73 新吉田町、新羽町、新横浜(7月21日)



写真73-6  新羽町には2週間前に行っていたが、杉山神社をはじめとして見損ねたものがあるのでまた行くことにした。合わせて、隣の新吉田町の神社や寺も見て、新横浜から地下鉄でセンター北まで戻るというルートを考えた。ゆうやけ公園から日吉元石川線に出て(写真73-1)、せきれいの道(写真34-9〜写真34-15)経由で早渕公園の横から新横浜東山田線に出る(写真73-2)。都筑インター入口交差点(写真27-35)のすぐ手前の港北工業団地北側交差点(写真73-3、写真73-4)で左に曲がった。この道は迷路のようにくねくねと曲がりながら、第三京浜都筑インター入路の下を潜って工業団地の南側に続いていた(写真73-5〜写真73-8)。かなり迂回する形になってしまったが、神隠人道橋(写真73-9)で第三京浜を渡り(写真73-10)、新吉田町に入る。
写真73-19  都筑インターを車で通り抜けると、道は二股に分かれており、それぞれニュータウン方面、新吉田方面となっている。私は普段ニュータウン方面という方を通って都筑インター入口交差点に出てくるが、綱島に向かうときには新吉田方面という道も通ることがある。ニュータウン方面の道は高架の上に上がって第三京浜を跨ぎ越すが、新吉田方面の道は坂道を下っていく。その坂道の下を通り(写真73-11)、新吉田方面への道を歩く。この道は細いながら整備されているが、完全な田舎道で、色々なものが育てられている畑の間に時折家が建っているのが見えるだけである(写真73-12〜写真73-15)。この道を終点(写真73-16)まで歩き、突き当たりで右に曲がってすぐにまた右に曲がった(写真73-17)。坂道を上がっていくと、若雷神社があった(写真73-18〜写真73-20)。神社の建物自体は、よくある大きさのものだったが、綱島から新羽方面に向かうバスが通るバス通りに出ようとして南に歩いていったときに自分が崖の上にいることに気付いて驚いた(写真73-21、写真73-22)。写真73-16に写っている少しだけ歩いた道は、車で一度通ったことがあり、バス通りから分かれて平坦に続いていることを知っているので、同じように平坦にバス通りに出られるものと思っていたのである。そう言えば、写真73-17でかなりの坂道を上ってきていたのだった。何よりも、ここに神社がある理由がよくわかった。バス通りの方から崖を階段で上って神社に向かう長大な参道があるのが見えた(写真73-23、写真73-24)。その参道を通って、バス通りに出た(写真73-25、写真73-26)。
写真73-27  そこからはバス通りに沿って歩いた。途中、貝塚東交差点(写真73-27)で浄流寺(写真73-28〜写真73-30)に寄り道し、貝塚交差点(写真73-31、写真73-32)を通り過ぎたところで大きな石仏を見付けた(写真73-33)。新田小学校に入る道(写真73-34)を通り過ぎてすぐ先の新田郵便局(写真73-35)の横から脇道に入ると、常真寺があった(写真73-36〜写真73-38)。バス通りに戻って新田地区センター(写真73-39)、新田公園(写真73-40)を通り過ぎると、新田小学校入口交差点(写真73-41、写真73-42)で横浜生田線と合流する。ここからは新羽町である。
写真73-44  バスの新羽営業所の方に少し寄り道して(写真73-43)、新羽営業所庚申堀バス停で再びバス通りに戻る(写真73-44)。このバス停には、名前の通り、立派な庚申塚がある(写真73-45)。地下鉄のガードの下で横浜生田線とともに左に曲がり(写真73-46)、少し歩くと、新羽十字路の手前に杉山神社の入口があった(写真73-47)。以前に新羽町に来たとき(69回)には、このわずかの差がわからなくて、杉山神社には行きそびれたのである。その杉山神社は、横浜生田線のすぐそばの崖の中腹にあった(写真73-48)。杉山神社は大国主命なのだから、少しは反中央的なところがあるのかと思っていたが、この神社の階段にはなぜか菊の紋章が入った馬の像が置いてあるのだった(写真73-49)。本殿は出雲大社の作りを真似てあるのだが(写真73-50)、2つの系列には屋根の先の出っ張りが縦に切ってあるか横に切ってあるかの違いくらいしかないのだろうか。
写真73-53  前回とは異なり、今回は新羽十字路(写真73-51)を横切ったあともどんどん南に歩いて行った。しばらくの間まっすぐだった道はアルプス物流(写真73-52)のあたりから右左に曲がりくねるようになった。ふと横を見ると、妙にきれいな石畳の道が見えたりもした(写真73-53)。中之久保ショップ(写真73-54)という私好みの集合店舗で缶ジュースを買い、一息いれる。夏の散歩は汗が止まらないので、水分補給が欠かせない(この頃は、汗拭きのためのタオルも持ち歩くようにしていた)。中之久保ショップの向かい側にはニッパ株式会社というパッケージのメーカーがあって(写真73-55)、新羽小学校、新羽中学校の入口もある(写真73-56)。さらに南に歩くと(写真73-57)、この日4つ目の庚申塚があって(写真73-58)、専念寺入口の交差点まできた(写真73-59)。もちろん、なかに入って寺も見てみる。かなり大きくて立派なものである(写真73-60〜写真73-61)。
写真73-66  専念寺の近くまで来た頃から、晴れ間がなくなってきた。後ろを見ると、黒い雲が追いかけてきている(写真73-63)。急がなくては雨に降られる。資生堂第1研究所の横を通ると(写真73-64)、新羽町の南端まで来て、亀の甲橋(写真73-65、写真73-69)で鶴見川を渡る(写真73-66〜写真73-68)。ここで横浜生田線からは離れて川沿いに新横浜に向かう(写真73-70〜写真73-72)。2002年ワールドカップの決勝が行われる横浜国際総合競技場(写真73-73)の横で新横浜元石川線に合流する(写真73-74)。写真73-3まで歩いてきた新横浜東山田線はこの道に直結しているので、もとの道に戻ったと言うこともできる。道は新横浜大橋(写真73-75、写真73-76)で大きく右に曲がり、鳥山大橋(写真73-77、写真73-78)を渡ったところから新横浜に入る。
写真73-81  新横浜は、新幹線の駅だけあってあとは原っぱだった時代もかすかに記憶に残っているのだが、今はビルが隙間なく建っている(写真73-79)。有名なラーメン博物館には行ったことがないが、看板があったので撮っておく(写真73-80)。新横浜国際ホテルの前を通り過ぎて(写真73-81)、新横浜2丁目交差点(写真73-82)を渡ると、地下鉄の入口が見えてきたが(写真73-83)、まだ降られていないのでなかには入らない。自宅の近所で遠くに見えていた新横浜プリンスホテルのタワーが間近に見える(写真73-84)。環状2号線と交差する新横浜駅入口交差点で四方をぐるりと見渡してから(写真73-85〜写真73-88)、駅の敷地に入っていく(写真73-89)。新幹線の近くにも地下鉄の入口がある(写真73-90)。とうとう歩いている間は降られずに済んだ。屋根の下に逃げ込み(写真73-91)、新幹線改札口で博多だの広島だのといった遠い地名を眺め(写真73-92)、近所にしか行けない地下鉄の改札口を通って(写真73-93)、地下鉄ホームに出た(写真73-94)。帰りの地下鉄は大雨のなかを走った。特に新羽駅近辺では真っ暗で夜のようだった。センター北駅で雨宿りをしていたら、東山田営業所行きのバスが来たので、それに乗って帰った。この日の雷雨は、この夏一番の激しいものだった。

参考地図[若雷神社][専念寺][新横浜駅]

00/1/18


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