詩 都市 批評 電脳


第7号 1993.4.1

206円 (本体200円)5号分予約1000円
〒154 東京都世田谷区弦巻4-6-18 (TEL:03-3428-4134)
編集・発行 清水鱗造


表紙-肌の幻影 1-向日葵-誤解-あんかるわオリンピック-幻灯の街-「棲家」について 1-塵中風雅 4-「週刊読書人」時評(一九九二年)-紫色の鳥-電脳

批評的切片
肌の幻影

清水鱗造



一 近代詩によって成された方法
1
 戦後詩の表現の変転をみていき、九〇年代に至ってもっとその前の詩をみていくとき、細かな断絶と作品を形成する意思が、近代詩成立のときどんなふうに構成力を成り立たせ、またどんなふうにあがき、受け継いできたか興味深く感じられてくる。もちろん戦後詩も近代詩も時間的系列と作者の関係を時系列的に簡素化する呼び名である。いっぽうで、時系列的に便宜的に表わせるものと、形を変えることはあっても間歇的に現われるように思う恒久的な核――それはいわば時間を超越している――に触れたいという興味が湧く。恒久的(に現在感じられる)ものを、時系列に関係なく取り出してみたいという興味。
 だからいちおう近代詩成立といったが、個なるものは恒久的だとして、そのイメージ伝達力の形式上、時代にしっくりきたという意味である。現象的にいろいろな形、たとえば西洋と東洋、日本で成り立ちにくい心的様式、制度的なものに対する感性、また習俗的なものとしてハレ≠ニケ≠フような生活の感性、を複合的に解析しながら腑におちるものを探していくという興味。
 ぼくがこれからやってみたいのはこれらの興味が原因になっている分析である。
 まずぼくには、恒久的に貫ける鮮明な心性、たとえば無垢≠竅A制度的なものを漂白してしまうような強烈な独創性の基礎になる心性に注目する。これがまずひとつである。
 さらにあやうく成立した独創性の証拠としての文書――たとえば詩集、を別の側面からみる目、の裏をかかなければならないという戦略的な側面にも注目する。つまり、もちろん詩集が直接的に一対一の伝達の手段となることはいうを佚たないが、常に成立してしまった文書に対しては別の文書を提出するという、言葉が本来的には流れていることから促される側面がある。これは法律の言葉や政治の言葉と時間のスパンは違うが、言葉の本来的な性格からいえば同じものといえる。
 個的な時間に密着した作品の成立をみたいとき、どういうものが鮮明にそれを表わしているだろうか?

 おれたちの夜明けには
 疾走する鋼鉄の船が
 青い海のなかに二人の運命をうかべているはずであった
 ところがおれたちは
 何処へも行きはしなかった
 安ホテルの窓から
 おれは明けがたの街にむかって唾をはいた
 疲れた重たい瞼が
 灰色の壁のように垂れてきて
 おれとおまえのはかない希望と夢を
 ガラスの花瓶に閉じこめてしまったのだ
 折れた埠頭のさきは
 花瓶の腐った水のなかで溶けている
 なんだか眠りたりないものが
 厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであった
 だが昨日の雨は
 いつまでもおれたちのひき裂かれた心と
 ほてった肉体のあいだの
 空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている
(鮎川信夫〈繋船ホテルの朝の歌〉第二連)

 たとえば、この詩は時系列的な変転と個的な心的現象を容れる容器の拡大をもたらしたといえる。萩原朔太郎の竹≠フ詩群が心的なものを容れる点的な容器を方法によって無限に拡大したのに成功したのと対照すれば、これは通底器としての容れ物もまた無限に拡大できるのだということを告げている。朔太郎が日本回帰≠ニいわれるような心象の詩を書いていくのと対照すれば、『氷島』に至る線的な心的過程(内容ではなくその心的過程)を重層的に表わせた詩ともいえる。いわば近代詩に方法をまともに提出した記念碑的作品といっていい。
 ところでこの通底器に対して、さらにどのような方法を提出すればいいのかは、いまだに日夜営まれている課題として措き、竹%Iな詩群に遡ってまずそこに現われている個的な身体とその性質(たとえば鋭さや無垢さ)が、どのように信憑されているかをみたい。


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向日葵

春日久男



                       これ はゆうがたのスープ皿である 湧いてはあふれだすつめ たい火がある みえない翼がとびだす草はらをうつして いる そそがれるゲル状になったカリフラワースープで ある   かえりみちはだんだん短くなって最後はゆきどまり 暦はまっしろ 足はもえる 腰は湿る よどんでいる魔 の胞子のためにテーブルクロスをひろげる 皿のなかで 煮たった波をふかくしずめる影のむかいに椅子を配置す る 弾んでいる眼のためにいろいろの皿をならべる そ して わすれられた彩色のためにナイフとフォークをと りだす こぼれる水をうけとめることができるだろう  星につきだした 材料のまんなかに蓋がある まどべに おどる皮膚は髪がはいった錆とおなじものである                       あなた ののみものは うすあかりがひやしている静止をのみこ んで おもいがけない酔いはみどりいろの空にとけてし まった 睡気の谷はひきのばされる デザートは毛ばだ つしろさのうえにある さびしいオリーブ油がとぶドラ ムをきかせる 双眼鏡は無限にうまれているようだ こ まかく砕いたコルクのような 孤独のモザイクをこおら せる駅がある       いまからみえるのは音をはこぶみち パー ティのはじめとおわりがいれかわる あおい衣裳がまっ ている くもりなく明日の角度をさししめす 耳 まわ りから軽くなってくる さらに軽くなって小脳につるさ れる物質ができる あかりにかえて虹のつくる結晶があ る 閨房ととびらをむすぶ棘の料理人 まいにちきまっ た献立はありません いらだちをさらすためにスプーン をふせる回析格子がおりだす声 しらずしらず性の動脈 がうごいたりとまったり こんやは硬質ガラスをつきぬ ける ふりだしにもどるかたおもいの半熟卵をのみほす すきとおったステンレス製の乳暈 あたらしい引力の強 弱に意味のながれはとまる 鉱物の時間へ いろあせて ゆく向日葵がある


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誤解

倉田良成



神経質な午後 ジャンパーを着た中年男がひとり 花屋の露店の骨組みを解いている 小さく入り組んだ五叉路で めかくしをされた曲がり角の 真空を感じている電柱の向こうから 老犬を連れた老人が現れる 青いワゴン車が音もなくそこに消えてゆく 世界はいったん そこで 途絶えているのかもしれない 私たちのふかい誤解が 騙し絵のように冬の死角を支えている 冷気の下りた丘の上のどこかで落ちる 巨きな日没の音響 北風がはらむ白のなか むらがる打楽器よりもおびただしく 擦過する木の枝にうずめられた街 夕刊の文字の森がダンシネーンのように近づく ねむりから覚めれば みずべりには壮麗な寺院がある


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あんかるわオリンピック

築山登美夫



あんかるわで詩の大会があるというので 主催者のKさんの住む下関に出かけた 空を飛ぶのは久しぶりだったが いっきに近くまで飛んで行くと もうあちこちで縦横に飛行している人たちが見えてきた 気持よさそうに自由自在に飛んでいるが よく観察するとそこには うまく云いあらわせない細かい規則があって たがいに相当の遠さで近づいたり離れたりしながら たくさんの規則にしたがって飛んでいるのがわかる ぼくの知っているNさんやTさん Sさんもいる Tさんもいる Fさん Fさんもいる (主催者のKさんはなぜか下の広場にいて 親友のNさんと哄笑しながら散歩している) ああ 思いつきや口からでまかせにも たくさんの細かい規則があって それを踏み外すにもおびただしい逸脱の規則があって ここでは自由自在の飛行が そのまま原稿用紙に筆記されて詩になっていく それをだれが読むのか だれが印刷するのか だれが審査するのか 急降下急降下 急上昇急上昇 回転 回転 しなやかな曲線を空に描いて 空間が極小になり 極大になる 翼のない腕をひろげて飛ぶみんなに混じって ぼくはすばやく空間をとおり抜け またとおり抜ける 《わたしたちを隔てていた壁が壊れ 耳慣れない言語が方々で撥けている》とか 《わたしはあなたの睡眠の奥に棲んでいて ときどき出現しては例の痙攣動作をするあの男です》とか 《世界の針が大きく振れて わたしたちはもう今まで通りの生き方はできないというのに》とか 《やっぱりあなたは変転きわまりない両性具有者として わたしたちの懐ろから羽毛のように飛び立ったのでした》とか 見えない狼藉の織りこまれた空間に縦横の傷を走らせ どんな幾何学でも解明できない規則の束をとき放ちながら さらに逸脱の規則を織りつづけることを だれが保証するのか だれが快楽するのか だれが それによって 生きる社会の病気から治癒するのか ああ 見おぼえのない ふたしかな天空のつらなり おしよせる波 波 波 そしてぼくはみごとに宙返って 地上から10メートルの高さの目標点に 〈着地〉したのだ


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幻灯の街

清水鱗造



静かな水辺の騒がしい雲たち いくつもの舟を浮かべて その航跡を追っていく 血が薄められていくその澪 たくさんの神々は眩しくはない ぼくらのそのほとり 夜の灯りに彩られて騒がしく変化する 水の色 沈黙には沈黙を 裏側にはその裏側を そうして淡々と雑草を抜けていく ぼくらはゆっくりとつまずいた そしてつまずいたことの意味は 緩慢な隊商の行進のように砕かれて その裏側がさらされる それはけっしてさらされないことはないのだ 「何を考えてるの?」 幾重にも皺を額につけた老人にぼくはたずねる そうしてさまざまに巡らされた心の策謀の意味を知ろうとする ぼくのなかで鼠算式に増殖する老人の世界 ぼくは疲れてしまう 「何も考えてなんかいないんだよ」 独楽が回るように単調な想念が回っているだけだ そしてぼくのなかの老人の世界も単調な欲望の反照だ 何も考えていないことに突き当たったとき ぼくのなかで何かが始まる 処世術でも哲学でもない まして神の追求でもない 何も考えてはいない水辺の雲たち ただ命の単純な曲がり角を慎重に曲がり 法律の言葉を吐いてきた雲たち ぼくは慎重にページをめくり校閲する 裏側には絶対にまた裏側がある しかしそれはほんとうは 水辺の糸蜻蛉にも匹敵しない 単純な脳髄だよ 「でもさ、ぼくは盆栽をいじっているときが至福なんだ」 老人は言う そうなんだね ぼくも三階のベランダに立ち 煙草の煙を吐く もしぼくの見る火花が 華麗でなくても そんなことは気にしない 淡々と風に紛れているさ 至福の瞬間なんて来なくてかまわない 水辺に立って 雲の動きを観察し 幻灯の街を巡るだろう


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「棲家」について 1

築山登美夫



 よく晴れた晩秋の休日、配偶者との散歩がてらにと、ふと思い立って、鮎川信夫が夫人とともに晩年を過したとされる旧居を訪ねに、大井町から大井町線に乗って大岡山に出かけた。ふと思い立って、とは云っても、きっかけははっきりしていて、最近出た牟礼慶子の評伝『鮎川信夫――路上のたましい』を読んで、そこに旧居を訪ねた日のことが書かれていたのである。
《目蒲線大岡山駅前を西へ折れて坂をくだり、また緩い傾斜の道をのぼると、
曲り角の向こうにその家はあった。》――これだけの記述をたよりに少々迷いながら探し歩く。
 鮎川が死んで既に6年、同書によれば夫人の最所フミさんも2年前に亡くなり、もはや住む人もない家が、まだ取り壊されずにあるのかどうか。巻頭グラヴィアには、その古びた白い木造家屋の写真が出ているが、時期は定かでない。その家は最所さんが翻訳書の印税で得た土地に自分で設計して、51年頃建てられたのだという。評伝の著者が訪れた昨春には、その40年前に建てられ2年前には無人となったであろう家は健在であったというのが、探索をつづける唯一の支えとなった。
 駅北口の商店街を途中で左に折れると、鶯坂という坂道にかかる。その道標を見て、おもわず耳を澄ますと、きれいな鳥の声がきこえる。鶯ではなかったが、傍の幼稚園の庭の大きなケヤキの木が鳥の巣になっているのである。坂を下りきると、突当りに横長の建物があって、中学校の校舎だった。少し戻って上り坂を探す。「曲り角の向こうに」という記述がわかりにくい。それらしい坂をと見こう見しながらのぼり、ふと立止まって振向くと、その建物はあった。
 瀬尾育生の「棲家」という詩にも、その家のことが出てくる。

 雨に打たれるあなたの廃屋はいまでは《船長室》と呼ばれます。正
 義はひとの、もしくはひとびとの語彙である、とわたしは書く。
 いまもわたしはソロフキの囚人だ。蜘蛛の巣だらけの船室で棺桶型
 のベッドに腰をおろし襤褸の山に凭れている。国籍のないわたしの
 船は陸地に繋がれたままどこへも行けないのに、桟橋はもう腐った
 花瓶の水のなかで溶け始めている、とその人は言う。
(「すばる」92年3月号)

 新しく造成された宅地のめだつなかで、その「棲家」は異様に古く、白く汚れて、周囲から孤立していた。家の前の狭い空地に廃車になった縦長の乗用車が駐められたままになっている。玄関には表札も何もなく、しだいにほんとうにここが鮎川の隠れ処だったのかどうか、うたがわしくも思われてくる。
 瀬尾の詩が連想しているのは、鮎川の戦後初期の詩「繋船ホテルの朝の歌」(49年)と、晩年の詩「廃屋にて」(79年)である。ともに鮎川詩のメルクマールをなす絶唱だが、出発を止められ、みずからをロシアの古い強制収容所の囚人に擬する姿勢が30年の軌道を描いて、はるかに円環している。鮎川のこの間の詩の変容、思考の変貌を思うと、これは奇蹟ともいえる円環なのであった。
《男と女の秘事、その通俗的な物語が、どこへも出発できないでいる戦後社会の荒廃や窒息感によって読み換えられる。しかも、それは私的なモチーフの甘美さや切実さを失わない。》(北川透〈「繋船ホテルの朝の歌」解説〉84年)
 ――しかし、ここで逆説的に暗示されているように、この円環の意味が解かれるのは、鮎川の詩を、もう一度、男女の秘事そのものへ、戦後社会の喩をこえて、さしもどすことによってなのではないだろうか。性の匂い、対の秘密の匂いのたちこめずにはいない隠れ処に、鮎川詩をかえすこと。そのことによって見えてくるものは何だろうか。

 人が住んでいるかぎり
 家が倒れることはない
 人間のあぶらが
 柱に梁に天井に床に耐性を与え
 苦しみのベッドに血をにじませる
 人くさい息が充満しているうちは
 家の崩壊はないと念じてきたのに
(「廃屋にて」)

 すでにこのとき隠れ処は崩壊の予感のたかまりのなかにあって、鮎川は「蜘蛛の巣だらけの船室」に閉じこめられた「ながい幽閉の歳月」に最後の挨拶を送っている。この2年余り後、彼は詩作を停止することになるのだが、それは彼の「棲家」がついに崩壊してしまったからなのではないだろうか。彼の生前においてすでに「廃屋」になってしまった対の秘密にみちた「棲家」――わたしの見た鮎川の旧居は、ますますまぼろしめいた心象にかわってくる。


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塵中風雅 (四)

倉田良成



 貞享二年(一六八五)三月、『野ざらし紀行』の旅を終え、江戸へ帰る途次、尾張熱田に足をとどめた芭蕉はそこで大顛和尚の訃音を聞く。
 大顛和尚。鎌倉円覚寺第百六十四世住職。岩波文庫版『芭蕉書簡集』では同第百六十三世住職(以後このテキストを『書簡』と呼ぶ)。諱梵千、俳号幻吁(げんく)。寛永六年(一六二九)生まれ、享年五十七。其角参禅の師で、彼を通じて芭蕉とも親交があった。『虚栗』巻頭に「礼者門ヲ敲クしだくらく花明か也」の句を載せる。『芭蕉翁終焉記』によれば和尚はかつて芭蕉の本卦を卜した人であった。
 四月、同じく尾張から、そのころ江戸にあったと推定される其角に宛てて芭蕉は和尚を悼む消息を送っている。

草枕月をかさねて、露命恙もなく、今ほど歸庵に趣(赴)き、尾陽熱田に足を休る間、ある人我に告て、圓覚寺大巓和尚、ことし睦月のはじめ、月まだほのぐらきほど、梅のにほひに和して遷化したまふよし、こまやかにきこえ侍る。旅といひ、無常といひ、かなしさいふかぎりなく、折節のたよりにまかせ、先一翰投机右而已(まづいっかんきいうにとうずるのみ)
 梅恋て卯花拜ムなみだかな               はせを
  四月五日
 其角雅生

 まずは足早な俳諧師の呼吸をつたえる文面といえよう。簡潔なタッチの中に委曲を尽くして間然するところがない。いまはこの点に留意しておきたい。
 其角について多言をもちいるつもりはない。榎本氏のち宝井氏。別号に螺舎、螺子、狂雷堂、狂而堂、宝晋斎、六蔵庵、晋子など。芭蕉随一の高弟で自撰句集『五元集』ほか著書多数。寛文元年(一六六一)生まれ、宝永四年(一七〇七)沒。享年四十七。
 さて、和尚遷化の事実は『野ざらし紀行』(岩波文庫版、以後『紀行』という)にも次の形で収められている。

此僧予に告ていはく、圓覺寺の大顛和尚今年陸(ママ)月の初、遷化し玉(給)ふよし。まことや夢の心地せらるゝに、先道より其角が許へ申遣しける。
 梅こひて卯花拜むなみだ哉

 ちなみに『書簡』では故人の名を「大巓」につくるが、諸本では「大顛」である。
 ところで、芭蕉に和尚遷化をつたえた僧のことだが、『紀行』には「伊豆の國蛭が小嶋の(僧)桑門」とある。この僧が誰であったのか、いまではなかなか読みにくいが、それは路通に何らかの関係があった可能性がある。路通その人だったかもしれない。
 路通。八十村氏、または斎部氏。通称与次右衛門、名は伊紀。慶安二年(一六四九)に生まれ、元文三年(一七三八)沒。享年九十。若い頃、僧形となり乞食生活を送る。素行にいろいろと問題のあった人のようで、その才を惜しまれながら、同門に嫌われ、芭蕉の勘気をも蒙ったがのちに許される。芭蕉との出会いは、あたかも彼が大顛を悼む消息を書くことになる貞享二年初夏(一説に三月とも)、「卯花拝む」季節であった。
 大顛遷化についての『書簡』と『紀行』のつたえかたの違いは明瞭だろう。文字量は、後者では前者の半分ほどに削ぎ落とされているが、これをよりコンパクトになったといってよいものかどうか。かりに句のための「詞書」という役割を考えたとしても、俳文としては如何。近世の俳諧のむずかしさはこんなところにも表れているが、現代の私たちには『書簡』のほうがはるかに判りやすい。
 これを句に即して見てみたい。一句の季語は卯の花をとって夏。上五の梅とは時期的な落差があるが、ここには卯の花と梅の花の「白」のダブルイメージがあると思う。すなわち、嘱目の現実である卯の花をよすがに、見えない梅を嘆いてみせている。あるいは、梅をしたって卯の花の「白」しか存在しない初夏の現実を悲しんでいる、という解も成り立つだろう。いずれにせよ、梅は大顛和尚の俤である。しかしこの俤が実は「にほひ」に結び付いているものであることに気づくまでには、私たちには若干の心理的な距離がある。一句の解は『書簡』の一節の「ことし睦月のはじめ、月まだほのぐらきほど、梅のにほひに和して遷化したまふよし」という部分にあり、これがあってはじめて、梅の「白」の幻の核心が「にほひ」であること(卯の花も匂う)、そしてそれが故人の俤と分かちがたく結び付いていることに私たちは思い至るのである。少なくとも『紀行』の書きぶりは、ここで交錯している二つの季節の色や匂いを瞬時にとらええた古人の感覚が前提となっていることを忘れてはなるまい。だが、一句の解という意味からすれば、私たちにとって『書簡』は依然として「原資料」なのである。
 ところで私には一句の挨拶が、先に挙げた「礼者門ヲ敲クしだくらく花明か也」の句にとどいているような気がしてならない。この、いかにも『虚栗』調の句に、芭蕉の連衆心はこなれた和様の文脈で応えている。『野ざらし』の旅が彼にとっていかなるものであったかが、このあたりにもうかがえるのである。大顛の逝去は、芭蕉には一時代への思いを深くさせるものだったに違いない。俳諧師の一句は、ほの明かりのなかで「門ヲ敲」いて出ていった人の俤をたしかに喚び起こしていると思う。

(この項終わり)

    *参考文献/岩波文庫『芭蕉紀行文集』(中村俊定校注)


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【資料】
「週刊読書人」時評(一九九二年)

清水鱗造



集積回路としての詩
――佐々木幹郎と荒川洋治の詩集

 詩は、部分でありまた全体であるようになっている。縮小してまたその極限で拡大する。だから一篇の作品に向かって収束する光もあるし、無限に光芒を放つ核を持ってもいる。集積回路を作るのが上手な日本人が、細部における艶や切れ味を得意にするのは自然の理だ。背理を意識する暇もなく、細部に集中しまたそこから逆方向に向かうであろう光を常に求めつづける。しかしまたその作業には断層があるのを、詩人自身が気づいていく。その断層は、例えば“文芸的”というセンスに欺かれているのではないか、というような疑問である。まず自分が提出しそれを読者が認めたという回路とまたそれと逆の回路を、刻々と意識していく。その意味において詩は一回限りの業なのだ。
 佐々木幹郎『蜂蜜採り』(書肆山田)と荒川洋治『一時間の犬』(思潮社)は、共に旅の味を感じさせる詩集なのだが、細部の作り方においてそんなことを考えた。両者のエッセイ集を読む読者とそうでない読者では、言葉の受け取り方は違うのは当たり前で、細部であり全体であることが詩であるということからいえば、当然両者は作品一篇に賭けている。断裂的な技法(例えば千字で表わした考えの最後の十字を置いてみるというようなやり方)、あるいは擬似的な断裂的な技法が目立って巧くいっていることにおいて尖端的な集積回路ではある。しかしこの硬い印象は何なのだろうとも考えた。《この世には/闇は煮える/蝉の脱け殻の形で/地球も》(〈地球も〉末尾、『蜂蜜採り』より)例えば火や闇がくっきりと感じられる山の旅の途上で、どちらかといえば冷静な感覚で風景を捉える。
 荒川の詩集も同じ印象で、やはり言葉によって緻密な回路を作ることに専念する作者の像が見える。ぼーんと投げ出したようなユーモアや、不用意に見える言葉がない。射程距離が正確であればあるほど、逃げ出す言葉がある。システムの強度を反映することの幸不幸がないまぜになっている。
(一九九二年一月十三日号)


性交からずり落ちていくもの
――伊藤比呂美+上野千鶴子『のろとさにわ』(平凡社)

 伊藤比呂美が詩を書いて“のろ”の役割を演じ、上野千鶴子がエッセイで“さにわ”の役を演じているというこの本。湿っぽさがないなあ、と感じる。上野の本を読んだとき恥ずかしながら、すこしたじろいだ記憶がある。伊藤比呂美の詩とは長年のつきあいだから、すーっとこちらに入ってくる。“性交”“オナニー”“排泄”“マゾヒズム”等々、話題は豊富だが、闇のへの志向のようなものでも、この二人にかかれば湿っぽくなくなってしまう。
 上野によると《発情は「自然」だが、レンアイは「文明」である》と要約されてしまったりする。こういう概念化の波打ち際で踏みとどまるのが、詩の方法だろう。
 粘膜の細胞は個人個人まったく固有のもので、愛の摩擦は微視的にみれば、固有の感覚だろう。そこからしてみても、この“さにわ”に“のろ”がいらつくのはよくわかる。その後、上野の文章については「わかりました。その調子で自由にやってみてください」という感じになった。
 批評を手ごわいなと感じるのは、文章が内容の氷山の一角であると思われるときである。上野の文章はところどころの“ささくれだち”によって、“たじろがせる”。伊藤の詩にも似たようなところがあるのだが、概念に回収されない形式だけに、生で伝わってくるところがある。波打ち際から波が引いた後、ハードロックコンサートの後にところどころに爆竹の燃えかすが残っているように、なにか点々と残っている。僕の経験を書くと性行為とは別に、女性の目からの光に自分の体が射し貫かれた感じを持ったことがある(たぶん幻想でしょうが)。観念的には一日のかなりの部分を猥褻なことを僕も考えているのだけれど、街を歩くように女と男の間を手ぶらで歩いてみて、何か見たことのない景色があることを無意識に望んでいる。上野の場合には文章の“ささくれ”が、伊藤の場合には場面の転換の流れが女性的で色気のある本だと思うと言ったら袋叩きでしょうか?
(一九九二年二月十日号)


新しく“掘る場所”
――吉本隆明・「ジライヤ」

 吉本隆明『甦えるヴェイユ』(JICC出版局)を読んでいる途中で、「現代詩手帖」の瀬尾育生との対談も読むことになった。初期ヴェイユと現在の世界状況、また資質的に神の考察に向かった“いたましいヴェイユ”(『甦えるヴェイユ』あとがき)の思想が宮沢賢治の引力と同じような引力をもっていること、そしてそれらが吉本の思想と有機的に結びついていることがよくわかる。対談では昨年から議論になっている“湾岸戦争詩”の問題から(これはすでに昨年十月に発行された「ミッドナイト・プレス」十号のインタビューでも言及していた)、宮沢賢治の詩から考えられはじめる、音声・文字以前の言語=普遍言語の問題まで語られている。ヴェイユの思想の振幅と、『宮沢賢治』(筑摩書房)における“なんでもない人は菩薩に値する”という賢治の思想に対する批評的観点と羅須地人協会などのいたましい実践との振幅、そして賢治の言葉の原生的な様態、吉本の言語論はより興味深い展開を見せそうである。なによりも宗教も射程においた人間の心的現象の全円的な捉え方に注目したい。
 福間健二のやっている雑誌「ジライヤ」九号に注視すべき二人の詩人の詩が載っている。それは辻仁成の連作詩“砂丘”と布村浩一の二つの詩だ。布村の〈ぼくのお城〉という作品の始まりは《ぱぴぷぺぽ/ぼくのお城はがたがただ》という行だ。最終行は《ぼくのお城はこわれるぞ》である。布村の詩にはとても繊細でそれでいてラディカルな喩法があってとても魅力的だ。辻の詩ののびやかさ、視点のあり方は現在“掘る場所”を鮮明に表わしていると思われた。多賀恭子『夜の水』(紫陽社)が掘っている場所は最近よくお目にかかるが、普通の恋愛や勤めなどを経て、東京の巷をみる視線をそのまま外国にもっていったような遊山(よくある!)もまぜた詩をゆっくり書き始める女性は愛すべきだ。熟れた女はまだ咲きますよ、と一言いいたい。
(一九九二年三月十六日号)


浮いている場所
――吉増剛造『死の舟』

 吉増剛造の詩やエッセイを読むとき、いつも一種の異和感をもっていた。それは六十年代末から七十年代にかけての生活の波長と時代の波長の合わせ方が全然違っていた、ということからくるのかもしれない。八十年代になって詩の喩法は幽暗のなかにまぎれて、あいまいになったような気がする。何が陽画で何が陰画かわからなくなってしまった。吉増剛造のスタイリストぶりが、よく印刷される吉増の書体とあいまってある種の異和となった。これは、ただ僕が武骨な詩人が好きだからというところだけに理由があるのだとは思えない。
 今度『死の舟』(書肆山田)を読んで、現在の尖端的な二十代から四十代の詩人よりも喩法が壊れていなくてわかりやすいのに、改めて驚いた。だいぶ前、吉増の詩を高度な劇画だと思ったことがある。教養や言語感覚において俗にならず高踏的にならないところは違うが、結構において劇画のように流す。大衆のイメージに完全に寄り添ったかたちで、発展と萎縮を繰り返してきた劇画はそれなりに優れた作品を生み出してきた。その間、吉増の詩はどんなふうに変わってきたのか? たとえば大衆のイメージの豊かさが吉増らの詩の領域を狭めて、眺めてみれば狭い場所に今いるともいえなくもない。しかし、イメージの流通機構自体が貪欲なのだ。吸収装置としてのそれが働き、吉増らの詩からも貪欲に摂取している。
 感性というのはそれをとめどなく働かせているとき、「これは危ない」という境地に必ず至り着くと思う。そのとき意識的に停滞させる気持ちが動くのは自然だし、防衛だともいえる。《麺麭の黄金の洞の蔭に寝て、貴女は“灰色の空”を見上げた/ ――蜘蛛が下り来て、“これも麗しい星だ”とつぶやいた》(〈死の舟〉部分)吉増の定位するイメージの場は浮いたまま、それでいて一定の摂取される高度で動かないように見える。
(一九九二年四月十五日号)


夕暮れ時と適度な快楽
――永島卓と白石かずこの詩集

 詩人もその存在自体でさまざまな物語の主人公でありたいと思っているのは確かなのだが、微細な抑制装置が働いて適度な状態におしとどめられる。収縮力がそこにはある。ではその収縮する膜を撃ち破るような詩のエネルギーはどうかというと、相似形の輪が内に向かって重なっているように見える。ところがそれら言葉の世界における無意識の核を成すものは、あいかわらずこの国が形成してきたものを行きつ戻りつしている。古代から言葉で表わされてきたものが突然新しく感じられ、玉ネギの皮を剥くようにその作業をしていれば、なんだ古代は現在と同じ時刻じゃないかとさえ感じられるのである。また現在は古代と同じ時刻ではないかとも。では言葉はいつも同じところを経巡っているのか? そうではなくほんとうは言葉はじわじわとその核を新陳代謝させている。詩の言葉の力もそういうものだろう。
 そして詩人は安全な夕暮れ時(陰陽道的な感じ方としてこの言葉を使ってみる)にその位置を移していく。いつのまにか真昼は過ぎている。永島卓『湯島通れば』(れんが書房新社)を読んで、そんな感慨を持つ。詩の力が夕暮れ時にさしかかっているとしても、なにかしらすがすがしい。優れた詩人や批評家を育ててきた北川透の「あんかるわ」も終刊してだいぶ経つが、その気風は余韻というような弱々しいものではなく鮮明な像として残っているように思った。白石かずこ『ひらひら、運ばれてゆくもの』(書肆山田)の場合は、固有なものの表現からずり落ちていくところに、夕暮れ時を感じる。〈滅びにむかうマラソンマン〉という駄作を除き、適度な快楽がこの詩集には感じられる。適度というところで徹底させていくことこそ、逆転の方法なのかもしれないのに惜しいと思う。もっともっと軽い優雅な物語に没入してもいいと思うのだが。
(一九九二年五月十一日号)


街の位相
――吉本隆明『大情況論』、尾崎豊

 ここのところ尾崎豊の最後のアルバム『放熱への証』を繰り返し聴いていた。尾崎のいう“愛”や“真実”は音楽と肉声の力を借りて、尾崎と等身大になっていき一応完結してゆく。ただ“街”と“暮らし”との関係(それは主に齟齬や軋轢であるのだが)は収束できないまま、現在書かれ続けている詩にまぎれこんでいるのだと思った。
《ねえ教えて ささやかな人生の願いは 一つでも叶ったの》(〈Mama, say good-bye〉より)
 それからもう一つ、言葉の前で佇んだのは次の文章だ。
《これは気がつけばすぐにわかるのですが、気がつかなければ、依然として緑を守れとか自然保護とかいっているとおもます。しかし、それは先端的な段階ではすでに終わってしまっていて、多数を占めてはいません。多数を占めているのは、第二次産業と第三次産業の境界におこる公害だということは理論的に歴然としています。(略)境界線がはっきりしないボーダーラインでの、精神の異常とか正常とかいったことが、いまでも顕在化しているでしょう。》(吉本隆明〈現代を読む〉より、『大情況論』弓立社、所収)
 吉本が“現在”を分析する要素の一つとして取り出しているいわゆる“境界例”の問題は一種の公害だといっている。僕はこの文章を読んで、僕の街の位相の中で佇んだ。この街の中で浴びつづけ僕の中で凝ったり変容したりしているものは何かわからない。ただ一つはっきりしているのは身体の中でゆっくりと動く時計を必要としていることだけだ。現在、“街で暮らす”ことを、いったいどのような表現や美学に結びつけていけばいいのか? それは難しいことだし、ただ踊るしかないともいえるかもしれない。しかし、何かの亀裂や結び目から現在の街が透視図法で見えてくることはないのだろうか。エロスや自然の輪郭が生き生きと見えてくることは。そういう探索を必然的に行ないながら、詩人たちは詩を書いている。
(一九九二年六月十五日号)


言葉に下ろす手斧
倉田良成『私の洛中洛外図から』、井上瑞貴

 不意に詩の言葉が浮かんでくる、という場合、実は無意識に吟味が成されている。だから突然傑作が書けたり駄作だったりする。その心身と言葉との“見定め”が常々詩を書くときに重要であるわけだ。マチエールとしての言葉という概念は矛盾している。だが自分の心身の状態を悟りみたいに感受して、関数である心身と言葉との関係を仮に一定と見做せばある程度言葉を“もてあそぶ”方法を行なうことができる。カオス理論では心臓の鼓動にカオスが含まれていて、脈搏が新しいものに対応する状態を保っているらしい。だから俳諧のような遊びの言葉の付け合いのなかにもカオスが含まれていなければ面白くない。話が元に戻ってしまうが――。
 倉田良成『私の洛中洛外図』(如水舎)にはもしかしたら強固な諦念があるのかもしれない。《蝶はとびさる/石のなかの偶然に/永遠にのこされて//截りくちを見るとすれば/こわすことしかない/眼の手斧/陽光をうけとめる/虹と虻//たとえば私の肩は血球のおもさの野原に/癒しがたく浮かべられているのかも知れぬ》(〈石〉全行)
 推敲というのは手斧で言葉の配置を彫琢することだろうか? その間にたぶん自分の心身と言葉との関係が見えてくるのだが、倉田の詩の彫琢の緻密さの奥には諦念が見える気がする。完璧な負のカードを出せば正のカードに転換するという文学の機構の度合いは読者の過激さにかかっているのだ。
「蟻塔」30号の井上瑞貴の小詩集“しるべなき二月のほとり”の語り口といくつかの視線には光るものがある。「妃」に書いている田中庸介や高岡淳四らとともにこれからの作品に期待がもてる。
 辻征夫『ボートを漕ぐおばさんの肖像』(書肆山田)はライト・ヴァースの可能性を感じさせる。ライト・ヴァースには毒や薬を潜ませたいが、読者にとっては薬が毒だったりする。表現の力量はこういう詩にいちばん端的に表われるのかもしれない。
(一九九二年七月十三日号)


イメージの治癒と逸脱
――江口透の詩集ほか

 高取英の新作演劇『G線上のアリア――フランス革命異聞』を池袋で観た。高取独自のというよりは、都市で散乱するいくつかのイメージのまとまりの一つ一つが自然な雰囲気のなかで輝いていた。高取が詩を書いていたことは別にしても、六〇年代末のアングラ劇とはずいぶん変わったなと思った。たとえば逸脱しようとしてイメージを走らせてみる。そうすると九二年の現在では簡単に逸脱できない。むしろ六〇年代の逸脱したイメージは当然のように心に包容できてしまう。
 詩で言葉のまとまりのなかにイメージを入れようとするときも、簡単には逸脱できないし、既視感のようなものが柔らかくやってくる。茶の間にも衛星放送やケーブルテレビがやってきた。イメージ作りにしのぎを削っている人たちが、生活のなかでどんどん繰り出したイメージを映像にしていく。たぶん詩や劇や映像の枠組みのなかに封じ込まれるイメージにもタブーは自然に含まれているし、また枠組みにおいて“治癒”の作用もしている。この既視感をたどっていくことの意味は現在大きいと思う。それは、ひとつには持ち得ているイメージをさまざまに分類したり、遊んだりして確かめてみること。ひとつにはどんなふうに逸脱できるか、またなぜできないのかということ。流通するイメージの質が高くなり、またすっと入ってこられるのはなぜなのか。おそらくイメージ構成の時代は個々の突出したものが先導するのでなく、全体的に膨らむというかたちで進化している。
詩のイメージでいえばすでに既成のジャーナリズムの枠にあるものと、外にあるものの区別はできにくいし、区別する必要もないように思われる。
 江口透『ローリングサンダーマン詩篇』(新風舎)、北沢十一『助走』(雀社)、「妃」に集う詩人たちの詩。南からの日の光のように流通するイメージのシャワーを浴びている。
(一九九二年八月十日号)


熱い言葉の意味
――渋沢孝輔『綺想曲』、「出来事」

 C・G・ユングを読んでいると、リビドにぎりぎりと集約されていくイメージの解析とは違って、万華鏡のように拡大していく無意識の解析に緩やかに落ち着いたところに連れていかれる。それは例えば、空飛ぶ円盤などの場合でも同じであるが、集合的無意識の象徴に向かうとき対象の一歩手前までいって当然ながら軽く突き放す。文庫化(ちくま学芸文庫)された『変容の象徴』でも《神ははじめは心像、元型の性質をもつコンプレクスであって、これが信仰によって形而上の神(エンス)と同一のものとされるのである。》などと書かれる。この本にたくさん引用されている詩の解析はもちろん文学的批評とは決定的にちがう。イメージに対して動力的には初めからゼロの立場にたつのだから当然だが、日本の柳田とか折口と重ね合わすようにしてみれば、面白い。
 渋沢孝輔『綺想曲』(書肆山田)にはどこかしら手すさびのにおいがする。個々の詩の一行をとってみれば、緊密な何かを構成してはいる。《とりあえず痛みを越えるための言葉の処方を/記憶のなかに探ってみるが 冷たく素っ気ない/虚空のイロハに出会うばかりだ》(〈四月のBLANK〉より)
 しかし、そのイメージの裏側にある幻の共同性が手すさびのにおいを放つのである。そこにある弛緩したところが文芸的といえるのかもしれないが、ぼくには脆弱に映った。
 創刊された「出来事」の布村浩一、阿部裕一、福間健二、築山登美夫、兵頭俊介らは今月読んだ詩のなかで最も熱い言葉を発している。直接的にぶつかっていきたい命題に、どうしても回り道をしなければならないもどかしさ(それはたぶん性とか死などだろう)をもって書かれている言葉が熱い。それは、詩を書いていることにつながる雑多なもの、自分の生に下りてくるときに通り抜けなければならない共同的な心性、に苛立ちながらも、とりあえずは一枚の網はくぐったという快感がこれらの詩にあるからだと思う。
(一九九二年九月十四日号)


時間への留保の感覚
――辻井喬『群青、わが黙示』

 辻井喬は『群青、わが黙示』(思潮社)の“ノイズとしての鎮魂曲(あとがきにかえて)”で《昭和という時代は戦争があり、革命幻想があり、そしてそれらがやがてのっぺらぼうな経済というものに吸収されていった時代のように思われる。》といっている。大衆からみれば、きっちりとした正しさも諦めもないのだから、のっぺらぼうな経済という否定性をもつイメージもやりすごされるだろう。
 T・S・エリオットの『荒地』をもと歌としたこの長編詩の流れに感じるのは、時間を見極めていくときの留保の感覚である。その感覚を保つことによって長編詩を構成する意思を保っている。“昭和”に向き合う姿勢は散文的にも詩的にもわかる。それは典型的かもしれないが、堤清二のもうひとつの顔である辻井喬が『変革の透視図』(一九八六年)のような仕事をしながら、時代を見ていることに興味をそそられる。“Uブラウン管上のゲーム”で《「こちらはおいしい生活です/しあわせってなんだっけ/亭主元気で留守がいい」》という広告コピーをコラージュした部分がある。一行目は一九八二年の西武百貨店のコマーシャルらしい。日本人の生活における無意識にも目配りをしている。のっぺらぼうの経済というのも無難な捉え方かもしれない。しかしこういう構成と思想の水位とは別に、詩は犯罪のようなところまで想像力を届かせることができる。そしてそこから還ってくるための規制は生活感みたいなところに核をもっている。誰もが顔をしかめるようなイメージを繰り広げることにも魅力がある。そして還ってくる場所は詩の中に隠されているものだと思う。本当はそこが針の穴のような留保の感覚だ。この長編詩の裏側には、そういった詩の在り方もあるのだが、この詩の意図に沿えば、消費生活での揺らいでいる感性を立て直すことを詩人もやっているのだと思う。相変わらず広告コピーに照応する感性の時代は続いているのかもしれない。
(一九九二年十月十二日号)


物語の香り
――辻仁成『屋上で遊ぶ子供たち』

 久々に出た村上春樹の長編『国境の南、太陽の西』の登場人物たちは、村上の好みの都市の書き割りのなかで、エロスの関係性の粘りによって、ミステリアスな空間を紡ぎだしている。これと同等あるいはそれ以上の優れた関係性の喩は、現代詩のなかに断片的には散らばっている。しかしその求心力によって読者を引き込み、楽しませ考えさせてしまうような詩人はなかなか見あたらない。現代詩の読者が詩人であるというところに変なけれん味をどうしても許してしまうからだと思う。本当は作品が投げ出されて、読者がその作品に没入できればそれだけでいいのだ。
 辻仁成『屋上で遊ぶ子供たち』(集英社)は、けれん味がない。そして独特の物語の香りがする。ああ、これは読み込んでいってもいいな、と感じる詩集である。
《捨てても捨てても/次から次に/友達は湧いてくる/僕はそれを摘んで/風の中へ蒔く/そうすると/種子はそこかしこに/着地して新しい芽を吹くのだ》(〈友達の使い捨て〉部分)
《君の子宮に指を入れてみる/何の欲望もなく》(〈砂丘 十〉)
 後の二行詩のように渇いていても、読後は物語の香りによってそっと包まれる感じである。ところで詩の形式が得意とするところの生な感覚と言葉との接点、ということからすれば物語性への信憑は邪魔なものでもある。出会い頭を詩は求めるものだと思う。とすればこれは中距離ランナーの詩集だ。子供でも誰でもできるスタートダッシュの言葉の魅力、詩の魅力はここに集中している。そのうえで、読者は書き手の感性を探り、共鳴していくわけだ。
 末尾に置かれた〈詩人を崇めるのはやめようよ〉という作品も面白い。シニシズムとユーモアのセンスが光っている、ある意味でいい詩だ。ともあれ、物語の香りを嗅ぎながら吟味してみる価値のある詩集だろう。
(一九九二年十一月九日号)


小さな喜び
――北川透と高橋睦郎の詩集

 感じることを積み重ねていって、そこに世界を俯瞰する独自の位置を定めるには、ある程度論理的な思考回路に感性を整理する必要がある。しかし、感じることはもともと矛盾や波をたくさん含んでいて、整理は常に暫定的なものになるのはやむをえない。読者はその暫定的な位置も表現の裏側からかぎとり、矛盾や波のようなものを受け取るということをしている。
 北川透の良質な部分は小さな喜びをよく整理しているところにあるように思われる。たとえば一日のリズムで、午前ひと仕事終えたときの気分に小さな安らぎを覚えるように、言葉をつかみとる。《それはすべての生きもののなかに隠れ/それはすべての生きものを養うけれども/なにによっても養われることがない/この自明さにふるえがとまらない/それは刀剣にも 火災にもおびえない/それは刀剣そのものであり 火災そのものだから/それはどこまでも逃げ/それはどこまでも追いつめる》(『戦場ケ原まで』思潮社、〈水の挽歌〉部分)一方で、事物性と抽象性、論理性のグラフを描いてみたくなってしまうところが問題であるのかもしれないが、その弱点にも北川の批評の読者ならば対象に対する延びのよい遡行力の破れ目をみて、通りすぎることができる。
ときには感性の動きの矛盾や波は行動をカタストロフ寸前までもっていくこともあると思う。また高橋睦郎のように微細な揺れをそのまま手にとるように表わそうとする詩もありうる。ここには事物についた言葉そのものを技工師のように扱うときの快楽が加味される。《二本の箸の先で突きくずす 茶碗の中の煮たコメ/固められて粘りのある煮たコメは 分離される/けっしてばらばらにならない粘着を産み出すためだけに》(『旅の絵』書肆山田、〈米〉部分)かすかに気どりのようなものを感じるが、小さな喜びを整理する手際は根本的には北川と変わらない。
(一九九二年十二月十四日号)


一九九二年回顧
出発地点を鮮明に表わす詩の出現

せめぎあいを演じる“開く”と“封じる”

“開く”ということと“封じる”ということは表裏一体になっている。エロスの個人的なかたちによってそれは完成されている。とすれば、生涯の詩の始まりにおいてもこの二つのせめぎあいが演じるものが主人公になるし、さまざまな曲折を経てたどりつく境地にもそのせめぎあいが刻印されている。
《良寛にはほんとは固定して透明になってしまう内面状態はなく、否定をまた否定的に微分して流れてゆく曲線の鮮やかな流動によって、はじめて透明になってゆく内面状態だけがあるようにおもわれます。》(吉本隆明『良寛』春秋社、〈隠者〉より)
 この文章から批評意識と論理の軸の関係をみて、吉本について考えることは措くとして、“開く”と“封じる”が必ず契機になって、固有のエロスがかたちづくられることを考えてみたい気がする。否定し、そして否定をまた微分して分析し、という動きを言葉に物語として投射することもできるし、その流れ全体を思想的な分析に置き換える試みもできる。世界を感受するときの、逡巡を“伝える”言葉に投射できれば、そこからまた生の流れの中に戻ることができる。
《みえない/校庭で/中心で/土をみつめているぼくは/かがんでいる/みえない/街の中心にいるぼくは/みえない/地図の中心にいるぼくは/みえない》(布村浩一〈街の中心〉部分、「出来事」より)
 せめぎあいの中で、ただ一箇所見える部分がある。つまりみえないことがわかる。この詩は、詩の出発地点をきわめて鮮明に表わしている。
 粕谷栄市は適当な量の散文詩のなかに、映像的な物語また反物語をつくって、平衡を投射する。それは激しい快楽でも激しい苦痛でもないが、粕谷の日常が微細なところまで受け取ることができると感じられる。
《何故、それが、自分にやって来たのか。彼自身にも、それは、答えられないだろう。突然、その血だらけの痺れる雄鶏が、そこに現われた理由は。》(『鏡と街』思潮社、〈血だらけの虚無の雄鶏〉部分)
「満足していない」ことを常態と確認することは、とても重要なことだ。極端にいえば、確認できなければ地獄が待っている。「満足していない」ことの度合いは詩にとって、重要なことにちがいない。
《両肺にまたがるガンの進行を あれこれ詮索するのだが/C・Tの影か おれ自身なのかはっきりしない》(井上光晴『長い溝』影書房、〈六五六室〉部分)
 この詩の中の“おれ”はいかにも井上光晴的な“おれ”である。そう感受するとき、その歯切れのよさに、この“おれ”が小説を書き続けたことの必然が見てとれる。阿部岩夫『月の人』(思潮社)の“あとがき”の、《この詩集の作品は、空海の『秘密曼荼羅十往心論』からモチーフを得たものです。》という文章を見たとき、なぜこんなことを書くのかと思った。この固有名詞を出すことによって、井上の“おれ”よりもはるかに不鮮明になるものがある。文学と違ったテキストをモチーフにするなら、そのテキストと対決もしくは協和している論理的塊と本来的に火花を散らさなければならないはずだ。現在に生きている阿部の心身のほうが詩にとってはるかに重要なはずだ。
 北村太郎が亡くなった。彼の詩の“開く”“封じる”必然の、よりあからさまになってくる分析がなされるはずだ。
(一九九二年十二月二十八日号)


表紙-肌の幻影 1-向日葵-誤解-あんかるわオリンピック-幻灯の街-「棲家」について 1-塵中風雅 4-「週刊読書人」時評(一九九二年)-紫色の鳥-電脳

都市を巡る冒険
新宿・渋谷・池袋(三)

紫色の鳥

清水鱗造



 紫色の鳥がベランダの硝子にぶつかってきた。浅い春の日だ。ソファに寝ていたぼくは驚いて立ち上がった。鳥はベランダの隅で、しばらくじっとしてから、なにごともなかったかのように飛んでいってしまった。
 ベランダには初めて蒔いたルピナスの蕾が大きくなりつつある。黄色い花が咲くはずだ。息子が隣の部屋でハードロックをがんがん鳴らすせいで、ぼくもすこしはロックが好きになってきた。
 平和な春だ。仕事も一段落して、ぼくはパソコン通信を始めた。いつもの草の根ネットを呼び出す。elfさんとrapさんが同時にログインしていた。この二人にはまだ会ったことがないのに、メールは山のように交換している。かなり綿密に彼らの日常を想像することができるところまできている。
 ぼくらはお互いによびあって、チャットルームに入った。
[sim]暇ですねー。
[rap]そうですね。
[elf]わたしも暇だわ。
[sim]いま何してるんですか?
[rap]車洗ってさー、昼食食べて、昼寝してからここにきてるんですよ。
[elf]これから渋谷に買い物でも行こうと思ってるとこよ。
[sim]では三人で渋谷でお茶でもしましょうか?
 こういうふうに書いてから、二人は少し沈黙した。返事をためらっているようだ。
[sim]天気もいいし、デパートの屋上でも行ってみましょうよ。
[rap]会ってもいいけど、このネットでのイメージと違うかも(笑)。
[elf]わたしもよ(笑)。
[sim]多少違ったっていいじゃないですか。ぼくだって違いますから(笑)。
 それで、けっきょく三時すぎに渋谷の喫茶店で会うことになった。
 妻は飼おうとしている、シェットランドシープドッグについて、いろいろ調べていた。
「シェルティってね、飼ってるうちがお互い連絡とりあってるらしいのよ。種付けの時期とか、出産の時期とかお互いに決めてね。ネットワークがあるみたいよ」
「へー。そうなの? それで家はいつ手に入りそうなの?」
「九月ごろよ。犬の妊娠期間は二カ月ほどらしいので。五月ごろつがわせるそうなの。ただ、小さい体形のオス犬がまだ見つからないらしいの。Nさんの家。だからまだ予定だわね、九月」
「そうかい。おれ、渋谷にオフラインミーティングにいってくる、夕食までには帰るよ」
 そう言って、ぼくは駅まで歩いた。初めてオフラインで会うときには楽しい想像を巡らせることができる。駅までに向かう道、ふと先のほうの電信柱に紫色の鳥がいるのに気づいた。あの鳥だ。でも数羽いる。日曜日の午後、子供連れが多かった。
 電車に乗って文庫本を読む。
 目的の喫茶店に近づくとガラスごしに真赤なセーターを着た女性と、白いスーツを着た男性が腰掛けているのが見えた。想像どおりのelfさんとrapさんだ。ぼくの服装はジージャンにジーンズ。自動扉が開き、ぼくは二人のほうに歩み寄った。逆光で二人の顔はよく見えない。
「simさんですね」
「あ、どうもどうも」
 ぼくが二人のいるテーブルについたとき、日が陰って、はっきり顔が見えた。二人とも七十過ぎの老人だった。ぼくの想像のなかのelfさんと、rapさんは急激に萎縮し、その服装だけが、マッチしたまま残った。
 二人は一瞬のうちに服を残して老いたのだ。
しかし、気を取り直したぼくたちは奇妙な日曜の午後を無邪気に過ごした。


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電脳

 パソコンでなくても、大抵のワープロがテキストをMS-DOSのファイルにすることにできるようになってきた。したがって、フロッピーディスクで原稿のやり取りをすることができる。次は電話回線を使ってファイルのやりとりをしたい。あとは印字をできるだけきれいにすることを目標にする。投稿を受け付けます。フロッピーにMS-DOSファイルでお願いします。電話回線によるやり取りは某草の根netで行いたい。くわしいことは電話でお訪ねください。ちなみにASCII-NETのIDはpcs35778、ハンドルはgizmoです。ASCII-NETに加入している方はいつでもメールをください。


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