74 北山田、中川、荏田町、新石川、あざみ野駅、江田駅(7月29日)



写真74-7  遠いと思って敬遠していた田園都市線だが、梶ヶ谷(写真65-54から江田(写真60-70)までのすべての駅(宮崎台は写真68-59、宮前平は写真68-70、鷺沼は写真48-54、たまプラーザは写真54-39)まで歩いていった。ただし、あざみ野を除けば。というわけで、この日はあざみ野駅を目的地として、途中、いくつか今までに見落としていたポイントに寄ることにした。あざみ野駅からは私の家の方に来るバスがないので、終点は江田駅である。城山交差点の手前(写真74-1)で側道に入り、山田富士公園の横を通って(写真74-2)、ヒルトップコートきらめきの街(写真17-18)から北山田かくれんぼ公園へ(写真74-3)、北山田小学校の横(写真24-1)を通り抜けてすみれが丘公園に入り(写真74-4、写真74-5)、写真40-55で見た坂道を上ってみる(写真74-6)。急な坂道なので、視界がどんどん開けてくる(写真74-7、写真74-8)。予想通りに写真24-4、写真24-5を撮った位置に出てきた。そこからは坂は下りになり(写真74-9)、適当なところで右に曲がると、すみれが丘小学校入口交差点(写真74-10)に出てきた。
写真74-19  すみれが丘小学校入口交差点を過ぎると、すみれが丘小学校の手前で道は左右に分かれる。右は歩いたが、左は歩いていない。もっとも、車では通ったことがあって、どこに出るかはわかっている。その左の道を歩く。すみれが丘小学校の校庭(写真74-11)を右に見ながら坂を上り(写真74-12)、次に坂を下っていくと(写真74-13)、すみれが丘南交差点(写真24-13)に下りていく道と交差する。すみれが丘南交差点で日吉元石川線を渡り、武蔵工業大学の横を通って(写真74-14)、山崎公園に入る(写真74-15)。この公園はかなり広い。以前よりも南側を通る道を歩いた(写真74-16)。これを書いている今は冬の真っ盛りだが、散歩をした7月29日は夏の真っ盛りである。そして、夏といえばプールである。以前、整備中だったプールを覗いてみると、さすがに盛況である(写真74-17)。歩道は、プールを通り過ぎて、山道に入った(写真74-18)。蛇が出てこないか、ちょっと不気味である。しかし、頂上に少し開けた場所があって、遠くがよく見渡せた(写真74-19)。坂を下っていくと、以前通ったことのあるプールの反対側の入口に出た(写真74-20)。そのときに撮り損ねた金の星幼稚園を撮って(写真74-21)、早渕川寄りの出口(写真18-24)から公園の外に出た。
写真74-27  中崎橋から早渕川に沿って上流に向かって歩いていく(写真74-22)。栗畑があった(写真74-23)。前回の新吉田町の田舎道(写真73-12)では、柿の青い実を見かけたが、栗ももう秋に備えて実を付けている。そんなことも、今までは知らなかったことに驚く。中荏橋(写真74-24)は、始めて江田駅まで歩いたときに通っているが(写真60-28)、そのときのルートとは90度交差して通り過ぎる。小さな合流点のところ(写真74-25)で川は大きく右に曲がり(写真74-26)、正面に地下鉄の高架(毎度ながら変な表現だが)が正面に見えてくる(写真74-27)。ここで少し川から離れて細い道を歩いていくと、今日の目的地の一つである老馬不動尊が見えてくる(写真74-28)。
写真74-34  あまりさえないお堂を予想していたのだが、実際には老馬不動尊は見所の多いところだった。まずは、階段を上ってみる。本堂はそれほど大きくない(写真74-29、写真74-30)が、本堂の回りに力石(写真74-31)や塞の神(写真74-32)といったものがあった。そして、階段(写真74-33)を下りたところには、霊泉の滝なるものがあった(写真74-34)。不動尊は水と関係があるのだろうか。仏教系の場所でありながら、アニミズム的な匂いがして面白いと思った。
写真74-37  早渕川に戻ると、国道246号線がある。関根橋の交差点で246号を渡って市営地下鉄の架道橋(写真74-35)の横から細い坂道を上っていった。この道はとても細いので、車では通る気にならない。だからこそ、歩いて通ってみようというわけである。道は小高い丘に登っていき、牛久保町の丘が遠くに見えた(写真74-36)。さらに坂道を上ると、東名高速を渡る荏元橋に着いた。ここからは東名江田のバス停(写真74-37)と東名川崎まであと2kmという道標(写真74-38)が見える。ここからは下り坂だが、あざみ野駅前の建物が見える(写真74-39)。上り坂も急だったが、下り坂も急であっという間に下に下りてくる。比較的大きな稲荷の祠(写真74-40)の前で道は左に大きく曲がり、その少し先で再び早渕川の横に出た(写真74-41)。新石川橋という橋がある(写真74-42)。橋の先のファミリーマートがある交差点から先は、たまプラーザに出るときによく通る道である。
写真74-47  新石川橋からは再び早渕川沿いに歩いた(写真74-43)。このあたりに神社が1つあるはずだが、なかなか見付からない。渕上橋(写真74-44)まで来たところで早渕川を渡り、1本奥の道を戻ると、その驚神社の入口が見えた(写真74-45)。参道は途中まで平坦だが(写真74-49)、最後に階段がある(写真74-46)。その階段を上ったところに、本殿(写真74-47)があった。すぐ横まで工事中のマンションが迫っていて、お気の毒な感じである。しかし、ここにも力石があった(写真74-48)。それに、10月に行われる獅子舞は、市の無形文化財になっているらしい。ところで、新石川は昔は牧場で馬が闊歩していたらしいが、驚神社という名前は馬を敬うという意味で付けられたのだそうだ。これにはちょっと驚いてしまった。神社を出て、左側を見ると、先ほど通った新石川橋の横の交差点が見えた。同じところをぐるぐると歩いてしまった。今度は川沿いではなく、新石川橋の延長の道を歩き、再び渕上橋際交差点を通った(写真74-51、写真74-52)
写真74-59  ここからはもう、あざみ野駅前という感じがする。十字屋という庶民的な看板を掲げた店の前を通ると(写真74-53)、あざみ野駅東側交差点(写真74-54〜写真74-56)に出てくる。ここで交差しているのは、新横浜元石川線である。このすぐ先で日吉元石川線と合流する。この交差点を通り過ぎ、あざみ野駅の高架の手前で左を見ると、改札口に向かう歩道があった(写真74-57)。ここを通って駅舎のなかに入ってまずは外を撮った(写真74-58)。それから改札口(写真74-59)と地下鉄への連絡口(写真74-60)。人がいるところは相変わらず苦手である。それから反対側の西口に出た(写真74-61)。こちらの方が栄えているようにも見える。少なくとも、バス乗り場はここに集中しているらしい。新横浜元石川線は江田駅まで田園都市線に沿ってのびているが、西口側にも田園都市線に沿った道があった(写真74-62)。あざみ野駅前交差点は、この道と駅前のバス、タクシー乗り場からの道が交差している(写真74-63、写真74-64)。この道を少し上ると、田園都市線を渡る跨線橋があったので渡ってみる(写真74-65、写真74-66)。反対側には、市立山内図書館があった(写真74-67)。
写真74-75  先ほどの跨線橋よりも江田よりにもう1本跨線橋があった。この赤田平成橋(写真74-68)は、新横浜元石川線を跨るあざみの南橋とつながっている(写真74-69)。ここから江田駅方向を見ると上下には曲がっているが(つまり、途中までは急な下り坂で、そこから先は少し上り坂になっている)、左右には曲がっていない写真74-70)。ここで新横浜元石川線に下りた(写真74-71、写真74-72)。坂道の途中では、東名高速の東名江田バス停付近が見えた(写真74-73)。赤田東公園の横まで来ると(写真74-74)、もう江田駅のホームが間近に見える(写真74-75)。荏田北3丁目入口交差点(写真74-76、写真74-77)は、国道246号と交差する江田駅東交差点(写真60-65)の目の前である。ここで右に曲がってみた。車でもこの道は通ったことがない。すると、田園都市線のガードの下を潜って(写真74-78)、江田駅西口に出た(写真74-80)。センター南行きのバスが出るバス乗り場もあった(写真74-79)。改札口の前を通って(写真74-81)、東口に出る(写真74-82)。ここから綱島行きのバスに乗って帰った。

参考地図[荏元橋][あざみ野駅]

00/1/28


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