〈都市を巡る冒険〉 新宿・渋谷・池袋(四) 小鳥語 |
清水鱗造 |
カウンターの向こう側のマスターが、ちびりちびり飲んでいる僕に話しかけてきた。 「そろそろ来るかな」 「そろそろ来るって?」 その店は新宿の路地裏でも目立たないところにある。古い石畳の舗道を鉢植えの植物や、自転車などを見ながら、店に着くとたいてい客は僕ひとりだ。時間が早いせいもあるかもしれない。 「水曜日はね、Nさんが来るんだよ。たぶん興味もつと思うよ」 「なぜ?」「来ればわかるよ」 最近、飛行船をみることがいやに多い。この日も夕刻ぼんやりと街の明かりに照らされた飛行船をみた。それは新宿御苑上空あたりでゆっくり旋回し、のんびりした牛のようにお尻を向けて去っていった。一杯めの水割りを飲みながら、そのイメージを咀嚼していた。かすかに酔いがまわってくる。 突然、ドアが開いた。そこにはスーツにネクタイを締めた初老の男が立っていた。 「ピピキュ!」 一瞬、混乱した。椅子に座ると、その男はマスターに向かって、こう言った。 「ピーピュルルリ、リリリルーピロ」 マスターは何もいわずに、ビールを男の目の前にだした。そして、こちらを見てほほえんだ。 「まず、ビールをください、って言っているんですよ」 その男は小鳥語を話すという。マスターはわからないが、だいたい要求するものはわかる。それで対応しているのだという。店に来はじめたころは、日本語を話した。それで彼がどこかの大学の教師だということはわかっている。その男は急にこちらを向いた。 「ピーピュリンリンリン、リルレロラレロン」 なんだか、僕には彼が「この店、初めて?」というように聞いているように思えた。 「三回めぐらいかな」 僕が答えると、かれはにっこりして静かに飲み始めた。そういえば、電車のなかでどうしても何語か推測できない言葉で呟いている女性をみたことがある。その若い女性は正面にきた中年の男性にしきりに話しかけた。その女性が清楚だったからだと思うが、彼はいぶかしげななかにも親切に聞き取ろうとしていたように見えた。しかしあまりしつこいので、次の駅で降りてしまった。そのことを思いだした。 音楽は、レゲエを流していた。また、小鳥おじさんは言った。 「プリーキュラン、スープレットラリラリラリ、モーツァルト、リンリンリンリーピンリン」 「モーツァルトの弦楽の『不協和音』という曲をかけてくれ、って言ってんですよ」 この時点で酔いの回った僕は開き直った。 「ガーギグガガガガ、ゲゴギンゴガンガゲゴギーン、グゴグゴゴギグゲゲゲゴーン」 |