4 のちめ不動



写真4-1

写真4-1 ゆうやけ公園に向かう下り坂
 今日は家を出てから右に曲がってセブンイレブンに向かう階段の方に行くのではなく、左に曲がって出かける。道はすぐに右に曲がり、下り坂(写真4-1)になる。ここは妻の実家に行くときに通る道である。そこに行けば優しいおばあちゃんと1歳違いの従兄弟がいるので、子供はほとんど毎日のように行きたがる。6歳になると、さすがにこの程度の道は自分でたったと歩いて行ってしまう。でも、今日は目的地も違うし、歩いているのは私1人である。
写真4-2

写真4-2 ゆうやけ公園
 坂を下り切ると、東山田ゆうやけ公園(写真4-2)がある。ニュータウンにはこのような児童公園がいくつもあるが、ここは日当たりがよく、広いので、特に人気があるようだ。休日になると、あちこちから親子連れが集まってくる。もちろん、ニュータウンなので、移動手段は車である。公園の横には遊びに来た人々の車がずらっと並ぶ。妻の実家もこの近所にある。
 ゆうやけ公園を通り過ぎてさらに歩いていくと、県道日吉元石川線にぶつかる。中央分離帯があるので、車は左折しかできない。この角に牛丼チェーンのすき屋がある。今日は、車と同様に左に曲がる。前回も書いたように、セブンイレブンの前の城山からたまプラーザ行きのバスに乗ると、センター前、山田富士とバス停が続くが、逆に綱島行きに乗ると、次はのちめ不動で、すき屋のすぐ先のところにある。城山からのちめ不動までの距離はそれほどない。近所の信号のある交差点(写真4-3)にも同じくのちめ不動という名前が付けられているが、これはバス停よりも綱島寄りである。ちなみに、のちめ不動交差点からたまプラーザ方向に走って最初の交差点は、やはりバス停と同じ城山だが、これは城山バス停よりもたまプラーザ寄りにある。
写真4-3

写真4-3 のちめ不動交差点(日吉元石川線)
 さて、こののちめ不動交差点で日吉元石川線と交差しているのは、中原街道である。中原街道といえば、都内の方でもご存知の名前かもしれない。国道1号線を都心から走って五反田駅のガードをくぐり、山手通りとの交差点を過ぎると三叉路になっていて、左に行けばそのまま国道1号だが、右に行くと中原街道になる。首都高速2号線の終点、戸越と荏原は、それぞれ国道1号と中原街道に下りていくようになっている。国道1号には負けるが、中原街道も片側2車線の立派な道で、ここから昭和大学病院の横を通り、洗足池の湖畔をかすめて雪ヶ谷、田園調布を通り抜け、丸子橋で多摩川をまたいで神奈川県に入る。私は綱島に親戚がいるもので、柏に住んでいた子供の頃からこの道はよく通った。雪ヶ谷までは池上線に沿っている道が丸子橋からは突然東横線に沿って走る。神奈川県に入った途端に片側2車線の道は1車線になってしまうが、当時はここを通って横浜駅から五反田駅まで行くバスなんてものも走っていた。
 子供の頃、どうしても不思議だったのが中原街道という名前である。神奈川に入ってからは綱島街道という名前になる。綱島を通っているのだから綱島街道、これはわかりやすい。しかし、中原というのはどこなのだろうか。都内に中原なんてところはなかったはずだぞ。中原を通らない中原街道なんてあるのだろうか。だいたい、いつの間に中原街道が綱島街道に化けるのだろう。
 答がわかったのはここに引っ越してきてからだった。丸子橋を渡ってすぐに信号がある。道なりに斜め左に曲がっていくと綱島街道になる。この道は右折禁止なので、斜め左に行くか、もっと左の細い道に行くしかない。ところが、中原街道はこの曲がれない右の道に続いているのである。そして、中原は南武線で武蔵小杉の次、武蔵中原のことだった。しかし、道は中原で終点にはならず、川崎市の野川、久末を通って東山田に入る。ここでもまだまだ終わらず、なんと茅ヶ崎市まで続いているのである。
 綱島街道が片側1車線になってしまうことはすでに書いた。しかし、綱島街道はまだよい。バスがスムースにすれ違えるだけの幅がある。東山田の中原街道は、一応真ん中にセンターラインが描いてあるが、この幅で走れというのかよ、というくらい幅が狭い。しかも、ここをバスが頻繁に通る。車もかなりスピードを出して走る。歩道はない。危ないことこの上ない。
写真4-4

写真4-4 オールドスモールタウン
 しかし、この地のもともとの動脈は、間違いなく中原街道だったのである。少し前まで(私が引っ越してきたときよりも前だが)片側2車線の日吉元石川線など、影も形もなかった。だから、中原街道沿いはヴィレッジのなかの小さなタウンだった。この古くて小さなタウンは、今も残っている(写真4-4)。2、30年前にはどこの田舎でも見られた風景である。しかし、ニュータウンの風景に慣れた目からはずいぶん新鮮に感じられる。
写真4-5

写真4-5 のちめ不動交差点(中原街道)
 だからのちめ不動の交差点は面白い。中原街道側と日吉元石川線側とでまったく別の風景になるのである(写真4-5)。交差点というのは、2つの道の境界なのだから、それぞれの道から見ればまったく異なる風景になるのは当然かもしれないが、たとえば城山交差点なら、これほどの落差はない。
 ところで、のちめ不動とは一体何なのか。“のちめ”と平仮名になっているのが怪しい。答は地名である。所番地的には東山田だが、東山田のなかに城山と呼ばれるところがあるように、“のちめ”と呼ばれるところもあるのである。しかし、なぜ平仮名なのか、どういう意味があるのかはわからない。今の私にわかることは、のちめ不動はのちめにあるお不動様ということだけである。
写真4-6

写真4-6 のちめ不動
 そののちめ不動というお不動様は、のちめ不動交差点よりも少し東京寄りの中原街道沿いにある(写真4-6)。今まで前は通ったことがあるが、なかに入ったことはなかった。今回初めてなかに入ってみたが、狭い敷地に無人の小さなお堂が1つあって、横に由緒を記した石板(写真4-11)が立っているだけだった。この由緒によると、130年ほど前に建てられ、つい最近建物を再建したばかりらしい。しかし、明治末から大正始めにかけてこの地域で疫病が流行したものの、お不動様の加護があったので講中からは死者が出なかったなどと書かれているのを見ると、!である。
写真4-7

写真4-7 中原街道新道
 さて、中原街道だが、最近になって新道ができた。のちめ不動から茅ヶ崎方面は依然として細い道のままだが、のちめ不動から東京方面は写真にあるように旧道も残っているものの、少し綱島寄りのところに新道が開通し、バスはそちらを通るようになった(写真4-7)。第1回でバスは1、2時間に1本と書いたが、ここのバスは例外で、時間を調べずに来ても最長で10分くらい待てば綱島行きに乗れる。ただ、新道にある山田のバス停がちょっと遠いのと、綱島駅前の道が混雑して途中で下りて駅まで歩かなければならなくなることが多いのとで、敬遠しがちだというだけである。反対の江田行きは江田駅に着くまでかなり時間がかかるので実用的ではないが、途中の田園風景が気に入って何度か使ったことがある(西脇順三郎はこのような風景のなかを歩いていたのではないかと想像するのである)。しかし、綱島行きはなぜ中原街道を東京に向かって走っていくのだろうか。日吉元石川線を通ればよいのではないか。答は簡単、中原街道の方が古いからである。城山を通る1時間に1本の綱島行きは、私が引っ越してきてから開通した新路線で、日吉元石川線を通る。

参考地図

99/1/21


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