5 山田神社参道



写真5-1

写真5-1 ゐの石
 バスに乗るために山田バス停まで歩くのは遠く感じられるとしても、散歩のつもりで出てきてここまでで帰るのでは物足りない。前回、山田神社に行ったときには、山田神社への道はティファニーから神社の左側に横入りする道と神社の正面から入る本当の参道の2つしかないと思っていたが、その後、地図を見ていたらのちめ不動交差点の方から神社の右に入る道もあることがわかった。そこに行ってみよう。
写真5-2

写真5-2 山田神社に向かう上り階段
 地図を見た記憶を頼りに、交差点から少し城山よりのところで左に曲がる。この道は、ニュータウン区域とそうではない区域の境界になっているらしく、右の方からやってきた遊歩道がこの道のところでぴたっと止まっており、そこに「ゐ」と書かれた石が置いてある(写真5-1)。
写真5-3

写真5-3 堀之内稲荷
 道はそのまま上りの階段につながっていた(写真5-2)。少し上ると右に、また少し上ると今度は左に曲がっている。階段の途中、道の右側に堀之内稲荷という真新しい祠があった(写真5-3)。山田から江田行きに乗ると、最初の停留所が堀之内である。所番地的には、このあたりは南山田になるが、のちめや城山のようにもとからの住民の記憶に残っている地名なのだろう。
写真5-4

写真5-4 竹薮の向こうののちめ不動交差点
 階段道は、やがて竹薮に入っていった。竹薮から左側を見下ろすと、その堀之内のバス停付近の中原街道が見えた。振り返ると、竹薮の向こうにのちめ不動の交差点が見える(写真5-4)。要するに、この参道は中原街道と並行しているのである。違いは、あちらが上り下りのあまりない道であるのに対して、こちらは急な上り階段だということだ。本当の参道の方も、起点は中原街道である。ティファニーから横入りしていたときには気が付かなかったが、山田神社は中原街道沿いの山の頂上にあるわけだ。それは神社の成り立ちとして極めて自然な感じがした。
写真5-5

写真5-5 山田神社の右側面
写真5-6

写真5-6 教育委員会の案内板
 階段を上り切ると、山田神社の右側面が見えた(写真5-5)。横浜市教育委員会の案内板もある(写真5-6)。前回の山田神社行きでも書いたように、この本殿は、市指定の有形文化財になっている。そのことを知っているのは、たぶんこの案内板の冒頭を読んだからだろう。ところが、案内板自体を読んだことはなかったらしい。ここが山田神社と呼ばれるようになったのは明治43年になってからだと書かれているのを見て、びっくりした。もちろん、その前から神社はあって、この本殿は天保13年の造営だということだが、明治43年に近隣の15社を合祀するまでは妙見社と呼ばれていたという。しかし、なぜ合祀されたのか、合祀されたほかの神様がどの辺にいるのかはこれを見てもわからなかった。ひょっとすると、さっきの堀之内稲荷は、合祀された稲荷神社なのかもしれない。そういえば、ティファニー側の参道から少し外れたところにも小さな鳥居が立っていたが、写真を撮ってくるのを忘れたので、何神社だかわからない。まぁ、それは今度来たときに調べることにしよう。
写真5-7

写真5-7 山田神社参道途中の鳥居
 今日は参道行きに反対する連れがいないので、気になっていた道を歩いてみよう。本殿から見ると無限に遠く見える参道はどのくらい長いのか。しかし、前回遠くなるからとわざわざ参道を避けたわりには、あっさり参道の起点に着いてしまったことを考えれば、そんなに長くはないはずだ。そして、歩いているうちに、なぜ長く見えるのかがわかった。写真2-6の向こうの方に見える鳥居のところで、短い下り階段があるのだ。本殿の方からみると、木で隠れているせいもあって、そこで道が見えなくなっていることがわからない。しかし、道は下に消えてしまっているわけだから、入口は見えるはずがない。だから、入口も見えなくていったいどこまで続いているのだろう、と思うわけである。写真5-7の鳥居の奥の階段がその階段である。階段の上に写真2-6の奥の方に写ってる鳥居が見える。階段の下にこれだけ立派な鳥居があるのに、本堂の方からはまったく見えない。
写真5-8

写真5-8 裸の参道からの風景
 写真5-7の鳥居から先は空をさえぎる木がなくなっていた。眼下の家々から目隠しになるような木もない。一人で高いところを歩いていると、何やら恥ずかしいような気分になった(写真5-8)。あの家々から、平日の昼間に暢気に神社の参道など歩いているやつは誰なんだ? と見られているような気がしたのである。
写真5-9

写真5-9 参道の起点
 最後の階段を下りると、参道の起点である(写真5-9)。ここには、堀之内の次のバス停、宮の下がある。バスの路線図で名前だけ見たのではピンと来ないが、実際に来てみれば、なるほど宮の下である。参道の起点が遠いという先入観は、バス停1つ分(山田からだと2つ分。山田が遠くなったので、堀之内でも山田でも私の家からは大差ない距離になった)の距離があるということから来ていたのかもしれない。このあたりのバス停1つ分はときどき非常に長く感じることがある。しかし、所詮バス停1つ分はバス停1つ分だった。
写真5-10

写真5-10 田舎道
 ここからは前回と同じセンター北に向かう道を歩く。しかし、前回右に曲がったのがどこだったかは覚えていない。覚えていたにしても、あの道ではあまりにもあっけないので通るつもりはない。しかし、あまり遠くに行ってしまうと帰りが辛くなりそうだし、歩道のない細い道を猛スピードで走ってくる車とたびたびすれ違うのもちょっと辛い。前回よりも確実に遠くまで行ったと思えるが、サレジオ学院の前のバス通りにはまだぶつからないというところで右に曲がった。田舎道を少し歩いて(写真5-10)、西脇的風景と喜んだのもつかの間、すぐにサレジオ学院の前に出てしまった。前回は私の家の方から見てサレジオ学院の手前に出てきたが、今日は奥に出てきたというだけのことだった。
写真5-11

写真5-11 城山交差点
 サレジオ学院前のバス通りを歩くと、すぐに城山交差点である(写真5-11)。ここで日吉元石川線を横断してそのまま真っ直ぐ歩いて行くと、道は右にカーブして私の家の裏の方に出る。疲れたのであまり寄り道せずにそのまま帰った。
 帰ってから妻に、神社の右から入る道知ってるかい? と尋ねたら、ティファニーからの道は最近のもので、昔はそっちを通っていたと言われてしまった。散歩主義者の好奇心が生活の歴史に負けたということころ。

参考地図

99/1/23


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