105 新羽町、大熊町、折本町(8月16日)



写真105-3  新田小学校入口交差点(写真73-42)から庚申堀バス停(写真73-44)近くの庚申交差点に行くつもりなのだが、少々遠回りして、消防署前の交差点に戻る(写真105-1)。ニュータウンの方から新羽駅の方に向かう車は、みなここで右折していく(写真105-2)。そのニュータウンから見て右折、こちらから見れば左折の道に入ってすぐ、小さな水路を渡った(写真105-3、写真105-4)。これが庚申「堀」というものなのかもしれない。庚申堀交差点(写真105-5、写真105-6)は、地下鉄の高架下。側道から直進していけば新羽十字路(写真73-51)に出られるが、そちらの道はもう歩いたことがあるので、まだ歩いていない左に曲がる(写真105-7)。きれいに整列した栗畑がある(写真105-8)。
写真105-14  庚申堀の交差点から数えて最初の交差点には米屋さん(写真105-9)とパン屋さん(写真105-10)。地図を見ると、この交差点からの道は、獅子ヶ鼻交差点(写真104-72、写真104-75)につながっているらしい。実際、市営地下鉄をはさんでほぼ同じところを逆戻りしている。写真105-11の山は写真104-71の山であり、写真105-12の鉄塔は、写真104-68の鉄塔である。光明寺には、初めて新羽に来たときに行った(写真69-29)ので今日は素通り(写真105-13)。そのときに右に行った三叉路(写真105-14で、今回は左に曲がってみる。
写真105-22  しばらくの間は分かれた道が畑の向こう側に見える(写真105-15)が、こちらの道が上り坂になって(写真105-16)、2本の道は完全に分かれる(写真105-17)。坂道はそれほど長くなく(写真105-18)、頂上は小さな十字路になっている(写真105-19、写真105-23)。見晴らしのよいところを求めてここで右に曲がって路地に入り込んでみると、地下鉄と光明寺を見下ろせる場所に出た(写真105-20)。そして、思いがけず、小さな地蔵堂を見付けた(写真105-21、写真105-22)。
写真105-26  そこから先は、道の舗装がなく、林のなかに入り込んでいくようだったので引き返す。先ほどの道の続きの下り坂(写真105-25)を歩くと、大熊川の向こう側の大熊町が見える(写真105-24)。駐車しているトラックの影で子供たちが水遊びをしている(写真105-26)。緑のトンネル(写真105-27)を抜けると(写真105-28)、大熊川沿いの道に合流する(写真105-29)。新羽幼稚園(写真105-30)は、そこからすぐのところにあった。以前来たことのある善教寺(写真69-55)が経営している幼稚園である。前回見損ねた善教寺境内のもう1つの寺、教学寺を見る(写真105-31)。2つの寺はどのような関係になっているのだろうか。
写真105-40  善教寺の門前からは、港北産業道路と交差する大竹交差点(写真105-32)が見えるが、その手前の路地を歩いていく。別の位置からは、港北産業道路とともに横浜国際総合競技場が見える(写真105-33)。路地を右に曲がったり左に曲がったりして(写真105-34)、大熊川を渡る橋に出る(写真105-35)。下流(写真105-36)にも上流(写真105-37)にも見知った目標物は見当たらない。橋を渡るとすぐにT字路にぶつかった(写真105-38)。このような分かれ道に庚申塚があるのは、まったく納得できることである(写真105-39)。庚申塚を覗いていたら、間近に蝉の鳴き声が聞こえ、見上げると、蝉はカーブミラーに留まっていた(写真105-40)。
写真105-45  T字路で道を右に曲がる(写真105-41)。その道もすぐに左に折れ、木陰の坂道になる(写真105-42)。木陰の部分を通り抜けると、地蔵堂になっていた(写真105-43、写真105-46)。これも、神隠堂(写真104-61)と同様に地図には載っていないが、近隣の地蔵像を10体(写真105-44、写真105-45)集めたというもので、なかなか壮観である。そして、ここも三叉路の一角になっている。この三叉路には、緑のちょっとしたサークルもあって(写真105-47)、人が集まる場所としてなるほど自然な場所である。
写真105-54  地蔵堂までの坂道でちょっとした丘の上に出てきたらしい。そして第三京浜や新横浜東山田線の方に戻ってきたので、仲町台のマンションや研究所群が見える(写真105-48、写真105-49)。振り返ると、地蔵堂が坂道の下の方に見える(写真105-50)。前方には、大熊杉山神社の鳥居が見えてくる(写真105-51)。神社の裏はゴルフ練習場である。珍しく、正面の入口から境内に入る(写真105-52)。入口のあたりは児童公園になっていて、フィールドアスレチックの施設もある(写真105-53、写真105-56)。本殿はこじんまりとしている(写真105-54)。正面左側には公民館(写真105-55)。稲荷の末社がその右に並んでいる(写真105-57)。裏参道(写真105-58、写真105-59)を通ると、もともと歩いていた道に戻る。裏参道は、その道を突っ切って大熊川の方につながっている(写真105-60)。
写真105-62  神社の裏側は、第三京浜港北インター近くのラブホテル群(写真105-61〜写真105-63)。去年歩いたとき(写真69-37〜写真69-40)には、ラブホテル群の裏にある杉山神社には気付かなかった。去年歩いた道を突っ切る形で第三京浜を渡る大塚貝塚橋(写真105-64、写真105-65、写真105-67)を渡り、大熊町から折本町に入る。長福寺から見えた(写真81-10)折本小学校が背後から見える(写真105-66)。道は細く、畑だけが広がっているようだが(写真105-68)、少し先には都筑工場の煙突やニュータウンのマンション街が見える(写真105-69)。
写真105-71  道の太さは変わらぬまま、弥生橋に出る(写真105-70)。この橋は、新横浜元石川線を渡るもので、北を見ると新栄高校南側交差点までがまっすぐ見える(写真105-71)。南側には同じような橋(淡島橋)がもう1つ架かっている(写真105-72)。橋の下の道は車で何度も通ったことがあるが、上がどのようになっているのかは知らなかった。両方の風景の落差の大きさが面白いと思った。弥生橋を渡ると、畑が少なくなってくる。淡島橋からの道と西原公園で合流し(写真105-73、写真105-74)、真照寺に向かう道との交差点に出てきたが(写真105-75)、その道があまりにも細いので、本当にその道を歩いていってよいのか不安になり、まっすぐ歩いていくと(写真105-76)、道は寺から離れる方向に曲がっていき、十字路にぶつかった(写真105-77)。
写真105-83  もちろん、十字路にぶつかった頃には道を間違えたことがわかったが、それほど遠回りしたわけではなくて、その名も真照寺橋という架道橋を潜り(写真105-78)、寺への入口の少し先にある西原橋(写真105-79、写真105-80)を覗いてみる。この橋は、大熊川にかかっていて、すぐ先には天満宮(写真81-24)に向かう道がある(写真105-81)。一度渡った橋をまた渡って、先ほど潜った橋の上に上がっていく坂道を歩く(写真105-82)。写真105-75の十字路で右に曲がっていれば、この橋の上に来ていたはずである(写真105-83)。橋の上からは、西原橋(写真105-84)も先ほどの十字路も見える(写真105-85)(続く)。

参考地図

00/12/5


[フロントページ] [詩] [詩的日乗]

[目次] [写真索引] [サーチ]

[この回の写真一覧] [前頁(104 北山田、南山田、早渕、新吉田町、新羽町(8月16日))] [次頁(106 折本町、東方町、川向町、小机町(8月16日))]

mailto: webmaster@longtail.co.jp