詩と批評第3号 1987.7.31 500円〒154 東京都世田谷区弦巻5-14-26-301(TEL:03-428-4134) 編集・発行 清水鱗造 |
海に沿って |
倉田良成 |
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濁り河 |
倉田良成 |
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片肺まで枯葉 |
荒川みや子 |
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間諜 |
瀬尾育生 |
待合室は混みあっていた。わたしは外を見ていた。微細な虫たちが光の帯のなかを舞っていると思った。おそいピアノがながれた。つい先ほど受けた電話がだれからのものだったか、どうしても思いだせなかった。あるいはそんな電話などなかったのかもしれない。まわりではざらざらした言葉が話されていた。わたしの聴こえるほうの耳はそれを理解しなかった。ちがう人たちの言葉なのだと思ったもう一方の耳へささやかれるはずの指令をわたしは待っていた。背中で骨がきしんだ。ここは外国だと思った。おそいピアノがながれた。時間のなかに空白が残された。だがほんとうはいたるところ穴だらけの時間しかなかったのだ。「きみはみずからの使命を選択するようにしてひとつの悲劇を選択する」メモのすきまにわたしはそう書きこんだ。そしてすぐ、それが誤った記述だとわかった。わたしが聴こえないほうの耳で聴いたのはこんな言葉だった。「一個の悲劇を演ずるだけの覚悟があればきみは使命をまっとうできるだろう」この言葉だけはこのとおりに書きとめておこうと思った。それはすこしざらざらした言葉だ。細かな虫たちが光の帯のなかを舞っている、と思った。 |
ミノトロマキー |
藤林靖晃 |
夏。沸騰する汗の塊の中で我々は眠る。何を考えているのだね、君たち。声だけがひびいてくる。夢。すべては夢。現実より重い……。我々は夢を噛み殺す。声を追う。めくるめくような速さ。速度は次第に激しくなり、躯は瓦解する。強い陽が四肢を焼く。殺す? 何を? 三人目の自分をだ。待ってくれ、その前に。その前に、何? 君は君自身を何千回と殺しただろう。否。私は何もしなかった。そうだ。一体私は何をしたのだろう? 内臓のかすかな破裂音が聞こえる。私は既に私を飛び立った。む。 秋。彼も死んだね。そうだ、彼もだ。彼も死んだのだろう。そうだ彼もだ。我々の中の同胞は一体何人? …数えきれない死。君、君は死なないでくれ。大丈夫だ。俺は死なない。それどころか、俺は歓びに満ち満ちている。なぜ? 俺には俺が居る。え? 六人目の俺に君と話すようにすすめよう。俺は又旅に出る。ぐ。 冬。広がる雪の中で無数の人々が騒いでいる。此処は至上の地だ。さあ、何も考えずに冬眠に入りたまえ。夢をたっぷりと食べたまえ。 何処へも行かずとも良い。何をしなくてもいい。何でもしたまえ。ふふふ。しかし彼等が。彼等? 関係が。それがどうしたというのだ。関係が燃える。燃える。ふ。 春。一切合財が蠢きだして、風景は生き生きと音を立て、風が、雨が、雲が、躯の中をめぐり始め、臓腑を揺すり、我々はまだ居るのだね、誰かが呟き、声のかたまりが鳴り始め、はじまりはひそかに、やがて高まり、地を揺すり、水と岩と山をくぐりぬけて、われわれは飛翔し、まわり、裸の躯に水を浴び、飲み、食べ、これでいいのだと、誰かが笑い、笑いの渦が鳴りひびく。ど。 |
PLATINA DREAM |
田口育子 |
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詩的なるものをめぐってII |
二川原一美 |
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さよなら東京 |
藤田晴央 |
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闇の私語(オルゴール) *不眠に悩むキルケゴールに捧げる冗談詩 |
立木鷹志 |
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メトロノームを輝かせて |
小川英晴 |
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光が丘 |
田中勲 |
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一九八七年 |
清水鱗造 |
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俳諧「歌仙集め」の巻 |
倉田良成・二川原一美・清水鱗造 |
●後記・倉田良成 はなしづくり、ということが連句のうちでいちばん基本的なことではないかと思う。それは通常、句のおもてには必ずしも露わではない。前句と前前句とのイメージの関係を、再びくり返さないという約束があるにせよ、「あなたの志は確かに受けとった」という水面下でのやりとりが、「はなしづくり」にあたるのではないか。いわゆる「モノハヅケ」では、歌仙が成立しないゆえんである。当歌仙をすすめるにあたって痛感したことは、共通の話題がない、ということであった。これは、いいかえれば、おのおのの、「風雅」がそっぽを向きあっている、とでもいえばいいか。とても「遊ぶ」ところまでは行かなかった。――と、私は思っていても、他の二氏はけっこう楽しまれたのではないかと考えている。付け付けられることに付随する制約感と解放感は、他者を容れる、という一事によって他の定型詩とはまったくちがった様相をあらわす……。ただし二氏に対して私は忸怩たらざるを得ない。なまじい捌き手のやくわりをまかされたために、無用の斧をふるって、両氏の世界をせばめたきらいがあるからである。もしも、また機会が与えられて歌仙を巻くようなことがあったとしたら、もうすこし「自由」に遊べるのではないかなどと私は考えているのだが。 ●歌仙事始記・二川原一美 昨年師走から連句入門書を読み漁りて、未だ五流の身技体の充実の域を出ずして……歌仙を始むる次第。定まり事を覚えるのに先ず二苦労。安東次男著などの連句手引書も神田西秋、日本書房などで、購ふても書斎に飾っても宝の持ち腐れ。されど怯まずに両吟、参吟、肆吟と読み進むる望み捨て切れず……心とは裏腹に歌仙に付いてちょいと識ったか振りをして、友達の輪…宜しくねと、彼方此方に声を掛けては連衆の誘いをする調子の良さ。やっと集まりたる参人衆、清水、倉田、二川原連である。倉田の捌(サバキ)で睦月下旬に我等の連句船が出帆した。小生が発句担当と名指しされ、思案百回を重ねて抽出した傑作句?初折表の第壱番句…嬉し恥ずかし発句のでき具合を連衆に秘かに尋ねると、色よい返事など皆無。先行を案じて途中下車したいと申し出たものだ(即日却下)……電信が主流で連句の綾織ゲームが展開され、付け筋を述べ合ひて、推考の嵐吹きまくる日が続くと頭の中が錯乱状態になる……早速挙句まで歌ってしまいたい願望にかられるものだ。そんな気持を必死に堪えて、初折表、名残表へと継なぐ茨の道すじ…(千秋楽)待ち侘びた建国記念日、新玉線桜新町下車十分の清水邸に集ひて、名残裏六句を挙句まで短冊に詠み書き込んで安堵する顔々。もふ連句は辞めて連詩に挑戦しようぜの声むなしく。次回は桜の花咲く頃に一発やるぞと誰かいったナア……戯言の渦を酒の肴に変えてしまふ驚異の連衆達の行く末、歌仙の世界でどんな醜態を晒すやら……脇、第三、平句、挙句、春夏秋冬、二花三月、素春、雑の句、季移り、季戻り、打越などの事柄もしばし忘れて舌の根も渇かぬ裡に連句の時の時を思ふと芭蕉翁も深川の庵で火鉢を抱ひて「十年速いよ」と笑ふことだろふ! (於・第日本印刷校正室・如月) ●後記・清水鱗造 独りの連想体系のなかだけでなく、他者の連想体系に通じていくには、制約もある代わりに密談と言っていいような私的な題材に触れることができる。関係意識とか欲望もそこに表われるのではないかと思う。独りならば、いくら破格でも、思い入れは無限に可能だという言語意識にたてばいいのであるし、まさにそれで詩は成立すると思うのだが、連句では即座に感じられたことの反応が返ってくる。だから、自分の意識とそういったコミュニケーションの意識を天秤にかけて発語するのが、技になってくるのだと思う。少なくとも手紙みたいに相手に対する思いを入れること、そのうえで構成意識を働かせること。さらに成立しているゲームの意識を加えること。 この試みをひょんなことから始めて、むしろ読者にはわからないやりとりや思いに連句の面白さがあると思った。そしてこのゲームの本質は時代的に古典的までに深化されてる。むしろ連想体系がそれぞれの生活意識とともに分裂していることを確認することが、現在このゲームをやることの面白さかもしれないと思う。 三人の共通性は何かといえば、東京に住み、似たような仕事をしているということだろう。このささやかな共通性が、ひょっとしたらささやかな共通の喜びをもたらすかもしれないという接触点を求めていきたい。 捌き・倉田良成 句割 二川原一美 十二句 清水鱗造 十二句 倉田良成 十二句 |
宮沢賢治論 連載第三回 緩やかな転換 ――報告者の位相から自己表現の位相へ―― |
木嶋孝法 |
○『注文の多い料理店』 小学校の国語の教科書にまで載っている物語だから、知っている人の方が多いだろうとも思うが、思い出すために、賢治自身の宣伝用の作品解説を掲げておこう。それによれば、《二人の青年しんしが、りょうに出て道に迷い、「注文の多い料理店」に入り、そのとほうもない経営者から、かえって注文されていた話。》ということになる。とりあえず、そういうことにしておこう。 さて、物語の前半、中心部を飛ばして、結末に近く、 《室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるへて、草の上に立ってゐました。》 という表現に打つかる。となると、二人の紳士は山猫に化かされたことになるのか、それとも疲労と空腹から自分たちで勝手に幻覚を見たことになるのだろうか。 《「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構はないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」/「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ。》 冒頭の二人の紳士の会話である。〈殺生〉に対して罪悪感を感じるどころか、それに興じようにも獲物がいなくてそれができない、できなくて焦れている。狩猟に対して、恐れなり慄きなりを抱いていたのならいざしらず、これから狩猟を楽しもうとしていた人間が、そのことで恐い目に遭うというような幻覚を見るわけがない。やはり、山猫に化かされたのである。どうして。 その理由を作品に求めても無駄である。本来なら、作者が予め用意しておかなければならないはずの理由を欠いている。それが、この作品の第一の特徴である。逆に、そこから作者の考えを探り出すことができる。作者は、そんな理由が必要だとも、もしその理由を欠いたら、読み手の方はどうして二人の紳士が山猫に化かされなければならないのか、うまく掴めなくなるとも思っていない。と言うのも、作者自身が、二人の紳士がそういう目に遭って当然だと思っているからである。 何はともかく、二人の紳士は幻覚を見たのではなく、山猫に化かされたのである。そのことだけを確認して、作品を読み返してみよう。 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」 山猫軒に入った紳士たちが見た最初の板書であるが、これはいいとしよう。次のやつ、 「ことに肥った方や若いお方は、大歓迎いたします。」 とある。よもや、肥った人間や若い人間は料理を沢山食べるからという意味ではないだろう。どうせ食べるなら、肥った人間や若い人間の方がおいしくていい、と言っているのだ。 ここである。二人の紳士を化かすのが山猫の目的だとするなら、こんな間の抜けた板書もない。本音を隠すことによってしか〈化かし〉は成立しないであろうから。だから、もし本音を知られることが山猫の本意でないとしたなら、誰が誰に向って本音を打ち明けたことになるのか。作者が読み手に向けてである。作者は、山猫の言葉を二人の紳士に伝える一方で、あたかも映画やテレビの字幕スーパーのように、山猫の本音を送り出してくる。そうしなければ、〈いたぶり〉の過程を読み手と共有することはできないからである。しかし、そのために、却って要らぬ混乱を読み手に惹き起こすことも事実である。たとえば、 「当軒は注文の多い料理店ですから、どうか、そこはご承知下さい。」 というような板書。紳士たちにはよく流行っている店であることを、読み手には様々な要求をする店であることを伝えている。読み手には、山猫の本音が透けて見えているだけに、二人の紳士はどうしてそのことに気づかないのか、訝ったりする。それに気づいたら、〈化かし〉そのものが、いや、物語自体が成立しなくなるのに。ひどいところでは、 「注文はずゐぶん多いでせうが一々こらへて下さい。」 というように、作者の方がそのことを面白がっていたりする。本来、読み手に見せるべき顔を、紳士の方に向けているのである。自分の方から越境しておいて、《これはきっと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと斯ういふことだ》などと、もう一人の紳士に無理な解釈をさせて、尻拭いをさせている。 この危うげな紳士協定が、綻びを見せるのは、「香水をよく振りかけてください。」とあって、置いてあった香水が酢の臭いがするあたりからである。 「いろいろ注文が多くて、うるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか、体じゅうに、つぼの中の塩を、たくさんよくもみこんで下さい。」 これは、作者が読み手に見せていた顔だ。なぜ、突然、二人の紳士の方に向けるのだ。まるで悪夢から醒めたかのように。 おそらく、作者は無我夢中で二人の紳士を〈いたぶっ〉ていたのである。そして、自分のしていることに気づいて、ハッと我に帰ったのだ。たしかに、悪戯に生物を殺すことのできる人間に対する、やむにやまれぬ反発はあったのであろう。また、何事もお金に換算して省みない神経の持主に対する憤りもあったのであろう。 この作品の制作日は、大正十年の十一月十日になっている。その年の一月、賢治は突如、家出をして上京している。そして、八月頃帰花したらしいが、いったい彼は廻りの人々に歓迎されたのであろうか。十二月には、花巻農学校に就職している。制作当時、就職が内定していたかどうかも怪しい。 風の中を なかんとしていでたるなり 千人供養の 石にともれるよるの電燈 (「冬のスケッチ」第十三葉)
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はじまらなかった春 |
福間健二 |
ワクワク先生のことはどこから話したらいいのだろう。はじめて出会ったそのとてもよく晴れた日、ぼくはずっと前からかれの仰いでいる青空の舌を歩いていた気がして感動したのだが、その日からはじまったこととその日よりも前からはじまっていたこととが折り重なっていつまでも愉快な混乱をひきおこしている。確かなことは、ぼくがかなり長い間ワクワク先生のそばにいて、ほんとうにワクワクしたということであり、それからあるとき突然にかれの姿が見えなくなり、ぼくは普通の生活というか、平均して月に十五万とか二十万とかのお金を稼ぐ生活にぼんやりとはいっていったのだ。ワクワク先生とは会わなくなった。かれから神仙術や荘子の話をきいたり、かれの考えたワクワク拳法という体操のようなものを公園や原っぱで一緒にやったり、深夜にふたりで十キロも十五キロも歩きながらさまざまの人間や動物に姿を変えて遊んだりということがなくなって、ぼくは仕事の帰りに同僚と酒を飲んだり、女の子にふられたり、ひとりで映画を見たり、パチンコ屋で知りあった二十歳そこそこの大工と殴り合いのけんかをしたりした。 「ひとりぼっちのくせに」 と同僚にも女の子にもいわれた。 「だれかがあんたのことを上のほうで見ていて、なにかあったら下りてきてあんたを助けてくれるなんて思っていたら、大間違いだぜ」 とけんかした大工はいった。 くやしくていうのではないが、みんな孤独なのだ。ぼくにはワクワク先生がいた。もう一年半ちかくも会っていなかったけれど、ワクワク先生は、ぼくがほんとうに困ったときには必ずどこからともなく通信をよこしてくれ、そこでどう角を曲がって、どんな姿勢でいやな人間たちが通り、冷たい風が吹きつけるのをやりすごせばいいのか、そして結局は自分のなかにしっかりと熱を育むものがあればこの世のなにに対してもふるえることはないし、だれも傷つけはしないのだということを教えてくれる。ぼくはそれを信じていたし、実際にそういうことが何度もおこったと思う。 ところが、そのワクワク先生が死んだという噂が流れてきた。にわかには信じられなかったが、一緒にワクワク先生のところに出入りしていた高校の英語教師のクラがぼくのところにやってきて泣きわめいた。かれはぼくよりもずっと敏感なたちで、超能力的なセンスもワクワク先生に匹敵するものをもっている。そのクラがいうのだ。 「ワクワク先生の声がきこえなくなったいまとなっては、おれたちがこの日本にいるのは危険だよ。おれは高校をやめてオハイオに行くことにする」 「オハイオ?」 「アメリカのオハイオさ。小説家のおじさんがそこの大学に招かれて日本文学の講義をしているんだ。あそこは酒屋もバーもない安全な田舎だからさ、妙な酔っぱらいにからまれたりする心配はないしね」 クラのいっていることは、どういうツジツマになっているのかさっぱりのみこめなかったが、とにかくかれはアメリカに行ってしまった。どうして日本にいることが危険なのかと問い返してみても、そんな当たり前のこともわからないのかというような、ばかにした表情をされただけだった。それにしても、どんな敵がワクワク先生の死をきっかけにして暗躍しようとしているのだろう。ぼくもまたぼくなりに早合点して、停滞する季節に甘えるようによく眠り、おかしな夢を次々に見た。 八王子にある大きな古本屋にはいって気がついたのだが、その裏に別館があり、さらにその別館のわきにまた別館がある。そこで珍しい戦前の映画のことを書いた本をみつけた。ワクワク先生が時代劇映画のスターだったころの写真がたくさんはいっている。買おうと思って値段の数字を見ると、べらぼうに高い。棚の前でためらっていると、人相の悪いアルバイトらしい店員がちかづいてきて、 「困りますよ。金のないのに高い本をほしがったりしちゃ」 と冷淡な言い方をした。 ぼくは腹が立って、なにをいうのか、この本のほんとうの価値がわかるのはこの世の中でおれぐらいのものだ、そのおれに手の届かないような値段をつけているのは許せない、と抗議した。店員はせせら笑って、 「ははーん、おまえ、例の一味の生き残りだな。うまい具合に罠にかかりやがった」 とぼくの肩にひんやりした手をおいた。その手の冷たさはまるでぼくの生気を抜きとろうとするようで、ぼくはあわてて逃げ出した。はいってきたとおりに引き返したつもりだったが、どこを間違えたのか、べつな別館に、そしてそのまた別館、さらにそのまた別館へと踏み込んで、一瞬、途方に暮れてしまった。しかし、同じ古本屋でも経営は別になっているのか、気がつくとべつにさっきの店員が追ってくる気配もなく、手にはサムライに扮したワクワク先生の写真のはいった本をかかえて、なぜかぼくはその場所のよく知られた顔であり、考えてみればなじみの女主人にその珍しい本を売ろうとしているのだった。同僚の何人かや行きつけの喫茶店のマスターがそこにいあわせて、 「その本を売って大金がはいるんだから、仕事をクビになったって平気なわけだ。まったくうらやましいや」などといいあっている。 かれらは女主人からきいて、その本がいくらに売れるのか知っているようだった。ぼくはぼくで、その本がワクワク先生本人からもらったもので、それをくれたとき、先行きお金に困るようなことになったらそれを売って急場をしのげばいいともいわれていたことを思い出していた。女主人は、もう七十にとどくほどのその年齢に似合わぬ若やいだ笑みを浮かべながら、信じられないほどたくさんの金をくれた。そうして売った本があの人相の悪いアルバイト店員のいる売り場の棚におかれて、ぼくはうっかりそれを手にとった。そして逃げ出した。そしてまた売った。これを何度かくりかえして金持ちになったぼくがいて、そのぼくはまさしくワクワク先生のふしぎな力にあやつられる「幸福な弟子」だったはずだが、その八王子の古本屋の別館、そのまた別館、そのまた別館、そのまた別館とほとんど方向感覚を失うようにさまよっているうちにその「幸福な弟子」とはすれちがった。もう随分長くワクワク先生の声をきいていない、そのことが取り返しのつかない間違いだった気がしてきた。ぼくの手の中にあった本、ぼくの手の中にあるべき本、そうでなければあの棚におかれているはずの、あの大事な本の題名もわからなくなった。 あたらしく踏み込んだ古本屋のはじめて見る顔の主人に本の内容を説明する。ワクワク先生のことをいうと、きまってけげんそうな表情をされる。 「そんな映画スターがいたっけねえ。昔のチャンバラ映画、嫌いなほうじゃないんだけど、アラカン、千恵蔵、右太衛門ぐらいしか知らないな」 そんなふうにいわれて、あの本の存在はおろか、ワクワク先生が映画に出ていたことすら疑わしく思えてきたりする。あの人相の悪い店員にも、気前のよかった女主人にも会えなくなった。そして、どこまで行っても古本屋がつづいている。なんとか建物の外に出たと思っても、狭い通路に面した裏口から出ているのであり、そこからはいってゆけるドアの向こうはまた古本屋なのだ。途中、いつか必要になるポケット版の英和辞典と文庫版のちばてつやの漫画を数冊と子ども向けの『聖人の生涯』を買ったが、全部どこかに落としてしまった。床に人間ひとりがすっぽりはいるほどの大きさの穴があいている売り場があって、その穴の中を覗きこもうとすると、 「おまえのやっていることはすべてわれわれにはお見通しだ。つまらぬペテンはやめて、正々堂々と勝負しろ。おまえのようなすれっからしが鳩を売る少年を演じたって、だれも拍手なんかしてくれないぜ」 というテープレコーダーを通したようなささやき声がきこえ、ああそうか、自分の売った本をかっぱらってはまた売るということをくりかえすのは、自分の家に戻ってくる伝書鳩を売っていた映画の名作の主人公の行為にどこか似ている、とちょっと感心しながら、体をよろめかせたが、あのとき、あの穴の中に、わずかに残っていた純情と一緒に本の包みも落としてしまったのだろうか。とにかくなにに対しても自信がなくなり、フラフラと歩きつづけ、そして見張られている感覚ばかりがいやますので、動作はぎごちなく、気持ちはあせっている。赤いセーターの美人にいきなり、 「神秘学に興味をおもちですの? 秘密結社とか魔術とか、そういった方面のこと」 と話しかけられたときには、確かにそういった関係の本がならぶ棚の前にかなりの間立っていたのだろうが、あわててしまって、 「いや、ぼくは組織は嫌いなんだ。それから、西洋のものも苦手。だから……」 と妙なことをいって、逃げ出そうとした。なにかの団体に勧誘されるのではないかと勘違いしたのだ。その赤いセーターの美人は、実はワクワク先生の娘のカスミさんだった。前に一度会ったことがあり、そのときは夏で、水色の半袖のブラウスを着ていたと思うが、ワクワク先生が自慢するほど美人だとは感じられなかった。ただ、彼女をつつんでいる明るい青のオーラにそのまま服の色が溶け込んで、とても落ち着いた印象であった。いまは、そのときよりもきつい表情で、むだなものをとりのぞいて、ひきしまった顔をしっかりと前に向けて、ぼくの狼狽ぶりを観察している。ぼくは、そこまでの自分の不安については語らず、ただカスミさんに出会えた偶然に感謝して、彼女について出ていって、帰るべき場所へ帰ろうと考えていた。カスミさんは、住んでいる岡山の話をしていた。一緒にいるあいだいもますますきれいになってゆくような彼女の、冷たいわけでもなく、かといってとくにぼくに対して好意をみせるのでもない、あっさりとした話し方になにか救われるものを感じながら、いつか岡山に行って彼女のそばでのんびりした時間をすごすだろうと思った。 ふたりでさらに複雑な古本屋の棚と裏口しかない迷路をたどって、三十分は歩いただろうか、ようやく外に出た。そこはなんと新宿の夜の人ごみの中であった。八王子から新宿まで、電車の中央線の駅で二十はあると思うが、ずっと別館、別館というふうにか、あるいは裏口でつながる姉妹店、親戚関係の店というように、切れ目なく文字通りの古本屋のチェーンがあるのか。そうだとすれば、これは恐ろしい地下組織のようなものではないか。カスミさんはなにもいわなかったが、きっと彼女はわざわざその組織の偵察に出向いてきたのだ。新幹線の最終で岡山に帰るという彼女を見送りながら、ぼくは勝手にそんなふうに想像して気持ちを昂ぶらせた。ひとりになったあとで、カスミさんがあんなに美人だったこともなにかの間違いであるような気がしたが、眠くて考えぬけなかった。 実際、僕の生活は間違いだらけになっていた。 古本屋の次に悩まされたのは、ある株屋のつくった学校で、ぼくはそこに教師として採用してもらうために行ったのだが、どういうわけか、生徒にされてしまった。もっとも、考えてみればぼくに教えられる教科なんかなかったのだ。でも、アメリカに行ったクラのかわりに英語を教えてもいいのではないかと、妙な理屈にとらえられて、株屋の前で自己宣伝の演説をぶってしまった。 「じゃあ、簡単な試験をしてみるか」 とぼくとおなじぐらいの年かっこうの株屋は横柄な言い方をした。 そこで受けた試験はべつに英語の試験ではなく、ならんだ数字を二つずつえんえんと脚してゆくという、作業能率か忍耐力の検査のようなものだった。ぼくの成績はすばらしいものだったらしい。株屋は大喜びして、 「こういう人が来てくれるのを待っていたんだ。きみなら一流校も夢じゃない。ひとりぐらいは、うちの学校からもいい大学にはいってもらわんとかっこうがつかんからな」といった。 とても逃げられそうもない。可愛い獲物を捕まえたという目つきだった。確かにここで敵に出会っているという気持ちになって、ぼくははげしく咳きこんだ。 |
編集後記 |
1、2号は総手作りでやったが、今号は印刷、製本を清水タイプライター社(841-7415)に頼むことにした。次号からも、版下だけワープロで作るこのやり方にしたい。 ワープロはどんどん新機能が付加され、一年も経つと同価格でよほどよいものが買えるようになる。かといって、たびたび買い換えるわけにはいかないから、当分このまま頑張ってみようと思っている。ワープロを持っている人が多くなった。寄稿される場合、ワープロを持っている人は予め連絡してください。 次号は鮎川信夫論集を企画している。 |