都市を巡る冒険

清水鱗造



 東京のイメージの現在の段階で定位してみたい。昨年あたりから、それまでいとおしんできた「つげ義春」ふうの都会というイメージが崩れてきているのを、自分のなかで感じる(いまでもそのイメージが大切に思うのであるが)。これは僕だけの個人的事情にかかわっている部分が多いと思うし、切実な問題にぶつかったらイメージなどすべて払拭して考えなければならない事態になるかもしれない。しかし、いま現実をとらえる目が切開すべき中心点からずれることをしばしば見かける、という思いがある。イメージを定位するとは、いずれ破壊されるものを定位するという意味でもあるが、さまざまな角度からの視点(その個人にとってもっとも切実な視点)が必要なのであり、僕の場合「イメージ」から出発するわけである。とりあえずの猶予期間、これは宮沢賢治の「イーハトーボ」に展開されたイメージ群のような、気ままな旅のコラムである。
 「イーハトーボ」には賢治が生きていた空間時間が焼き付いている。たとえば、源氏物語にも濃密な空間があった。それはもちろん日本の限定された固有の空間を核にしてはいるが、物語の一般的な人間の空間設定というところまで広げてみることができると思う。確かに誰でもが限定された空間のなかで生きているのだし、個人の描く空間のイメージの領域にそんなに広がりの差があるはずがない。
 ということでいろいろな題材から、現在の東京という時間空間のイメージを広げてみたい。次号から具体的な材料をとりあげてみる。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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