[組詩]
路地から路地へ

清水鱗造



天水桶に溜まった水がキラキラしている ある海辺の地方 干物のにおいが漂う 植物は乾燥に耐え 多肉化する この地方の強い酒 蛇を沈めてさらに味わいを深める酒 違った神話が耳のそばをよぎる 風がそれを運んでくる 水がそれを運んでくる 舌にしみとおる揮発性の液 石垣の穴に住む蛇も 魚で遊ぶ猫も 海風になぶられて いつしか 恋もしやすくなるのだろう 白い服を着たぼくは もう官能のことは忘れてしまったかのように 海の光と同じようにかげろっていた    * 通りぬけられます 路地の入り口に立て札があった アーチの赤いペンキは剥げていて 五月闇のなかにおもちゃのように立っていた そして向こうの裏通り のっぺりとした国道までの間の鉢植えのならんだ家屋 ぼうぼうと雲が往く 黒い雲が劇画みたいに 天水桶に溜まっていく雨水は 徐々に水位をあげていく ぼくは オカッパの 赤い着物を着た 少女の 後ろ姿を ぼうぼうと往く雲の下に 見たと思う    * 〈夕日町夜話〉 土竜(もぐら)が顔を出す 夕日は屋根を真っ赤に照らして 乳母車も引戸の横に立てかけてある ロボットも納戸にしまわれている 夕刻 土竜(もぐら)が顔を出す 街の道のまん中に 胸まで出してキョロキョロ そんな茶色い顔も夕日に照らされ 自転車も電信柱も 縄暖簾も赤く染まって 針金の塊がころころ 走り 遊び道具が家の前に散らかっている 土竜(もぐら)はドイツ語でさよならを言い またもぐっていった    * サッカーをやっている人たち 暗い街路に響く音 ぶむ ぼむ よく見ればそのボールは 心臓だ 心臓は夕空に不規則に舞い上がる 向こうではバスケットをやっている ボールは月だ 燭光がめまぐるしく移動する そのゲームの真上で 月のコペルニクス山から血管が浮き出て 幽霊を飛ばしていた    * 路地の向こうから なにかが行進してくる 両側の湿った家々 子供は三輪車を止めて ぞろぞろ音のする路地の向こうを 見つめている はんぺんの行進だ はんぺんの行進だ はんぺんだ はんぺんだ はんぺん はんぺん はんぺん    * 真っ白い昼 ルナティックな街道 白い草花の茎は激しい風になびく 逆光の南西 爆発するように花が咲く 鎌の昼の月 風になぶられながらも 爆発して花が咲く 土砂降りの陽 雨の陽 爆竹のように花がはじける (頭蓋骨の眼の穴から花 縫合線がらカスミ草) 狂った花の群落の 路地の一角 生ぬるい水に沈んでいる 手の骨    * 〈秋の路地〉 黒い頭の植物が足指に当たる みんな焼けてしまったのだろうか 産湯の井戸がある この路地をいくたびか抜けていった ワレモコウ あの失われていった花や水 装束をただして 透明な歩行を淡々とつづけていた 僧 その修羅の雲が青の断片を覗かせまた隠し ワレモコウ ガラスの杯は割れ 細かく散ってゆく この路地 細い竹を折り すくなくともいくつかの 針をつくった それはまだ ぼくの手にある メビウスの帯のような二重の路地を歩いている 「彼の異物は空を裂けり  ついに杯は割れたのだ」 顔はぐにゃぐにゃに変形する 伝説を含んだ ワレモコウ 女や少年や鬼や僧の顔に 変形する それは花の 焼け爛れた跡だった    * 人の顔をした蝶が飛ぶ 花園で追いかける 空笑をたたえて ひらひらと飛ぶ 麦藁帽子の駈ける少年 地平線の試験管のなかへ 融けていった    * 葉脈が上方に伸びていく 黒い鳥が飛ぶ つぶてになって その明け方 何かが起こる ゼラチンで固めた街路が フラッシュして融け 固まり それを繰り返している 胎児がいる その神経の琴線に触れることは できない 湧いてくることを押しとどめることはもはや できない 考えることがインクの染みのように にじんでくる 此岸に艀はとろとろと入ってくる 水に浮いたたくさんの枯れ葉と たくさんの鳥の瓦礫をかき分けながら    * 〈左右の渦〉

窓のむこうの湿った畳では 劇薬が撒かれている いつ果てるともしれない怒号 一升瓶 その酒のにおい 髭面にたりにたり このやろう このあま そこで蛇口です 汗でも拭いてさ 顔でも洗ってね いま握り飯もってくるわね (笑い) 渦が巻く ぼくの青い穿孔のための錐 なんか耳の垂れた犬のかたち 乗っていいよ 暗いからフラッシュ焚こう ぶらんこ写る 木の穴は暗い そこから渦が出てる 土が流れて蟻地獄 渦だぜ このやろう 白ペンキ赤ペンキ 歯ぎしりしろ 布団だ 布団だ 巻け 巻け 渦巻け 放水ホースだ ひしゃくだ 桶だ おや風鈴ですよ 金魚売りですよ きんぎょーえきんぎょ 碁打ちのじいさんの眼鏡 酒だ酒だ わたしクリームソーダ しゅるしゅるしゅる 左からも右からも渦 看板だ看板だ 耳鼻科の看板だ 耳だよ耳 ペンキ剥げてる 耳だよこのやろう 左右の耳 左の 右の 渦


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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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