[組詩]
ガラスのつぶやき

清水鱗造



   * 風が吹いていたなんて 知らなかった ドームの天井に金の魚が泳いでいることも 晶質の透明な柱が同じ形の破片になって ぼくのドームの隅のほうで 何度も何度も砕けている ゆるゆるとその破片の雪を手繰りながら ぼくはドームの上のほうに 昇っていく 腕の百合の入れ墨がぼんやりと霧に浮かび ぼくの手繰る先にフィラメントの塊のような 光芒がねじれている 春夏秋冬の印のついたプリズムがたくさんの直線の傷に満ち ゆっくりと側面をこちらにひとつずつ 向けている 純銀の帽子が軽く軽く浮かんで 手繰る手に霧の結晶が何度もぶつかった 風は体をゆっくりと西のほうへ移動させ 何万匹もの金の魚が帽子の下を通るのを見た 百合の入れ墨は手繰るぼくの腕に 眠たそうに咲いている 甘やかな柱の崩落と晶質の囁きのなかで ぼくは海藻になって揺らいでいる    * 鄙びた駅を過ぎ 水の町を過ぎた 木々は一定方向になびき 時折り起きる渦風は花を空にくるくると吹き上げた    * 白い家の浴槽の 水底のハサミ いつまで千代紙を 虹を 切り刻んできたのだろう 浴槽に日がかげろう ハサミは開いたまま 銀の輝きで 遠い切るものを待っている 耳鳴り それは白昼の星座から送られる 異体字の群れだ    * 〈白い広場〉 袋のなかに魚がある それが点々と白い広場に落ちている クラフト紙に包まれて 大小の魚が落ちている みんな知っているのだろうか あの包み紙のなかに魚があることを 白い日のなかで顔を白く染め それを開くと 広場の白い輝きが紙の影をなくす 影のない広場でがさがさと音をたてて 彼は袋を開く 傷痕が白い肌にとけ込み まるでなにもなかったように日のなかで識別できない 遠くの井戸で白い服を着た女が水を汲んでいる 影のない広場を歩いていくのだろうか (白い犬がささやくのだが) 白い壁 白い街路 まで彼はいくのだろうか そのとき雲が太陽の表を通り 雲の形が素早く広場に影を落としていく あの蝉の鳴き声が注ぐ川辺に立ち 無為の時間を過ごしていた野球帽の少年 あのときから幾夜の虹を越して 彼はこの白い広場に着いたのか 目覚めて そして ゆっくりと 彼は白い街に近づく (白い懐中時計は動いている) 白いはらわたの乗った白馬が 白い蹄で白い土を蹴たて はらわたは白い槍を振りかざし 白い胞衣を垂らして 白い広場の向こうに 走り去る    * 足元に星をみつけた それは瞬いていて 時空を測っている こともなげに通りすぎることなんかできなかった 植物の水時計が民俗を形づくり ぼくの時空と火花を散らす 万華鏡 ぼくのほしい色や石器や機械や 文字や飛翔が 目まぐるしく億の書物になって火花になる すすきの野原で 星は地面で瞬く そしてぼくは巨大なカエルに乗って すすきの穂で作った箒で 星たちを掃き集める 蜜の霧がたちこめている    * 地図は体液に濡れている ほそぼそとした古代の道 ほかい人が足のマメをつぶしている 飾られた杖 そこから何百里 体液の道しるべがつづく その薄い金属のシャリンシャリンというリズムに 山の道は飾られる 眠る旅人 すっかり二次元に彩りは地面に塗られる 爬虫類の骨に似た 白い枯れ木から もがり笛が響いていた    * 〈一地方での物語〉 アザラシの声で毎日目を覚ます それからぼくはラッシュする いちおう社会というのを信じてね でも父祖たちが作ったものをぼくは固定したくなかった 父祖たちの倫理も退廃も疑ってるってわけだ やってるのはね 時々の決定だ 距離を測る 水増しはないかと気を配る なにより頑丈じゃないとね 商品は 夏の間 ぼくは海岸でフローズンヨーグルトを売る そんなお金でコンピュータなんかも買うわけさ DJも資格をとってぼくのファンもいるよ この地方では 夜はラッパを鳴らして車が通るし 刃傷沙汰の事件だってある ピストルだってたまには鳴る 瞑想だって爆発だってあっていい 注意しなきゃなんないのは 凝固だ 祝福 懲罰 そのへんは流れのマインドにかかわってるだけで 法 正義 みんなカメレオンみたいなもんさ でもさ ぼくのひそかな快楽 あるんだよ 教えてあげようか それはきみのひそかな快楽とまったく同じもの    * 煙草の箱と白い灰皿 いつもぼくは大事なものを灰にしている 倦怠のなかに白い煙 ふと気づくと 明りをつけた飛行船が窓の向こうに飛んでいる こんなに暗い街の隅から コクピットが見えるとは気づかないだろう 酒を置いた小さなテーブルに 彼がハートのフォーカードを並べて悦にいっているのが ここから見えるなんて気づかないだろう そしてまた ぼくの灰皿に虹がひろがっていく    * 翻弄される理由もなく現われてくる 欲望の迷路がたんに続いていて 角ごとにエピソードが生まれるとも 行き場を失った動物たちがあてどもなく行進するようでもある ところでその迷路を上空から覗く目がある 草々が神経反射のように異様に なびいているのだ 子羊が牧羊犬に追われ牧舎に入る ある黒い羊のグループが細い道にそれる その羊たちの行く先には 凡庸な池があるだけなのだ 羊たちは池のほとりで 途方に暮れる    * 宿直の日 男は女の来るのを待っている 宿直の日 男は女の来るのを待っている 平凡な話だ 月蝕の日 皿の血を飲もうとしている 月蝕の日 皿の血を飲もうとしている あくび 忘れていた誕生日に胎児である君からメッセージが届く 忘れていた誕生日に胎児である君からメッセージが届く    * 〈南島への小舟〉 貝ひろいをする少年 ツルツルになった関数 その線型の街から植物の痕跡が澪となる 大きすぎる半ズボンで少年は他界を探している 一時の休暇 地図に記される縦横無尽の航跡 ある凪の日わたしは甲板に飛び込んできた飛魚を 指で裂いて食べた 船底にビニール袋で梱包した国歌大観は まだ封を切られていない それほどこの旅は言葉に満ちている わたしの腕にはいつも塩が浮いている まどろみのなかにだけ わたしの住んでいた都市は 蜃気楼になって浮いてくる 「魚が焼けたわよ」 母の声に少年は掌にのせた白い貝を落しそうになる きみのマリヤ は食事を作ってくれる そしてマリヤの子宮から 一条の南島への航跡    * 〈玉虫の箱〉 頭のすみのほうで柱状節理 ぼくは靴下を脱ぐ 晶質のものが落ちてゆく 眼の下のほうへと 椅子でくずおれている 透明なものが立ち上がる くずおれている酔いどれ 立つ動きのなかで柱状節理 落下する霧のカデンツァ その二重性 箱に溜めた玉虫の羽 萎れたネクタイ ふりかかる微粒子 蓋はゆっくり開かれる 細かく砕けた玉虫の羽 落下する微粒子 落下する玉虫の羽の粉 地下の明るみの 翻弄の木に 吊るされ 色は糸で吊るされ 書物の粉の 色の 玉虫の 傷の 刺の 細かい針の 吊るされ

[註]〈白い広場〉(既発表)を除いて、一九九三年八月一日から八月七日のあいだに書いた作品である。


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