小さなハードル

布村浩一



八月の終わりのプールの空 青くて 高くて 今日は晴れててよかった 水しぶきがぼくのところまで飛んできて まだこれからだって 子供たちが飛びこんでいる 全部飲み込んで 忘れてみせる そのようにして次に行くのだ 五十メートルのプールを二回往復して また寝っころがった コンクリートの床にぼくの汗がしみこんで 手のひらが四十度の熱を感じている 五冊の小説を捨てるのだ ぼくには関係ない 死はぼくたちを結びつけない ぼくたちは何かが違っていて あなたは宙にあるものに力を込めて ぼくは地面に腕立てふせをするように力を込める まぶしい空 今日のプールはすっかりきれいだ 十分間の遊泳禁止 「水泳は激しい全身を使う運動ですから」 アナウンスが響く 六人の監視員がひとりずつ プールの底に潜って 長い間 調べている このとき 水が生き物のような気がした プールの底で 体が柔らかい生き物になる プールの底に指を触れながらそう思う 水はキラキラと透明で さわっていて楽しいほどだ プールの囲いの向こうからまた声がして 自転車に乗って誰かやってくる 空がまぶしくて 目を開けていられない プールは満員だ 夏が終わるなんて信じられない もう一回往復したら 体が疲れきったら ぼくは帰る 夏が体の中で終わって 何も思い出さない 一本の単純な力になって目を洗い 汗と水を ふき取るのだ

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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