見る
 少し歩くと、和田八幡宮下というバス停があった。近所の脇道を覗き込むと、なるほど鳥居がある(写真22-5)。無人の小さな神社だが、階段を上ると本殿があった。木々に包まれていて感じがよい。
写真22-7

写真22-7 畑の向こうの県営野川南台団地
 この本殿の左側を見ると、鳥居まで通ってきた道が神社の横を迂回して坂道になって上っている。ここを上がっていけば、あるいはニュータウンがよく見える場所に行けるかもしれない。実際、ほんの少し上がっただけで、コンフォール東山田の向こうにコンフォール城山の丘と山田小学校も見えた(写真22-6)。坂を上り切ると、畑の向こうに団地も見えた(写真22-7)。帰ってから地図で調べてみると、これはどうやら県営野川南台団地というものらしい。
写真22-9

写真22-9 南野川の畑
 その先はT字路になっており、こちらからの道は行き止まりになっていた。南野川小の方に向かうために、ここは左に曲がる。この道もかなりせまい。林の向こうに新興住宅地が見えたり(写真22-8)、住宅地の切れ目に畑が広がっていたり(写真22-9)した。もうどこを歩いているのかよくわからない。どこか適当なところで左に曲がって鷺沼からのバス通りの方に戻りたいのだが、安心して歩ける感じの立派な道はなかなかなかった。
写真22-10

写真22-10 剥き出しのコンクリート
 しばらくすると、道は二股に分かれていた。右の方が本道で左は脇道という感じだったが、とにかく左の方に行かなければと思い、左の道を選んだ。地面の代わりにコンクリートが敷き詰められているところがあって、これはどうやら建物を取り壊したあとらしい(写真22-10)。
写真22-13

写真22-13 南野川小学校の横から見たニュータウン(その2)
 分かれ道のところから見えていた竹林のところまで来ると、やはりこの道は脇道だったらしい。車が走れないとても心細い道になってしまった(写真22-11)。しかし、ここで諦めるのもくやしかったので、まだ歩いて見ることにする。少し歩くと、目の前が突然開けてニュータウンが見えた(写真22-12写真22-13)。大当たりというわけ。そして、すぐその先は南野川小学校の西側だった(写真22-14)。
写真22-15

写真22-15 南野川小学校附属幼稚園(と誤認した建物)
 道はここで左に曲がって校舎の北側に沿って歩くことになった。正門の近くで車が通れる道に合流し、坂を下っていくと、鷺沼からのバス通りに戻った。バス通り沿いには、南野川小学校附属幼稚園というのがあった。(2003年3月追記: 私の勘違いだったらしい。一般の民家だそうです。メールで教えていただきました)。
写真22-18

写真22-18 東山田人道橋に向かう側道
 幼稚園からバス通りを挟んだ反対側には、川崎市公社の野川住宅という団地があった(写真22-16)。ここから再び鷺沼に向かってバス通りを歩く(写真22-17)。南野川のバス停を少し過ぎたところに左に曲がる側道があった(写真22-18)。その道を歩くと、東山田人道橋(写真13-12)につながっていた(もちろん、つながっているだろうと思って歩いたのである)。東山田公園のサッカー場(写真8-9)の横を通って帰ると、南野川バス停から自宅まではほんの10分ほどの距離だった。

参考地図

99/4/15


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