交響楽

築山登美夫



外の風はつのつてゐるのか凪いでゐるのか、 それさへもわからない。 たゞぽつかりとひらいたまうへの高ぞらから しろい光が神経といふ神経にふりそゝいで、 しだいにくるつていつたことをおぼえてゐるだけだ。 下腹部に熱の空洞があつてたえまなく外の聲を排除してゐた。 どろどろにくさつた億の情報が循環しながら癌化していつた。 その隙をぬつておびたゞしい民族が徘徊しはじめてゐた。 横なぐりの雨がとつぜん消えて わたしははつきりと騙されてゐたことをさとつた。 周囲からはげしい音響がわきあがつては金銭を要求してゐた。 エ――ヤ――、エ――ヤ――と聞える黄色い聲、 あるひはハイ――ヤ――、ハイ――ヤ――と聞える赤い聲が、 体の周囲に螺旋状にせまつては遠ざかつた。 あれは赤茶けた着衣を旗のやうにたなびかせた別の民族だと思つた。 わたしは彼らの言語を解さなかつた。 わたしには交通の手段がなかつた。 それゆゑに共感だけがつのつた。 またしのつく驟雨がきて視界をしろく閉ざした。 まつすぐにのびたみちがそのまゝ迷路になつた。 黄色い聲、赤い聲が増幅して下腹部にしみた。 黄色い聲、赤い聲が増幅して下腹部から吐き出された。  * 坂をのぼつた。 坂はしだいに急になつた。 わたしを騙したあの女は、あの女たちは、 坂の上から辷りおりる コマのやうに廻転するしろい光だつた。 みちに迷つたわたしは混乱する体を 汗をぬぐふやうに流体化させた。 わたしはたえまなく射精するやうに人々に金銭を投げあたへた。 異国で底をつくまで金銭を吐き出すことはこのうへない快楽だつた。 わたしを騙したあの女は、あの女たちは、 流体化したわたしを、流体化したわたしの体の流れを、 内部を吹き渡る風を、いたるところで堰き止めた。 そして外の風はつのつてゐるのか凪いでゐるのか。 わたしのくるひは四通八達した血管のなかをのぼつて どこへ抜けて行つたのか。 喇叭が斜めに鳴りひゞいてゐた。 わたしは断固として言ひ張つた  それは嘘だ、 わたしはあなたがたを裏切りにそこへ行つたことはない、と。 街角から街角へと伝令が走つた。 あの女、あの女たちによる包囲は、しだいに狭まつた。 わたしにはもう逃げ場がなかつた。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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