宮沢賢治論 連載第二回
緩やかな転換
     ――報告者の位相から自己表現の位相へ――

木嶋孝法



○『鹿踊りのはじまり』
 たしかに、作品には、

《ざあざあ吹いてゐた風が、いま北上の山の方や、野原に行われてゐた鹿(しし)踊りの、ほんとうの精神を語りました。》

 と書かれている。けれども、実際に鹿踊りを見聞したことのある人でない限り、《いま北上の山の方や、野原に行われてゐた鹿踊り》という表現を文字通り鵜呑みにしたりはしないであろう。それすら、作者の創作かもしれないからである。しかし、次のような文章に接すると、この作品が、まんざら作者の想像力によってのみ創り上げられたものなのではなく、作者にとっては、むしろあたりまえの前提に下づいて創られていることを改めて思い知らされる。その、あたりまえの前提が、わたしたちにはよく見えないのだ。

《その夜江刺市梁(やな)川地区で珍しい行事の現場に立ち合うことができた。土地の今野昭三氏の斡旋によるものだったが、梁川では「獅子躍」と表記している例の鹿躍りの免許授与の儀式が参観できたのである。》

 口拍子の発声音も記録しているので、それも引用させてもらう。

《タクツク、タッタコ、タッタコ
ザンツク、ザンツク、ザッツァコ
ザン、コ、ザン
タッタ、コ、タ
それは太鼓の革を打つ音とふち叩く音とをあらわしている。》(以上、島尾敏雄氏の「奥六群の中の賢治」より引用、日本文学アルバム『宮沢賢治』所収)

《のはらのまん中の めっけもの
すっこんすっこの 栃だんご
栃のだんごは 結構だが
となりにぃからだ ふんながす
青じろ番兵は、気にかがる。》

 こちらは、鹿野歌う歌で五行詩になっているが、二行目の《すっこんすっこの 栃だんご》というところなど、明らかに「鹿踊り」の太鼓を叩く音か、土地の青年の口誦に材を求めたことは、疑いようもない。となると、わたしたちはどのような事態に遭遇したことになるのか。鹿踊りのはじまりというのは、これから鹿踊りが始まるよ、という意味なのではなくして、当時、花巻近郊で行われていた鹿踊りが、どのようにして始まったか、という意味なのだ。つまり、起源譚なのである。
 とはいえ、手法的には、『かしわばやしの夜』や、『月夜のでんしんばしら』等と何ら変わるところはない。柏の木や電信柱を人間に擬えることが、賢治的な幻想の世界への入口であるとすれば、『鹿踊りのはじまり』もまた、鹿の擬装をした人間の身振りや、太鼓の革や縁を叩く音を、鹿の動きや歌に擬えているにすぎない。

《鹿は大きな環(わ)をつくって、ぐるぐるぐるぐる廻ってゐましたが、よく見るとどの鹿も環のまんなかの方に気がとられてゐるやうでした。(中略)もちろん、その環のまんなかには、さっきの嘉十の栃の団子がひとかけ置いてあったのでしたが、鹿どもの気にかけてゐるのは決して団子ではなくて、そのとなりの草の上にくの字になって落ちてゐる、嘉十の白い手拭らしいのでした。》

 擬装「鹿踊り」の方の踊りの光景を想像する。腰に下げた太鼓のリズムに合わせながら、右足に重心を移したり、また、左足に重心を戻したりする。大きな輪が、中心に向って萎んでいったり、また輪が広がったりする。あるいは、個々人が、思い思いに鹿の仕種を模倣する。秋の野原に展開するそんな光景――。
 たしかに、この踊りが、どんな目的で、いつ頃、どんな人々によって始められたのだろうという疑惑がぼんやり起こってきたとしても何ら不思議ではない。そして、意識的にか、無意識のうちにか、その疑惑に賢治が応えようとししたとても。しかし、自分で創作しておきながら、なぜ《わたくしが疲れてそこ(苔の野原―註)に睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、(中略)鹿踊りの、ほんたうの精神を語》ったとしなければならないのか、その点は疑問である。自分が作ったと思われたくない、と思っていたことは確かである。世の中には、作品を、その作者の個人的な才能の現れと考えて、羨望や驚異の目で見る人もいるわけで、そういうふうに個人に還元されたり、才能を誇示しているように見られないように、風を隠れ蓑に使ったのだ。おそらく、そこには、自己顕示欲を諌めようとする、仏教でいう無我の思想が、眼に見えない強制力として働いているのである。当然、白樺派の「天才賛美」にみられるような、西洋的個人主義への反発もあったはずだ。
 さて作品へ戻ろう。
 〈風〉は、鹿踊りの見聞者に嘉十を選んでいる。湯治に出かけた嘉十は、途中で食事に栃と栗のだんごをとる。この際に、手拭いを置き忘れ、それを取りに戻ったところで、鹿の姿を見るのである。
 蟻が見たきのこ、蛙が見たとうもろこし同様、手拭いが、鹿たちの未知の、興味の対象になる。うまく考えたものである。擬装「鹿踊り」の動作が、輪の中心に置かれた異物にこわごわ近づいたり、探りを入れたり、慌てて逃げたりするように見えたのである。そこで賢治は、手拭いを囲んで鹿の輪を配列したのである。しかも、鹿が出現しても不自然ではないように、手拭いの脇に栃のだんごの食べ残しまで置いて。これで、いつ鹿踊りが始まってもおかしくないように舞台装置が整ったわけなのだ。
 一頭の鹿が、手拭いを栃のだんごの傍から取り除いたところで、歌と踊りが始まる。野原の真ん中で見つけたものは、すっこんすっこの栃だんご。栃のだんごはいいのだけれど、となりに体を吹き流す、青、白、ぶちの見張り兵は気に懸る。青白番兵はふんにゃふにゃ。吠えもしなければ、泣きもしない。痩せて長くて、ぶちぶちで、どこが口なのか、頭なのか、日照り上りの大きななめくじかもしれない。一頭の鹿が歌う、こんな内容の歌に合わせて、他の鹿たちが踊り出す。一度は、嘉十も自分が人間であることも忘れて、この輪の中に飛び出そうとするが、思い留まる。しかし、二度めにはもう自分を制することができない。驚いた鹿たちは、当然踊るのを止めて逃げ出してしまう。秋の夕べの鹿踊りは終ったのである。
 夏の夜の柏の踊り、月夜の電信柱の行進、秋の夕べの鹿踊り。いずれも、同一の手法を用いながら、『鹿踊りのはじまり』だけが、結果的に起源譚になってしまった。ここから、実在する奇妙な森の名前の由来を探る『狼森と笊森、盗森』への道行きと、〈はじまり〉という言葉が、オープニングとオリジンの二重の意味に取れるのと同様の、意味の二重性を逆手にとった『注文の多い料理店』への道行きが見える。
 振り返れば、賢治の農夫への眼差しが微妙に変化してゆく様が窺える。
 『葡萄水』では、作者は耕平に好感を持っていなかった。『かしはばやしの夜』においても、導入部では、同じような姿勢で入っていったのだと思う。ところが、「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」と清作が怒鳴ったところから、清作に対する態度が微妙に変化していく。それは、たとえば、絵描きの自嘲的な態度となって現れる。恭一の職業が判別できない『月夜のでんしんばしら』は除いて、『鹿踊りのはじまり』では、作者は嘉十と一体化している。すなわち、大正十年の八月から九月までの短期間に、賢治の農夫への態度が、否定的なものから肯定的に変化したということである。極端な言い方をすれば、芸術至上主義者から、農民芸術論者とまでは言えないにしても、芸術と生活の両立を目指す者に変わった、とは言えるのではないか。

○『どんぐりと山猫』
《をかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

かねた一郎さま 九月十九日/あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。/あした、めんどうなさいばんしますから、おんで/んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
山ねこ  拝》

 ある日突然、こんな葉書が一人の少年の家に舞い込み、その少年がうれしさのあまり《うちぢゅうとんだりはねたりし》たとしてもよい。しかし、人を招待するにしては、なんとも散漫な葉書である。時刻、場所の指定がないのである。山猫は、時刻、場所の指定をしないで、少年にどうやって、そのめんどうな裁判が行なわれるという場所へ来いというのであろう。葉書が葉書なら、少年も少年だ。そんなことには、なに頓着する風もなく、翌朝《ひとり谷川に沿ったこみちを、かみの方へのぼって行》く。あるいは、《山ねこ 拝》とあるだけで、その土地の子供なら、すぐさま思い当たる場所があるのかもしれない、とも考えてみる。ところが、今度は《やまねこがここを通らなかったかい。》と、栗の木に尋ねたりするから、やはり裁判の行なわれる場所を知らないのかな、と思うと、山猫は今朝早く東の方へ行ったよ、という栗の木の答えに、《をかしいな》と言ったりする。自分の中に、或る心積りがなければ、こんな風には言わないだろう。こちらは、ただ、ただ、翻弄されたあげく、栗の木に尋ねたのは、自分の予想を確認しただけなのだ。というところへ落ち着く。そうでなければ、自分から尋ねておきながら、笛吹きの瀧、きのこ、りすのいずれの答えにも少しも耳を貸さず、《まあすこし行ってみよう》とばかり繰り返す一郎の言葉の真意が計りかねる。これでは、山猫の行先を尋ねる場面は、木や瀧やきのこやりすと少年が、あたかも当然のように会話を交わすことの愉快さを考慮しても、裁判が行なわれる場所へ行くまでの、単なるつなぎと思われても仕方あるまい。いったい、作品が何を訴えようとしているのか杳として掴めないのである。
 たとえば、厄介な裁判の収集のために、どうして一郎が選ばれたのかということ。そんなことは、一郎の関知するところではないのかもしれない。それならば、山猫の方から、特に一郎だけを選んだことの理由について一言あってもいい。山猫の方が言わないのなら、一郎が尋ねて当然だと思うのだが、それもない。
 だからと言って、ここで作品の不備をあげつらったり、作品への不満を列挙したりすることにいかほどの意味があろう。そうではない。本来、作品が備えていなければならないと思われるものが、あたかも過失のようにスッポリ抜け落ちていて、そのことに賢治がまったく気づいていない、気づいていないかのように見える、ということを問題にしたいのだ。と言うのも、『よだかの星』で、「よだか」が死を決意するのは、それだけはけっして受容できない要求を、鷹に叩きつけられたからなのだし、『貝の火』で、ホモイが宝珠を授かったのは、川で溺死しそうになっていた雲雀の子を、ホモイが文字通り身を呈して救った故なのである。つまり、今、挙げた二つの作品に関してだけでも、作者は、作品の中で起る出来事について、ちゃんとその因果関係を描写することを忘れていなかったのである。それなのに、どうして『どんぐりと山猫』には、それがないのか。ここに、この時期の賢治の心理状態を解く鍵がある。
 ともかく、かの厄介な裁判なるものが始められる。と言うよりは、どんぐり間の、どんなどんぐりが一番偉いか――を巡るたわいない言い争いである。その調停役が山猫なのだが、この言い争いは鎮まりそうもない。そこで、山猫が一郎に方策を請うわけなのだが、一郎は、《このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなってゐないやうなのが、いちばんえらいと》言い渡すよう、山猫に言う。それで、今日で三日目だという裁判も、あっさりと片付いてしまう。
 一郎の言葉が、何か高尚なことを言っているようには思えない。いや、鼻っからこのように突き離すことで、看過ごすものがあるかもしれない。存外、作者は大真面目で、一郎の口を借りて、自分の思うところを開陳している可能性だって、なきにしもあらず、だから。
 賢治が、自分よりも恵まれていない人間に負い目のようなものを感じていたことは確かである。資質ということもあるのだろうけれど、わたしは大乗思想の影響であろうと思う。
自分だけの救われを求める(と考えている)小乗への批判があるから、自分の方が恵まれていると思ったときに、恵まれていないものに負い目を感じるのだろうと思う。そういう心理的圧迫感を、一気に取り払いたいというような苛立ちがあるから、《いちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなってゐないやうなのが、いちばんえらい》というような、一般的な価値観をただ逆立ちさせたにすぎない、一見、思想的に見えて、感情的な叫びでしかない表現を呼び込んだのである。
 だから、間違っても、一郎の吐いた言葉がその場の出任せだ、などとは言うまい。つまり、作者の心情をある程度代弁しているとしよう。しかし、いくら作者の事情を考慮したとしても、裁判が終結するにしては、一郎の言葉は説得力がなさすぎる。それだけに裁判がまるで一郎を持ち上げるためにのみ行なわれたとしか思われないのである。少なくとも、この一郎の言葉が、この作品の主題であるとは思えない。となると、作者は、いったい何に腐心していることになるのか。やはり、作品の構成――現実世界の人間を、ひとたび非現実的な世界(動植物、及びそれに準ずるものを擬人化することによってなっている世界)へと誘い、再び現実世界へ帰還させる――以外には考えられない。
 まさか、とは思う。まさかとは、賢治が観想によって、あらゆる現象を無いものと見做そうとするときの過程と、作品の構成がちょうど反対になっているということである。往(い)きて還(かえ)る、仏の往相(おうそう)、還相(げんしょう)のことなども思い浮かんでくる。『どんぐりと山猫』の場合は、往きて還ると言うより、「誘(いざな)って送り還す」と言った方が正確だとは思うが。
 『かしはばやしの夜』を論じているときにも、気にかかってはいたのである。柏の木大王に前科九十八犯と罵られて、清作が怒って《あっはっは。九十八の足さきといふのは、九十八の切株だらう。それがどうしたといふんだ。おれはちゃんと、山主の藤助に酒を二升買ってあるんだ。》とやり返すところ、清作の反応が物すごく即自的、肉感的で、大王の言葉に自分の筋力(生活力)で反発しているようにすら感じられる。作者に近い登場人物と言えば、絵描きだが、もし、この清作に作者が自己を擬したとすれば、作者が肉体の復権を計っているとも考えられたからである。
 確かに、自然交感といえば、耳触りはいい。でも、そうかな、という気はする。自然との交感に自己慰安を求めるというのは、裏を返せば、人間関係の軋轢に耐えられない精神構造を彼が所有していたということではないのか。

《風の中を
なかんといでたるなり
千人供養の
石にともれるよるの電燈》(「冬のスケッチ」第十三葉より)

 何か、家人の人と諍いがあって、たまらず表に飛び出した、という感がある。生活の根っ子は父親に押えられており、いくら、賢治が理想論をかざしたとしても、そんなものは生活の論理によって一蹴に伏されてしまうことは目に見えて明らかである。その都度、賢治は自己確証、自分は間違っていないということを、自然、そして、脳裏に展開する物語に求めるしかなかったのだ。自然は、いつも自分を裏切ることがなく、悠然と自分を待ち構えていてくれるからだ。その中でしか、賢治は自己を解放する術を知らなかったのである。
 たとえば、栗の木や瀧、きのこ、りす、どんぐり等々と一郎が会話を交わすこととして、あるいは、自然交感というようなことが言われるのかもしれない。わたしには、どうもそれは疑わしい。自然との交感に慰安を求めるというのは、裏を返せば、彼が人間関係の軋轢に耐えられないということだ。動植物と会話を交わすと言ったところで、動植物の会話は作者が考えて言わせているのである。だから、本当は、独り言に近いものなのだ。ただ、彼が、動植物に言わせているのだから、現実の人間相手の時のように、相手の言葉によって傷つくということはない。
 これも、一つの厭世の形であるにはちがいない。自分を取り巻く人間関係、世相に背を向けて、自然の中に自己の慰安を求めたのである。――自然は自分を裏切らない――という確信が彼にあったからであろう。
 ここに手負いの魂が彷徨していることだけは確かである。

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