幻灯の街

清水鱗造



静かな水辺の騒がしい雲たち いくつもの舟を浮かべて その航跡を追っていく 血が薄められていくその澪 たくさんの神々は眩しくはない ぼくらのそのほとり 夜の灯りに彩られて騒がしく変化する 水の色 沈黙には沈黙を 裏側にはその裏側を そうして淡々と雑草を抜けていく ぼくらはゆっくりとつまずいた そしてつまずいたことの意味は 緩慢な隊商の行進のように砕かれて その裏側がさらされる それはけっしてさらされないことはないのだ 「何を考えてるの?」 幾重にも皺を額につけた老人にぼくはたずねる そうしてさまざまに巡らされた心の策謀の意味を知ろうとする ぼくのなかで鼠算式に増殖する老人の世界 ぼくは疲れてしまう 「何も考えてなんかいないんだよ」 独楽が回るように単調な想念が回っているだけだ そしてぼくのなかの老人の世界も単調な欲望の反照だ 何も考えていないことに突き当たったとき ぼくのなかで何かが始まる 処世術でも哲学でもない まして神の追求でもない 何も考えてはいない水辺の雲たち ただ命の単純な曲がり角を慎重に曲がり 法律の言葉を吐いてきた雲たち ぼくは慎重にページをめくり校閲する 裏側には絶対にまた裏側がある しかしそれはほんとうは 水辺の糸蜻蛉にも匹敵しない 単純な脳髄だよ 「でもさ、ぼくは盆栽をいじっているときが至福なんだ」 老人は言う そうなんだね ぼくも三階のベランダに立ち 煙草の煙を吐く もしぼくの見る火花が 華麗でなくても そんなことは気にしない 淡々と風に紛れているさ 至福の瞬間なんて来なくてかまわない 水辺に立って 雲の動きを観察し 幻灯の街を巡るだろう

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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